2022年11月10日
【西乃宮八幡神社】 佐賀県三養基郡みやき町
「八幡神社御由緒志」によると
長徳2年(996)2月、
一条天皇の勅願で建立されたと言われています。
武門勢力の時代と共に武将の崇敬厚く、
寿永年間(1182〜1184頃)地頭職鎌倉権五郎景政により
社殿が改造され、祭祀が再興されたそうです。
また、足利尊氏の光浄寺にかかわる事跡の中に
西乃宮八幡神社に戦勝祈願をして祭田を奉納したことが
記されています。
文安元年(1444年)
太宰少弐貞頼(しょうにさだより)の次男である
横岳頼房(よこたけよりふさ)が肥前国三根郡西島に
西島城を築いてから、この神社を鎮守とし守護神としてあがめ、
横岳氏5代にわたって信仰されていました。
しかし5代目鎮貞(しげさだ)の時に
豊後の大友氏の支配下に入り、
その後龍造寺隆信の攻撃に耐えきれず、
かくまっていた少弐政興(しょうにまさおき)を、
沖神事の祭りの夜中に筑後川を下って島原へ逃れさせ、
自らも龍造寺氏の配下となります。
本家である少弐氏は永禄2年(1559)1月、
勢福寺城(神埼市神埼町城原)にて滅亡
現在、悪日祓いとして9月12日に
汐入御幸として行われている祭礼は
少弐氏、横岳氏を偲ぶ行事であるとも伝えられています。
神社はその後、
肥前国が鍋島藩政になると旧三根郡(三川、南茂安上峰、江口)の
宗祀とし古式例祭により祭祀を行い、
社費祭費一切を鍋島藩が受け持ち、
祭礼当日は鍋島家から警護頭人並びに目付、
郡代方等を出張させたという記録が残っています。
維新改革により明治6年(1873)郷社に列せられ、
旧三根郡の宗社として「西乃宮八幡宮」の通称で
崇敬を受けたそうです。
御祭神:誉田別命、神功皇后、比売神
御利益
武運長久、出世開運、成功勝利、安産、子育て守護、厄除け、
病魔退散、家内安全、延命長寿など
鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町西島1198
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