2023年01月15日
由緒が繋がっている 二つのひめこそ神社 【媛社神社(七夕神社)・姫古曽神社】 ニギハヤヒと市杵島姫
●媛社神社(七夕神社)
奈良時代の天平年間の成立とされる
『肥前国風土記』基肄郡姫社の郷に、
小郡の大崎の土地に七夕の神が祀られるようになった経緯が載っている。
この郷の中に川がある。名を山道川という。
その源は郡の北の山から出て、南に流れて御井の大川と出会っている。
昔、この川の西に荒ぶる神がいて、路行く人の多くが殺害され、
死ぬ者が半分、死を免れる者が半分という具合であった。
そこでこの神がどうして祟るのかそのわけを占って尋ねると、
そのト占では、「筑前の国宗像の郡の人、珂是古にわが社を祭らせよ。
もしこの願いがかなえられれば祟らない」と出た。
宗像の珂是古が幡を捧げて
「私に祀ってほしいならこの幡よ順風に飛んで祈る神の辺りに落ちよ」
と祈祷し、幡を飛ばして占ってみると御原の郡の姫社の杜(七夕神社)
に落ち、また還り飛んで山道川の辺りに落ちました(姫古曽神社)。
その夜に、夢に機織り道具が回りながら出てきて珂是古を押さえ、
そこで祟る神様が女神様で有ることがわかり神社を建てて祀った
とあります。
御祭神
媛社神:饒速日尊
織女神:萬幡豊秋津師比売命(栲幡千千姫命)
鎮座地
福岡県小郡市大崎1番地
●姫古曽神社
原初祭神は、織女神(たなばた姫)であった。
このいわれは「肥前国風土記」姫神郷の段に詳しい。
時移りて弘仁2年(811)時の村長某が豊前国宇佐八幡宮の分霊を
ここ姫方の地に勧請、先ず徳丸というところに行宮を建てて祀り、
のち現霊地に社殿を建立して奉還、
住吉大神、高良大神を合祀して八幡宮と称し姫方村の氏神とした。
この八幡宮勧請以後、
本来の主神である織女神は疎外されていたが、
明治の御一新に当たり村人は相はかって近くの「たなばた屋敷」
におわした織女神を市杵島姫命の神名をもって主神の座に復し奉り、
社名を姫古曽神社と改めた。
御祭神:市杵島姫命(織女神)
八幡大神、住吉大神、高良大神、管原道真
鎮座地
佐賀県鳥栖市姫方町189
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