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2021年11月30日

【大善寺玉垂宮】福岡県久留米市の神社




大善寺玉垂宮の創建については謎が多く明らかではないが、
景行天皇の皇子国乳別(くにちわけ)皇子を始祖とする
水沼君が当地を治められたとき、その祖神を祀ったのが
玉垂宮の前身と考えられています。

御祭神は、
玉垂命(藤大臣(とうのおとど)・高良大明神とも称す)、
八幡大神、住吉大神が祀られています。

藤大臣は神功皇后の三韓出兵に大功があり、
玉垂宮と神功皇后との関係が深い。

『吉山旧記』によれば、
藤大臣は仁徳天皇五五年に賊徒退治の勅命を受け、
この地に下り筑紫を平定し、仁徳天皇五七年、
高村(大善寺の古名)に御宮を造営し筑紫の政事を行ったが、
仁徳天皇七八年にこの地に没し祀られ、
高良玉垂命と諡(おくりな)されたと伝えられます。

天武天皇の白鳳元年(六七三年)に三池長者師直が、
玉垂宮の古跡に法相宗の僧安泰をして祭神を祀らせ、
そばに一宇の精舎を開基して御廟院高法寺と号しました。

後に、高法寺は延暦年間天台宗となり、
弘仁五年(八一四年)に嵯峨天皇の勅命により、
殿堂、楼門、回廊などを新たに建立し、
善美を尽くしたので大善寺と改められました。

明治二年(一八六九年)廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により、
神宮寺だった大善寺は廃され、玉垂宮のみ残って現在に至ります。
旧社格:縣社

御祭神
玉垂命、八幡大神、住吉大神

『福岡県神社誌』では
竹内宿禰、八幡大神、住吉大神

筑後国神名帳には「玉垂媛神」との記載があるそうです。
「玉垂命は、玉垂姫命と共に大善寺玉垂宮に住んでいたが、
玉垂姫を大善寺玉垂宮に残して高良大社に移り、
「高良玉垂命」と名乗った」という伝承があるそうです。
地元でも『女の神様を祀っている』といわれているそうです。

御利益:交通安全、厄除けなど

鎮座地
福岡県久留米市大善寺町宮本1463−1


posted by kohchan at 13:34 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2021年11月15日

【仁比山神社】 佐賀県神埼市



仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、
天平元年(729)僧の行基が、聖武天皇の勅願を賜り、
神殿を建立して京都松尾明神を勧請し、
国家安泰、五穀豊穣を御祈願されたのが創始です。

承和11年(844)慈覚大師が唐より帰朝の際、
国家安泰の祈願の為に御神水を得る時、
土中より「日吉宮」の石額を発見したことを朝廷に奏上します。

比叡山の神威を感じた時の仁明天皇は勅命を以て、
比叡山の日吉山王宮(日吉大社)の分霊を合祀し、
朝廷の祈願所と定めました。

その時、仁明天皇の「仁」と比叡山「比山」を併あわせて
「仁比山」と名付けられました。

御祭神
大山咋命・鴨玉依姫神・日本武尊・合祀社祭神二十余神

御利益
子宝・安産守護・豊作豊漁・殖産興業・商売繁盛
開運・方位除け・悪病・災難除けなど

鎮座地
佐賀県神埼市神埼町的1692



posted by kohchan at 16:49 | TrackBack(0) | 佐賀県の神社

2021年11月12日

小郡総鎮守 【山王宮 日吉神社】 福岡県小郡市



日吉神社は後醍醐天皇の延元元年(1336)、
現在地より西方約300mの北口という所に創建され,
その後寛文十二年(1672)現在地に移ったと伝えられる。
旧社格:村社

御祭神
大山咋神(おおやまくいのかみ)

合祀
事代主神・木花開耶姫神

御利益
開運厄除、土地祓、商売繫盛、交通安全
病気平癒、縁結び、子宝、安産など

鎮座地
福岡県小郡市小郡1329


posted by kohchan at 17:57 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

2021年11月09日

【紅葉八幡宮】福岡県福岡市の神社



紅葉八幡宮(もみじはちまんぐう)

平安時代後期の治暦年間(1065〜1068)に
陸奥国柴田郡より来住した柴田氏が八幡神像に
自身の産土神のご分霊を勧請し奉斎したのが創祀とされています。

その子孫である柴田蔵人佐繁信によって文明十四年(1482年)、
筑前国早良郡橋本村に八幡宮が建立されたのが創建とされる。
以来橋本村一円の鎮守神として尊崇を集め、
江戸時代には、橋本村で生まれ育った福岡3代藩主・黒田光之の
産土神として橋本の八幡宮は藩より格別の崇敬を受けた。

寛文6年(1666年)8月、
橋本村より西新百松原の地へ遷宮し社殿の造営し
藩内有数の大社となった。

後代の藩主の崇敬も篤く、神領100石が寄進され、
たびたび藩主の親拝があった。

明治5年(1872年)11月3日村社となる。

その後、境内地近隣に鉄道が引かれたため大正2年(1913年)10月16日、
現在地に移転した。大正11年(1922年)4月29日には県社に昇格。
現在でも西新地区の鎮守神、早良総守護として
地域の住民の崇敬を受ける。

御祭神
神功皇后、応神天皇、菟道稚郎子命、玉依姫命、大己貴命、菅原神
素戔嗚尊、軻遇突智命、事代主命、稲倉魂命、金山姫命、埴安命

御利益
安産、子守(まも)り、厄除け・災難除け、縁結び、開運出世、
子育て、子授け、夫婦和合、子孫繁栄、方除け、疫病除け、
水難除け、武運長久、武芸上達、勝運、学業成就、合格、病気平癒、
無病息災、家内安全、交通安全、海上安全、鎮火・防火、事業発展、
福徳円満、商売繁盛、五穀豊穣、金運、豊漁、食物守護、鉱業守護、
金属加工、粘土・焼き物、国土安泰、国家安寧など

鎮座地
福岡県福岡市早良区高取1丁目26−55


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2021年11月08日

【日本三大愛宕】鷲尾愛宕神社 福岡県福岡市



鷲尾愛宕神社は、
日本三大愛宕(にほんさんだいあたご)の
一つに数えられる神社です。

日本三大愛宕とは、全国各地にある愛宕神社のうち、
京都府京都市右京区、東京都港区、福岡市西区の愛宕神社の三社
を総称したものです。

鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)は、
愛宕山(旧称:鷲尾山)山上に鎮座し、古くは鷲尾神社と称し、
社伝によれば第十二代 景行天皇2年、
鷲尾山に伊弉諾尊・天忍穂耳尊を祀ったのが始まりとされる。

天暦九年(956年)、
姪浜の住侶・浦氏、浜氏が社殿の破損を憂い浄財を募り社殿を改装。

やがて鷲尾神社は鷲尾山の地主神として
別当坊東林寺が代々奉仕していたが、
その後、鎌倉、南北朝、室町時代が経過し、幾多の戦乱に遭い、
宝器、文書、神領は散滅し、僅かに東林寺の社殿を保つのみであった。

寛永十一年(1634年)、
福岡藩二代藩主黒田忠之公が、
山城國(京都)の愛宕権現白雲寺(現愛宕神社)より
愛宕権現(伊弉冉尊・火産霊神)を勧請奉祀し、社領を寄付し、
宮司坊圓満寺を開創して奉祀に当たらせた。

これにより鷲尾権現は愛宕権現の境内末社とされ、
東林寺と圓満寺は合併され、鷲尾山は愛宕山へその名を改めた。

明治34年(1901年)9月27日、
鷲尾神社と愛宕神社を合祀し、鷲尾愛宕神社と称するようになった。

旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。

御祭神
火産霊神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天忍穂耳尊

縁結び、厄除開運、商売繁盛、家内安全、受験合格、学業成就、
安産成就、 交通安全、病気回復、無病息災、円満解決、
鎮火成就等の願い事を叶え、古くは、
禁酒、禁煙などのあらゆる禁断の神としても知られています。

福岡市を一望できる小高い山頂にあり、
夜景スポット・デートスポットとしても有名です。

鎮座地
福岡県福岡市西区愛宕2-7-1


posted by kohchan at 13:19 | TrackBack(0) | 福岡県の神社

猿田彦神社【終庚申祭】福岡県福岡市



由緒
古文献によると、八世紀後半の平安初期の頃、
我が国に中国より伝わった庚申信仰(こうしんしんこう)が
宮廷貴族の間に拡まり、鎌倉、南北朝、室町時代をへて、
徳川時代には世の落着きとともに庶民の間にも庚申信仰の隆盛をみ、
庚申待行事が盛んに行われる様になりましたが、
幕府の崩壊と共に自然に行われなくなり今日に至っています。

猿田彦神社の勧請年月は詳かではありませんが、
参道入り口の両側に遺された鳥居の石柱に
正徳三年(1713年)正月二十一日再建の刻印が見られましたが
現在は風化して歳正月二十一日の刻印のみが見られます。

御祭神:猿田彦大神

御利益
交通安全、厄除開運、商売繁盛、出世開運
学業成就、合格成就、恋愛成就、縁結びなど

庚申祭は庚申(かのえさる)の日に行われます。
これは中国から伝わった六十干支(ろくじっかんし)という暦による
十干と十二支を組み合わせた干支で60日周期となっており、
年に6回か7回の庚申祭を執り行われます。

この日は、年の最後の終(しまい)庚申の日でした。

鎮座地
福岡県福岡市早良区藤崎1丁目1-41


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【姪浜住吉神社】福岡県福岡市



姪浜住吉神社(めいのはますみよしじんじゃ)

住吉神社の起源は、
奈良時代の天平十五年(743年)九月二十九日の夜半、
住吉明神のご出現があり、
翌年四月十三日にも異国 船来襲の調伏祈願の折にご出現され、
このため一宇の小社を建立し住吉三神をお祭りしたことによります。

室町時代の応永二十三年(西暦一四一六年)
正月十四日夜の 御神託により、
翌年八月二十九日に牛頭社地(現、住吉神社)で
新社建 立・ご遷座の儀式を終え、
ここに住吉三神は牛頭社(現、須賀神社)と相並んで、
当地の産土神として尊崇されるようになりました。

住吉三神は、『日本書紀』神代巻には、
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が
筑紫の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の
檍原(あわぎはら)で、 御身の濁穢(けがれ)を禊祓われた時に
出生された神と記されています。

内書巻九や『古事記』によると、
神功皇后が応神天皇を胎内に宿したまま新羅に遠征された折り、
住吉三神は
「和魂は王身の命を守り、荒魂は先鋒として軍船を導くであろう」
と申され、その霊験あらたか新羅軍を破り、無事帰国されました。

その時、神功皇后は当地の小戸付近の浜に上陸し
濡れた袙(あこめ)の御衣を乾かされたので
袙ヶ浜(後、転じて姪浜)といい、
宇美において応神天皇を出産されたと伝えられています。

また伊弉諾尊が禊祓をされるとき河童が現われ、
道案内のお手伝いをしたことにより除災招福の神の使いに
なったという伝承があります。

御祭神
住吉三神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)
神功皇后
志賀三神(底津綿津見神、仲津綿津見神、表津綿津見神)
武内宿禰

御利益
家内安全・海上安全・交通安全・開運
厄除け・災難除け・安産・商売繁盛など

鎮座地
福岡県福岡市西区姪の浜3-5-5


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2021年11月03日

【到津八幡神社】 福岡県北九州市




到津八幡神社(いとうづはちまんじんじゃ)

神功皇后が三韓征伐の後、
宇美の里で御子応神天皇をお産みになり豊浦宮へお帰りの時、
御座船を当地に着けられました。

後に一祠を建て皇后の和魂をお祀りしたのが
到津八幡神社の起源といわれています。

神功皇后の御霊をお祀りしたことから、
人々は安産を願うようになりました。

社前の川水を汲み、
産湯として使われるようになったといわれています。

現在、この川は板櫃川という名称ですが、
別に「産川(ウブカワ)」とも云います。
また、川の付近には「産川町」という町内もあります。

文治4年(1188年)宇佐八幡大神を勧請し、
祭祀には宇佐の支族が任ぜられました。

永禄4年(1561年)大友義鎮が
宇佐宮を攻め廟社堂一宇も残らず焼きはらいました。

やむなく、宇佐宮の神官・社僧は神輿を守護し奉り、
天正11年(1583年)までの23年間、神璽を到津社に遷座しました。

以後、細川氏・小笠原氏の篤い崇敬を受け社殿等の改築がなされ、
現在に至っています。
旧社格:縣社

御祭神
応神天皇
神功皇后
宗像三女神(多紀理比賣命・多岐都比賣命・市寸嶋比賣命)
豊日別命

御利益
安産守護、開運厄除け、家内安全、除災招福、子どもの成長守護、
水陸交通の安全など

鎮座地
福岡県北九州市小倉北区上到津1丁目8−1


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2021年11月02日

神仏習合の信仰を今に伝える【全国妙見総本宮】足立山 妙見宮(御祖神社)



称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)
太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが
相応しいというお告げが出た。

それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公に勅命をだし、
神のお告げが本当であるかを確かめる為、
宇佐神宮へ行くよう命じた。

その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」という
お告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、
清麻呂公を鹿児島に追放しようとしました。

その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、
道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、
数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。

その神告に従い清麻呂公は、
現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、
たちどころに足の傷が治った。

そこで、公は、近くの足立山に登り、
造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。
すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。

770年光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となった。
また、道鏡は、下野国に流され、公は、平城の京に呼び戻された。
公は、四男磐梨為綱(出家して妙運)を造化天神降臨の地、足立山に送り、
足立山妙見宮を創建しました。
旧社格は県社。

主祭神五柱
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神(造化三神)
鐸石別命、和気清麻呂公命(正一位護王大明神)

配祀神
神武天皇、日本武尊、大穴牟遅命、伊邪那岐命、伊邪那美命、
弥都波能売神、大山祇命、高淤加美神、闇淤加美神、綿都美神、
吉備津毘古神、大毘古神、岩長比売神、建沼河別神、道主神、
須佐之男神、少那彦名神、猿田彦神(大歳神、事代主神)

ご利益
健脚健康、健康長寿、病気平癒、安産、家内安全、商売繁盛など

鎮座地
福岡県北九州市小倉北区妙見町17−1


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2021年11月01日

【青木天満宮】福岡県久留米市



『社方開基』によると、
老松宮の「社領弐拾五町、天正年中まであった」
と申し伝えています。

青木天満宮の建立は、一の宮の南方、
広々とした田園に囲まれた老松茂る場所に
後二条院の御宇正安2年(1300)に
当村の領主堀右京進が天満宮を勧請したのが始まりです。

社号を老松宮とつけ、
寛永年間には久留米藩有馬氏より社領200石の寄進を受け、
慶応4年(1868)に天満宮と改称しました。 

明治6年3月14日に郷社に被定され、
現在でも青木之荘総鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めています。

主祭神 
菅原道真公(菅原大神・天満大自在天神)

相殿神 
住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)
八幡大神(神功皇后・息長帯比売命)

ご利益
合格祈願、学業成就、五穀豊穣、技芸・芸能など

鎮座地
福岡県久留米市城島町上青木953


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