2020年08月06日
【須佐能袁神社】福岡県久留米市の神社
須佐能袁神社(すさのおじんじゃ)は、
建久八年(1197年)平家討伐に軍功があり、
源頼朝から筑後国在国司・押領使に任じられていた
竹井城主草野太郎永平が京都の八坂神社より勧請し、
創建したと言われます。
当時、草野祇園社といい、
草野家代々の守護神として
崇敬厚く奉祀してきました。
後に草野家は発心城に移り、
その後下って天正十五年(1588年)、
豊臣秀吉が九州平定の折り、
蜂須賀阿波守(はちすがあわのかみ)に命じ
草野家の末裔である草野家清を熊本の南関に誘い、
家清は誘殺されました。
ここで、二十余代、約四百年続いた草野家が滅亡し、
代わって草野町民の手により今日まで氏神として
奉祀してきました。
神仏混合時代には勝光山祇園寺と呼ばれていました。
明治4年に神仏分離の政令により、
今の須佐能袁神社(通称:ぎおんさん)
と称するようになりました。
御祭神
主祭神:素戔鳴尊
右殿:天照大御神・左殿:菅原道真公
鎮座地
福岡県久留米市草野町草野443−2
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