2020年06月23日
龍神が集まるパワースポット【志賀海神社】福岡県福岡市の神社
福岡市東区志賀島(しかのしま)に鎮座する志賀海神社は、
伊邪那岐命の禊祓によって出現した綿津見三神を奉斎している神社です。
式内社(名神大社)。旧社格は官幣小社
現在は神社本庁の別表神社。
神代より「海(わたつみ)神の総本社」「龍の都」と称えられ、
古代氏族の阿曇氏(安曇氏)ゆかり地として知られる。
玄界灘に臨む海上交通の要地 博多湾の総鎮守として
篤く信仰されてきました。
御祭神
左殿:仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)
左殿相殿:神功皇后(じんぐうこうごう)
中殿:底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)
中殿相殿:玉依姫命(たまよりひめのみこと)
右殿:表津綿津見神(うはつわたつみのかみ)
右殿相殿:応神天皇(おうじんてんのう)
綿津見三神は伊邪那岐命の禊祓の際にご出現された
禊祓(みそぎはらい)の神様です。
黄泉の国より戻られた伊邪那岐命は
日向橘の小さな小門の阿波岐原で禊祓をしました。
この時、海の底の方に潜った時に生まれたのが底津綿津見神、
中ほどにいた時生まれたのが仲津綿津見神、
水の表面で生まれたのが上津綿津見神です。
◆御神徳
海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒
健康長寿、家内安全、子供守護
歴史
志賀海神社の創建は明らかではありませんが、
古くは志賀島北部の勝馬に「表津宮」「仲津宮」「沖津宮」
の三社が建てられ、それぞれ
「表津綿津見神」「仲津綿津見神」「底津綿津見神」
が祀られていました。
二世紀から四世紀の間に
表津宮を勝山の麓である現在の場所に遷座し、
併せて仲津綿津見神、表津綿津見神が奉祀されたと
伝えられています。
綿津見三神を祖神とする阿曇族が代々奉斎してきました。
大同元年(八〇六年)に阿曇神に神封八戸が寄進され、
貞観元年(八五九年)に従五位上の神階が授けられました。
南北朝の頃には衰微しましたが、大内持世が再興し、
さらに豊臣秀吉が50石を寄進しています。
小早川隆景、黒田長政なども崇敬していました。
志賀島に残る数々の神功皇后伝説
神功皇后は三韓出兵に際して、
志賀島の阿曇磯良(あづみのいそら)を召されました。
そして龍神より干珠満珠を授かり、
無事に三韓を平定して帰還されました。
志賀海神社にはその様子を描いた
神功皇后出兵絵巻が残されています。
志賀島には神功皇后伝説にちなんだ地名が多く残っています。
阿曇磯良を海国から召し出そうと
7日7晩神楽を奏したところが舞能ヶ浜、
志賀島にお着きになり願いがかなったと仰せられたところが叶ヶ浜、
皇后が馬から下りられたところが下馬ヶ浜、
志賀大明神に奉賽した際に馬が喜びいなないたので
勝馬となったといわれています。
また志賀海神社裏手の山を勝山と称され、
そこに櫂を奉られました。
鎮座地
福岡県福岡市東区志賀島877
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