2020年06月11日
【中津隈宝満神社】佐賀県三養基郡みやき町の神社・古墳
■中津隈宝満神社
宝満神社は、聖武天皇の天平4年(732年)に
筑前国竃門山宝満宮(現太宰府市)の神霊を勧請、
松本に神社を建立しました。
弘仁4年(810年)に現在の地に社殿を移し、
北茂安では千栗八幡宮に次いで古い創祀です。
その後山王社・太宰府天満宮を勧請したと
由緒年紀に記してあります。
戦国時代、この周辺は板部氏の所領でした。
その後いったんは西島領主・横岳氏に移りましたが、
元亀3年(1572)に龍造寺隆信が横岳氏を攻め、
神埼の崎村城にいた犬塚家広が
「西尾城攻め」の守りとして崎村城を支城にし、
ここを本城として築かれたと言われています。
しかし、龍造寺氏が衰退し、
鍋島氏が勢力を増すと犬塚氏も鍋島氏に
仕え、この地から小城に去ってしまい、
やがて城も廃れていきました。
今でも中津隈西地区には
「タチ」「タチボリ」「カマウチ」「クラヤシキ」等の
城址を示す地名が残っています。
現在の社殿は中津隈城址に建てられています。
旧社格:村社。
御祭神:玉依姫命、大山咋命、管原道真
■中津隈前方後円墳
前方部は中津隈宝満神社本殿により削平を受けており、
高さ約7m、直径約36mの後円部のみが現存しています。
表層から確認されている埴輪や須恵器などから、
5世紀中頃から後半に築かれたものと推察され、
この地方の豪族の墳墓と考えられています。
この場所から西の方角に2キロ行った上峰町には
応神天皇の皇曾孫、都紀女加王(つきめかおう)王墓があり、
関係があるのではないかと言われています。
拝殿の東南側、露出している横穴式古墳の石室があり、
5世紀後半から6世紀にかけてのものと推測されています。
鎮座地
佐賀県三養基郡みやき町中津隈3792
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