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2021年04月19日
【深江神社】福岡県糸島市
深江神社(ふかえじんじゃ)
由緒
建久八年(1197年)
高祖城主原田種直公は、原田家再興の守護神として、
竃門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、
境内の面積などが狭く、
建仁三年(1203年)深江現在地に御奉遷鎮座された。
これが深江神社の起源です。
降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の折り
天正二十年八月(1592年)深江神社に参拝された時に、
奇しくも秀頼公誕生の報を受け、秀吉公恭悦斜ならず、
深江神社は秀頼公の産神なりと思召された。
早速、時の領主小早川隆景公に命じ、御社殿を再興させられ、
なお、秀頼公誕生を祈念して深江神社の宮司の坊を
誕生山神護寺秀覚院と改号された。
隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが
現在の第二の鳥居がそれである。
慶長十八年(1613年)唐津領主寺沢志摩守は深江神社に
百間四方の社地を寄進され、なお大久保加賀守の代に至るまで、
年々米二石の献納が行われた。
享保二年(1717年)中津領となってからは
怡土郡西十四ヶ村の総宗廟として、近郷近在の尊崇厚く、
秋の神幸祭は殷賑を極め、大正初期までは流鏑馬行事も行われ、
盛大な神事であった。
旧社格:村社。
御祭神
玉依姫命(宝満宮 竈門神社)
菅原道真(太宰府天満宮)
御利益
子宝、安産守護、豊作豊漁、殖産興業、商売繁盛、開運・方位除け
悪病・災難除け、受験合格、芸能、学問上達、病気平癒など
鎮座地
福岡県糸島市二丈深江853
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【櫻井神社・櫻井大神宮・筑前二見ヶ浦】福岡県糸島市
櫻井神社 由緒
櫻井神社の創建の基は、
慶長十五年(1610)六月朔より二日の暁にかけて、
大雷雨が起こり突如電光一閃のうちに岩戸神窟が開け、
ご神霊が顕現されました。
それから、様々な霊験あらたかなことが起こり、
それを聞き及ばれた福岡藩二代目藩主黒田忠之公は
家臣を二回に渡り遣わして問われるに、
その答え寸分も違わず御験(みしるし)があったので、
益々ご神威に感謝され、
寛永9年(1632)に現在の豪華絢爛なご社殿をご創建されました。
旧社格:懸社
櫻井神社本殿奥にある「岩戸宮」はかつて古墳の石室でした。
1610年の大豪雨の日に神宿が宿ったと言われています。
御祭神
與止姫大明神:八十枉津日神(やそまがつひのかみ)
神直日神(かむなおひのかみ)
大直日神(おおなおひのかみ)
主祭神である八十枉津日神は災厄を司る神様で、
「瀬織津比売神」と同神とされています。
神直日神・大直日神は災厄を祓い清める神様です。
島岡大明神
(櫻井神社をご創建されました福岡藩二代目藩主黒田忠之公のご神霊)
合祀
八所産土大神(やところうぶすなおおかみ)
久保宮・西宮神社・熊野宮・伊牟田八幡宮・谷熊野神社・木浦神社・梅宮・末松神社の桜井各地に祀られていた神々で明治に入り合祀されました。
御利益
諸願成就、大漁満足、除災厄除、良縁成就、夫婦円満など、
あらゆる縁を結ぶご利益があります。
櫻井大神宮 由緒
櫻井神社ご祭神のご神託を受けられた黒田忠之公が
櫻井神社創建前の寛永二年(1625)に岩戸神窟の西南の地、
光寿山(こうじゅさん)へ神明造り茅葺の社殿を造営し、
伊勢神宮の祀官橋本氏により、
伊勢神宮の内宮・外宮の両宮の分霊を奉じさせ、
鎮座頂いたことがご創祀です。
内宮・外宮を一宇に合祀された本殿の千木は
向かって右が内削ぎで内宮(天照大御神)を現し、
向かって左が外削ぎで外宮(豊受大御神)を現している
櫻井大神宮独自の建築様式です。
伊勢神宮と同じく本殿・中殿・拝殿が
一直線に建ち並ぶ様式になっています。
当宮も伊勢神宮のご遷宮に倣い、宮地を2か所に定め、
20年ごとに式年遷宮を執り行っておりましたが、
第13回目にして止まり、
現在の社殿は慶応二年(1866)のものです。
御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
豊受大御神(とようけのおおみかみ)
鎮座地
福岡県糸島市志摩桜井4227
筑前二見ヶ浦
二見ヶ浦は櫻井神社の宇良宮(うらのみや)として、
伊弉諾命(いざなぎのみこと)と、伊弉冉命(いざなみのみこと)
をお祀りしています。
伊勢の二見ヶ浦の朝日に対して
夕陽の筑前二見ヶ浦といわれています。
縁結びや夫婦円満、厄除けのご利益があると言われ、
パワースポットとしても知られています。
2021年04月14日
柳川総鎮守 【日吉神社】 福岡県柳川市
社伝によると、
鎌倉時代の正応3年(1290年)に
近江の日吉大社を勧請したのに始まる。
御祭神は、大山咋神。
明治以前は山王宮、山王大権現と称した。
もとは社村の農長が勧進し、社村の産土神となったが、
その後蒲池氏が柳川城を社村に築いた際、柳川城の鎮守となった。
蒲池氏滅亡の後は立花宗茂や田中吉政によって神領が保護され、
特に元禄9年(1696年)には社殿の再興が図られるなど、
代々の藩主の尊崇を集めた。
『柳河明証図会』によれば、神宮寺として最勝院があった。
明治の廃仏毀釈により最勝院は廃寺となった。
『筑後地鑑』によれば、「柳川市朝之鎮守」とあり、
今でも柳川総鎮守として崇敬されている。
旧社格:縣社
御祭神
大山咋神
御利益
五穀豊穣、地域振興、地域安全、家内安全
交通安全、厄除け、開運
鎮座地
福岡県柳川市坂本町7