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2021年04月27日
道開きの神・芸能の神 【荒立神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町
荒立神社(あらたてじんじゃ)
猿田彦命(さるたひこのみこと)と
天鈿女命(あめのうずめのみこと) の2柱を主祭神とし、
大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖を祀る。
猿田彦命は記紀に天孫降臨の際、
瓊々杵尊(ににぎのみこと)の道案内をした神であると記され、
道開きの神として知られ、
また、天鈿女命は同じく記紀に天照大神が天の岩戸に隠れた際に、
楽しげに舞い踊った芸能の神として知られている。
猿田彦命と天鈿女命が結婚し荒木を利用して急いで宮居を造ったため、
荒立宮と称しました。
御祭神
猿田彦命、天鈿女命
大年神、迫天満、当地一帯に住む興呂木(こおろぎ)家の先祖
御利益
縁結び、夫婦和合、安産、交通安全、五穀豊穣、商売繁盛、厄除、
長寿祈願、芸事の上達、厄除け、子宝、長寿など
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井667
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2021年04月21日
恋愛成就のパワースポット 【小一領神社(恋一路神社)】 熊本県上益城郡山都町
小一領神社(こいちりょうじんじゃ)
實仁二年(1018)、
阿蘇友仲公により、宮原(浜町)に阿蘇神社の末社として、
「柳本大明神」(やなぎもとだいみょうじん)の名で
創建されたと伝わる。
名前の由来は神社の横に大きな柳の木があったためだと云われている。
天文五年(1536)
大宮司阿蘇惟豊公は嫡男の千寿丸(のちの惟将)を
十七歳で初陣総大将に奉じ、御船城主、御船房行の謀反に対して、
数千の軍勢を率いて出陣する折(十一月十日)、
「柳本大明神」で戦勝を祈願して、「小型の鎧一領」を奉納し、
出陣式を境内で行った。
千寿丸の介添え役だった甲斐親直(のちの宗運)が、
みごと房行を打ち滅ぼし凱旋すると、
惟豊公は今度の戦勝は「柳本大明神」のご加護の賜物として、
社殿を造営し八十町を社領として寄付した上、
社号を「小一領大明神」と改称された。
天正十三年(1585)阿蘇家が島津氏の侵略を受け、
その後、豊臣秀吉の九州征伐で島津家は追い払われたが、
阿蘇家の所領が復帰することなく、
天正十六年(1588)、佐々成政に続いて、
小西行長が肥後半国の国主となるとキリシタン家臣だった
結城弥平次(やへいじ)が矢部城(愛藤寺城)の城代となり、
小一領神社もほかの神社仏閣と同様に焼き払われたと伝わる。
慶長五年(1600)加藤清正が国主となり、
慶長十八年(1613)初代矢部郷の大庄屋に任命された、
井手玄畜充政次(げんばのじょうまさつぐ)により
元和七年(1621)に現在の地に再建された。
御祭神は、
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたものみこと)
御利益
縁結び、勝負運、良縁、縁切り、家内安全、厄災除けなど
"こいちりょう"という神社の名前が、
次第に"恋一路"という呼び方に変わり、
恋の成就神社として親しまれるようになりました。
本殿の周りには"ハート"のマークがちりばめられています。
鎮座地
熊本県上益城郡山都町浜町251
清和文楽発祥の地【大川阿蘇神社】熊本県上益城郡山都町
大川阿蘇神社は、『国郡一統誌』には、
「姫宮大明神」として「阿蘇二宮或云大河大明神」と記されている。
また、『肥後国誌』でも「姫大明神」として記され
阿蘇都比当ス(あそつひめのみこと)を祀っていました。
神社にある『由緒記』によると、
この地は健磐龍命が阿蘇に下向する折、
しばらく行宮とし、
鏡と剣を納めて万民を撫育された地とされる。
以来、寛平二年(890)大神を勧請し、
更に寛仁四年(1020)神託により神祠を改築し、
阿蘇十二神を合わせ祀るようになった。
しかし、天正年間(1573-1591)島津勢のために
信者の財産、宝器が略奪され、
更に小西行長の神社仏閣破却の兵火により建物や古文書など
ことごとく焼失したが、
幸い十二宮の神鏡と嘉吉三年(1443)再建の棟札は焼け残りました。
一度神社は荒廃しましたが、寛文二年(1662)に遷宮式を行い、
元禄十一年(1698)社殿を造営して再興され、
以来、近隣六ヵ村の産土神として栄ていると記している。
御祭神
健磐龍命、阿蘇都媛命、国龍神、比東芬q神、彦御子神、若比盗_、
新彦神、新比盗_、若彦神、彌比盗_、国造 速瓶玉命、金凝神(綏靖天皇)
の阿蘇十二神
ご利益:厄除・健康・学業成就・縁結び他
「文楽の里」とも呼ばれている清和。
地域の伝統文化として大切に守られているのが「清和文楽」。
その発祥の地が「大川阿蘇神社」です。
清和文楽は、江戸末期の嘉永年間(1850年ごろ)に、
この地を訪れた淡路の人形芝居の一座から村人が人形を買い求め、
技術を学んだのが始まりだと伝わっています。
農家の人々で一座を作り、畑仕事の合間に練習を重ねながら、
「大川阿蘇神社」の農村舞台で奉納芝居を上演していました。
それは今も続く伝統です。
明治時代に建てられ、昭和28年に現在の地に移築された「農村舞台」は、平成17年に国の登録有形文化財に指定されました。平成25年には梁や柱の骨組みを残して、当時の材料と同じものを調達して補修され、今も現役の舞台として使用されています。
奉納文楽は一時途絶えましたが、平成5年に復活。
現在は、9月に例大祭、10月には「薪文楽」で、
人形浄瑠璃を農村舞台で上演しています。
鎮座地
熊本県上益城郡山都町大平120