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2021年04月28日
【龍神】 八大龍王水神
天孫降臨の地、高千穂にある龍神をお祀りする
【八大龍王水神】
一説には、古事記が編纂された八世紀頃には、
すでにこの地に水神様が祀られていたとの伝承も有り、
少なくとも一千三百年以上の歴史があると云われています。
古くは「イゴ様」として崇敬されていました。
八大龍王神は観世音菩薩の守り神、水神、
天龍八部衆(仏法を守護する8神)に属する龍族の八王
元来、水に関わる自然を司る神として、
雨乞いや河川氾濫の防止などの願いを捧げられてきた八大龍王ですが、
近年では商売繁盛や勝負事の祈願にスポーツ界、会社経営者など、
勝利・成功を願う方々が全国から参拝に訪れています。
御祭神
八大龍王神
(難陀、跋難陀、娑伽羅、和修吉、徳叉迦、阿那婆達多、摩那斯、優鉢羅)
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸6521
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2021年04月27日
【天岩戸神社 西本宮】 宮崎県高千穂町
天岩戸神社 西本宮
【高千穂パワースポット】神社・御朱印巡り
天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、
岩窟(天岩戸)を神体とするのは、
古くからの信仰形態を示すものであるとされる。
社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、そ
の古跡に鎮祭したのが起源であり、
弘仁3年(812年)に大神惟基によって再興されたが、
戦国時代にたびたび焼失したという。
元禄4年(1691年)にまとめられた寺社明細記録『高千穂旧記』には
「天ノ岩戸」についての記述の中に
「拝殿有、四方見通に建たり、前ニ鳥居有」とあるのみで神社としては
記載されておらず、簡素な遥拝所としての造りであったと考えられる。
その後棟札によると、宝永4年(1707年)に荒廃した社地を整地し、
文政4年(1821年)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。
天保8年(1837年)にこの地を訪れた松浦武四郎が
紀行文(『西海雑志』)に記した「道の傍に二間に四間の遥拝所あり」が
それを指していると考えられる。
天保12年(1841年)にこの地を訪れた豊後の医師賀来飛霞は
その紀行文(『南遊日記』)に、
「殿アリ扁シテ(扁額に)天磐戸ト書ス」と記している。
『日向地誌』でも、
明治4年(1871年)に「天磐戸神社」と改称されるまでの旧称は
「天磐戸」(神社とは書かれていない)としている。
明治6年(1873年)村社に列し、同30年に社殿の造営が行われた。
御祭神
大日霎尊(おおひるめのみこと 天照皇大神)
御利益
諸願成就、開運除厄など
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町岩戸1073番地1
天孫降臨の山を御神体とする【二上神社】宮崎県西臼杵郡高千穂町
二上神社(ふたがみじんじゃ)は二上山を御神体として
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)を
御祭神として祀る神社です。
高千穂の神奈備山(かんなびさん)、
神宿る山として信仰されている二上山は
高千穂町と五ヶ瀬町の境界に位置し、
南西の男嶽、北東の女嶽からなり、
二上神社は女嶽北東に鎮座する。
二上山は「日本書紀」に記された天孫降臨の山とも言われ
「日向風土記」逸文に出てくる高千穂の二上嶽であると伝えられる。
古来より霊山として信仰があり
山中に二上大明神の祭祀場があったが山が深く冬は雪が多いため
北東の二上神社、
南西の中登神社(ちゅうのぼりじんじゃ)に分かれ祀り、
醍醐天皇の御代昌泰元年(八九八年)に
現在の地に創立されたと伝えられる。
その後中登神社の御霊は、
五ヶ瀬町内の数社を統合合併して新たに造られた
三ケ所神社へ遷された。
明治4年に山附神社、
更に明治34年1月29日に二神神社と改称、
昭和9年には二上神社に復した。
旧社格:村社
また、高千穂町大字押方に嶽宮神社、
五ヶ瀬町大字桑野内に桑野内神社が創建され現在に至っているが、
現在はそれぞれ独立した神社となっている。
御祭神
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冊尊(いざなみのみこと)
相殿
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
天満大自在天神(菅原道真公)
御利益
縁結び、夫婦円満、子孫繁栄、健康長寿、ほか
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字押方2375-1