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2021年06月01日
装飾古墳 【チブサン古墳・オブサン古墳・弁慶ヶ穴古墳】 熊本県山鹿市
●御霊塚古墳(ごりょうづかこふん)
熊本県山鹿市熊入町
全長35.5m、後円部直径22m、前方部幅21mの
前方後円墳です。盾形の周溝をもっていた古墳です。
解説板がなく築造年代等詳細は不明です。
●弁慶ヶ穴古墳(べんけいがあなこふん)
熊本県山鹿市熊入町字竹の下
現在の規模は直径約15m、高さ約5.7mの円墳であるが、
もとは前方後円墳であったとする説もある。
石室の全長は約11.5m、後室の天井の高さは約3.6m。
築造年代:6世紀後半
国の史跡指定
古墳時代後期の装飾古墳。
巨大な凝灰岩を用いた前室・後室の複数の横穴式石室を設け、
西向きに開口している。
石室入口に人物の彫刻があるほか、
前室右壁には赤色でゴンドラ型の船を上下に二艘描き、
そのひとつには馬を、もうひとつには荷物と
その上に鳥が乗っている様子を描いている。
この荷物を柩と見ることにより、
舟葬思想(死後の世界を海の彼方にあると考え、
遺体を舟に乗せて葬るという考え)
を裏付けるものとして注目されている。
他にも大小5頭の馬と鞭らしき物を持った
人物像、同心円、三角文などを主に赤色の彩色を用いて描く。
現在はとくに彩色の褪色が著しいため
見学は厳しく制限されているが、
熊本県立装飾古墳館に実物大の模型が展示されている。
出土遺物は鍔、雲珠、鉄鏃、金環など。
●オブサン古墳
熊本県山鹿市城
墳丘は、復元前は直径12m、高さ4mの残丘となっていましたが、
調査の結果、築造時は、直径22m、高さ5mの周囲に
馬蹄形状の周溝を巡らす円墳であることがわかった。
石室開口部にはハの字にやや開く前庭部を設けているが、
墳丘内側だけでおさめるのでなく、
円形の墳丘から2つの矩形の突出部を張り出させることにより、
間口4.5メートルで羨門まで奥行8メートルの前庭部を
確保している。
南に開く横穴式石室は複室構造で、
奥室には石材は残っていないが石屋形があったことが判明した。
石室の全長は、羨門から奥壁までで約8.5メートル、
前庭部の8メートルを加えると16.5メートルとなる。
奥室屍床を画する仕切り石に赤彩の連続三角文が、
奥壁にもかろうじて赤彩の小型の靭もしくは盾が認められたが、
現在は、肉眼では判読できない。
本来は奥室には装飾豊かな壁画が描かれていた可能性が高い。
鉄地金銅張りの馬具等が出土している。
6世紀末から7世紀初めにかけて築造された
オブサン(産さん)古墳の名称も、
チブサン古墳(乳の神様)に関連づけて命名されたものらしく、
昔から安産の神様として信仰されてきた。
●チブサン古墳
熊本県山鹿市城
前方後円墳
全長約45メートル、後円部の直径23メートル、高さ7メートル、
石室は羨道から奥室まで約6メートル、前室は1.9メートルの方形、
後室は奥行き、幅とも3.6メートルの隅丸方形である。
後室の奥壁沿いに長さ2.3メートル、奥行き0.9メートル、
高さ1.4メートルの寄せ棟造りの家形石棺が置かれている。
築造年代:6世紀初頭
石室内の石屋形(いしやかた)内壁と屋根の軒部前面に
装飾文が描かれている。
内側石の上段に白の円文7個、
下段に冠をつけ両手、両足を広げた人物像と
その右に三角文を白色で、その他は赤色で塗っている。
正面の側石に三角文・菱形文を主体に正面中央に円文を描き、
赤・白・青の三色で塗り分けてある。
特に、中央に描かれている装飾の紋様が
女性の乳房に似ていることから、「乳の神様」(別称)
として現在に至るまで崇められている。
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2021年05月06日
熊本地震の甚大な被害から復旧が進む【木山神宮】初代神武天皇〜第29代欽明天皇を祀る【津森神宮】熊本県上益城郡益城町
●木山神宮
天正13年(1585)の島津軍の焼打ち、
寛保2年(1742)の木山町の大火により旧記や文献、
その他資料が失われているため、創建や祭礼の多くは不明である。
文政6年(1823)の「寺社木末間数改帳」からは、
自然神として五穀豊穣や無病息災を祈願するために創建されたと
考えられている。
中世期には阿蘇神社の末社となり
天照大御神から神武天皇までの6代の神々の六の宮を勧請し、
「木山宮六宮殿大明神」と称している。
鳥居・神門・拝殿・本殿はいずれも
平成28年度熊本地震によって倒壊した。
神殿は、今年12月に復元の予定
御祭神
天照皇大神、天忍穂耳尊、 邇邇藝尊、穂穂手見尊、
鵜葺草葺不合尊、神武天皇、
相殿:豊受大神、天宇受賣命、猿田毘古神、大己貴神、少彦名神
鎮座地
熊本県上益城郡益城町木山281
●津森神宮(つもりじんぐう)
欽明天皇二年(540年)
神武天皇の神霊神勅により
時の国司・藤原法昌により創祀せられました。
往来此の辺りは入り海の津でしたが、
神武帝の霊体出現時よりたちまち森となり、
此の地は 「津森」と言われ宮所の名となっています。
当初は、今より南東の丘の上に本宮があり、
今も 「影向石(ようごうせき)」と言い史跡となっています。
宝治元年(1247年)、
時の将軍源の頼嗣が今の所に宮所を遷し社を建立しました。
安土桃山時代末期小西行長の兵乱により
領内は悉く焼かれ神田社領も没収せられました。
現在の社殿は、その後再建されたものです。
御祭神
主祭神:神武天皇、媛踏鞴五十鈴姫命、鸕鷀草葺不合尊、玉依姫
配祀
綏靖天皇、安寧天皇、懿徳天皇、孝昭天皇、孝安天皇、孝霊天皇、
孝元天皇、開化天皇、崇神天皇、垂仁天皇、景行天皇、成務天皇、
仲哀天皇、応神天皇、仁徳天皇、履中天皇、反正天皇、允恭天皇、
安康天皇、雄略天皇、清寧天皇、顕宗天皇、仁賢天皇、武烈天皇、
継体天皇、安閑天皇、宣化天皇、欽明天皇、神功皇后、廣國押武金日命、
建小廣押楯命、加美野尊、雨宮神、健磐龍神
御利益
家内安全 商売繁盛 五穀豊穰 無病息災 その他
鎮魂八神(西末社)
高産日神、神産日神、魂留産霊神、生産霊神、
足産霊神、大宮賣神、事代主神、御膳神
御利益
受験合格、必勝祈願、学業上達、安産、旅行安全、
病気快復、縁結び、子宝授け、目標達成など
天照皇大神(東末社)
天照皇大神、倉稲魂命、十一面観音
御利益
国土安泰、福徳、開運、勝運、五穀豊穣、商売繫盛、
社業繁栄、無病息災、財福など
水神さん
御祭神:弥都波能売神(みずはのめのかみ)
鎮座地
熊本県上益城郡益城町寺中708
2021年05月05日
菊理媛命 【白山姫神社】 熊本県阿蘇郡西原村
由緒
後花園天皇の御代、宝徳2年(西暦1450年)に
肥後国守 阿蘇惟村公の勧請により
加賀国一宮 白山比盗_社(現 石川県白山市)より
御分霊 菊理媛命(くくりひめのみこと)を
現在の西原村河原 小野地区に奉斎したのが始まりで、
後に速玉男命(はやたまおのみこと)と事解男命(ことさかおのみこと)
を合祀しました。
御祭神 菊理媛命は白山姫大神として全国各地に広くお祀りされ、
生活守護神であることから『いのちの親神さま』と仰がれ
信仰されています。
鎮座地
熊本県阿蘇郡西原村河原750