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2021年06月21日
【上色見熊野座神社・穿戸岩】 熊本県阿蘇郡高森町
●上色見熊野座神社 由緒
『阿蘇大明神の荒人神、石君大将軍八葉の兜の中に出現のニ神は
熊野大明神なり』という伝説によって、
享保7年(1722年)阿蘇南郷地区の総鎮守として社殿を建立しました。
洞窟のある所に一社建立、熊野穿戸社と崇めました。
伝説では、そこに大鳥二羽が翔来し、
榊の枝をもって山の東麓を指して飛び、洞窟のある所に止まり、
そこに熊野穿戸社を建立し石君と同じく南郷の鎮守として
祀ったといわれています。
御祭神
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
石君大将軍(健磐龍命《たけいわたつのみこと》の荒魂)
御利益
縁結び・商売繁盛など
●穿戸磐(うげといわ)
鬼八法師の伝説
弓の達人であった阿蘇大明神の健磐龍命は、弓を楽しみ、
阿蘇の山頂より矢を放ちます。
従者であった鬼八法師は、まるで飛んでいるかのように足が速く、
主人の矢を拾っていましたが、矢を拾うのに飽き飽きして、
百本目の弓矢を拾ったとき、矢を足の指に挟んで
健磐龍命に向けて投げ返します。
健磐龍命は、その失礼に怒って、鬼八に斬りかかります。
鬼八は逃げ回るものの、阿蘓は山に囲まれているため、
山にぶつかって逃げ切れません。
上色見の外輪山を越えて逃げようとしますが、
岩壁に逃げ道を失った鬼八は、岩壁を蹴破って逃げ去ります。
その時の穿った穴の跡が穿戸磐とされています。
鬼八は、山に突き当たるとそこを蹴ほいでひたすら逃げ回り、
その穴が各地に残っています。
穿戸磐は、巨大な岩山に大きな風穴が貫いていることから、
どんなに困難な目標でも必ず達成できる象徴として
『合格・必勝』のご利益があるといわれています。
鎮座地
熊本県阿蘇郡高森町上色見2619
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2021年06月16日
罔象女神【丹生神社】佐賀県嬉野市
丹生(たんじょう)神社
丹生神社は、奈良県吉野郡(大和国吉野郡丹生村長谷)鎮座の
丹生川上神社より分霊された。
元明天皇の御代和銅2年(709年)社頭造営の勅許を得て、
塩田郷馬場下村妙音山(現社殿裏)の山上に仮宮を創建されたことに
始まる。
仁明天皇承和2年(835年)、
奈良県吉野郡鎮座の丹生川上神社より分霊され、
肥前国塩田郷に御遷座し馬場主殿を神主とし、今日迄に至っている。
御祭神は、「罔象女大神」を奉斎し、
往昔は藤津の宗廟として、朝廷の尊崇深く、
広く塩田川流域住民の安寧と五穀豊穣の守護神として、
久しく崇敬されてきました。
塩田川沿いの丹生神社の総本社である。
旧社格:郷社
御祭神:罔象女神
御利益
祈雨、止雨、治水、農耕守護、商売繁昌、子宝、安産など
鎮座地
佐賀県嬉野市塩田町馬場下甲3657-3
2021年06月15日
日本三大稲荷 【祐徳稲荷神社】佐賀県鹿島市
伏見稲荷大社、笠間稲荷神社とともに
日本三大稲荷の一つに数えられ、
衣食住、生活全般の守護神として、
商売繁盛、家運繁栄などで尊崇されている。
別名『鎮西日光』と称される。
由緒
鹿島藩主鍋島直朝夫人で、
後陽成天皇の孫・左大臣花山院定好の娘の萬子媛(まんこひめ)が、
朝廷の勅願所であった稲荷大神の御分霊を勧請したのに始まる。
萬子媛が嫁ぐ際、父から稲荷大神の神鏡を授けられていた。
貞享4年(1687年)、石壁山に社殿を建立し、
萬子媛自ら奉仕していたが、宝永2年(1705年)、
石壁山窟の寿蔵にて、断食して入定を果たした。
以降、萬子媛の諡名から「祐徳院」と呼ばれるようになり、
祭神の稲荷神とともに萬子媛の霊験により信仰を集めた。
明治の神仏分離により仏式の行事を廃し、祐徳稲荷神社に改称した。
その際、萬子媛が入定した寿蔵は境内社の石壁神社とされ、
萬子媛に「萬媛命」の神号が贈られた。
御祭神
倉稲魂大神(ウガノミタマノオオカミ)
大宮売大神(オオミヤノメノオオカミ・天細女命)
猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)
御利益
商売繁盛、家運繁栄、縁結びなど、
さまざまなご利益が得られるそうです。
鎮座地
佐賀県鹿島市古枝乙1855