新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2021年06月24日
【下野八幡大神社】宮崎県西臼杵郡高千穂町
下野八幡大神社(しものはちまんだいじんじゃ)
建久三年(1192)岩戸山裏村(現在の上岩戸)二ツ岳に
顕現の正八幡を大神朝臣大太郎惟元が御神託をうけて奉祀したのが
創祀とされている。
社殿の創建は宝治二年(1248)勅命をうけ
比叡山延暦寺鶏足院から使僧普安歓心大師が下向、
翌宝治三年(1249)六月十六日
別当寺八幡山無量寿院鶏足寺とともに成就、
大神高千穂太郎政信公自ら四百余騎を引きつれて
祭礼を奉仕したと伝えられている。
その後社殿が大友宗麟の兵火で焼失する等の星霜を経て
明治維新に別当寺が廃寺となり、明治四年村社に列し、
昭和三年郷社となる。
御祭神
玉依姫命(たまよりひめのみこと)
品陀和気命(ほんだわけのみこと)
息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)
合祀
素盞鳴命(すさのおのみこと)
櫛名田姫命(くしなだひめのみこと)
ご利益
育児・安産・必勝など
境内には宮崎の巨樹百選に選ばれたケヤキ・イチョウ、
平家討伐のために椎葉へ向かう那須大八郎が必勝を祈願して
杉の穂を逆さに挿したといわれる「逆杉」、
延岡藩主・有馬左衛門佑直純公が島原出陣の際に必勝祈願で植栽した
「有馬杉」など、伝説の残る巨木が見られます。
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町下野559
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
四億年の雫【妙見神水・妙見神社】宮崎県五ヶ瀬町
妙見神水
この湧き水は今から約4億年の昔、
九州島発祥の地、祇園山の石灰岩層洞窟から、
妙見神社の一角に湧き出している湧水は
「四億年の雫 妙見神水」と呼ばれ、
古くから「授乳の神水」と伝えられ、
平成の名水百選にも選ばれています。
1日の湧水量:14,400トン
「妊婦が飲むと丈夫な子供が授かり母乳の少ない人が飲むと乳が良く出る」
と伝えられています。
妙見神社
貞観11年(870年)清和天皇時代に建立され、
水神様として崇められていたと伝わります。
鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町鞍岡5640
2021年06月23日
国龍大明神・罔象女命【白川吉見神社・白川水源】熊本県阿蘇郡南阿蘇村
白川吉見神社は阿蘇神社の末社として、
古代より水源の守護神として尊崇され、
境内の中央から涌水する大泉流は、
これより西方南郷谷及び菊池南部熊本飽託の肥後平野を潅流して
幾千ヘクタールの水田を養い湧水池は肥後名勝の一つに数えられた。
元禄14年(1701)6月、
第5代肥後藩主・細川綱利公が山狩の際参拝され
「当社は余が領地養田の源神で水恩広大である。速やかに社殿を修造せよ。」
と郡代に命じ造営されたと言う。
嘉永年間(1848〜1853)細川韶邦公(後に初代熊本藩知事)
又明治初年第14代護久公護美公が参拝され九曜紋章付きの社幕を
奉納された。
現在の社殿は明治41年火災により炎上したため
翌42年12月新たに造営竣工されたものである。
又当神社内の社木も昭和21年の台風により
樹齢数千年の老木数本が倒れ現在数となる。
明治初期熊本県が「白川県」と呼ばれたのも
又地名の「白川」村名の「白水村」もこの境内の湧泉より
名付けられたと言われています。
御祭神:国龍大明神、罔象女命
御利益
健康長寿、病魔退散、病気平癒など
白川水源(しらかわすいげん)
白川水源は、阿蘇カルデラ内の火山群(中央火口群)の
南の裾野である南阿蘇の代名詞とも言える水源で、
環境庁の名水百選に選ばれています。
常温14℃の水が毎分60トンも地底の砂と共に勢いよく湧き上がり、
熊本市内の中央を流れる一級河川白川しらかわの源となっています。
この湧水は「不老長寿」「所病退散」の御神水として
昔より語りつがれ尊ばれています。
鎮座地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村大字白川2040