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2021年06月26日
高千穂のパワースポット 【中畑神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町
中畑神社は、阿蘇神社の外宮で、
建磐龍命(たていわたつのみこと)が阿蘇に向かわれた際、
この地区にある国見ケ丘で国見された、
その時に設けられた行在所の跡地に社殿が建立されました。
旧社格 村社
御祭神の建磐龍命は、開拓の神様とも言われ、
何か新しいことを始める際にお参りすると良いそうです。
御神徳
交通安全、商売繫盛、家内安全、病気平癒、企業繁栄、武運長久、
開運招福、厄除招福、競技力向上など
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町押方6417
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2021年06月25日
天孫降臨の山が御神体【三ヶ所神社】宮崎県五ヶ瀬町
三ヶ所神社(さんがしょじんじゃ)
三ヶ所神社は古くから二上山天孫降臨の聖地の
山岳信仰に関わる神社です。
男岳と女岳の二つの頂をもつ二上山(標高1060m)の
男嶽の9合目に奥宮があり二上山を御神体とする。
今は里から祀ることが出来る様に現在地に移転。
伝承によると、三ヶ所神社は、
平安時代昌泰三年(900)に創建されたと伝えられる
旧社格:郷社
御祭神
伊邪那岐命(いざなきのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
合祀神
瓊瓊杵尊、猿田彦命、菅原道真公
ご利益
夫婦和合・縁結び、脳活性化、方除け・交通安全、学問成就など
本殿は、文政元年(1818年)に建立、
三間流れ造りで主要部が1本の大欅で作られた総欅造りで
74体の彫刻があり、特に脇障子の中国司馬遷の史記物語
「潁川に耳を洗う」、正面の海馬2体の彫刻は全国八万数十社ある神社で
三社しかないと云われている。
また龍の彫刻も4体あり、日光東照宮の龍にも匹敵すると云われる。
鎮座地
宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町三ヶ所8736
【ウガヤフキアエズノミコト吾平山陵伝説地】宮崎県高千穂
吾平山陵は天孫 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の孫、
鵜萱草不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の御陵墓と
伝えられています。
日本書紀に
「鵜萱草不合尊は玉依姫を妃となし、
彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命、神日本磐余彦尊(後の神武天皇)
をお生みになり、久しい後に西洲の宮におかくれになった。
それで、日向の吾平山陵(あひらやまのうえのみささぎ)に葬った」
と記されています。
古い文献には前方後円墳とありますが、
現在では、2基の円墳(高千穂11・12号古墳)と
考えられています。
この附近一帯には、縄文時代後期の陣内遺跡をはじめ
円墳、横穴墓があります。
古くから神話の里 高千穂を代表する大切な御陵として祀られており、
毎年四月一日に祭典が行われています。
吾平山上陵(あひらのやまのえのみささぎ)の伝承の地は南九州各地にあり、
宮内庁により鹿児島県鹿屋市吾平町上名字吾平山に治定されていますが、
日向国の人々からの反論が強く、
国学者や宮内庁の調査によって、鵜戸神宮背後の速日峯山上が
「御陵墓伝説地 吾平山上陵」の参考地とされている。
また、ここ高千穂町の吾平山陵とする説もある。
宮崎県西臼杵郡高千穂町三田井