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2021年07月20日
【熊野鳴瀧神社】 宮崎県西臼杵郡高千穂町
熊野鳴瀧神社(くまのなるたきじんじゃ)の
創建は定かではありませんが、
古伝によれば河内村の有藤氏の祖、栄四郎が
紀州の熊野の神社をあつく信仰し、本村に勧請したいと熊野本宮に、
7年の間参詣し続け、河内の総鎮守として奉斎したという
言い伝えがあります。
しかし、棟札によると八十八代後嵯峨天皇の乙巳(1269年?)
八月二十八日、三田井井城主、大神高千穂太郎が
造立したとも伝えられており、一定しません。
その後、宝暦八年(一四五六年)社殿を炎焼しましたが
同十年(一四五八年五月)再建しました。
文化三年(一八〇六年)六月に再建され、明治九年五月に改築しました。
『日向地誌』によると、
旧川内村には旧称熊野三社権現、旧称鳴滝六社大権現、
旧称北野天満宮の三社があり、明治4年にそれぞれ
中川内神社、上河内神社、下川内神社と改称して村社となりました。
明治四十年、この三社を中川内神社に合祀して、
熊野鳴瀧神社と改称しました。
熊野鳴瀧神社上宮の奥に「熊野鳴瀧神社上宮滝」があり
昔から牛馬の守護神として知られ、戦前までは村内の崇敬者はもちろん、
大分・熊本の人々がこの滝の水を牛馬に与え、安全と繁栄を祈念しました。
御祭神
伊弉冊尊(イザナミノミコト)
速玉男命(ハヤタマオノミコト)
事解男命(コトサカオノミコト)
山幸彦(彦火火出見尊ヒコホホデミノミコト)
豊玉比売尊(トヨタマヒメノミコト)
玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)
鸕鷀草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)
吾平津比売尊(アイラツヒメノミコト)
神武天皇(神日本磐余彦尊カムヤマトイワレヒコノミコト)
素戔男尊(スサノオノミコト)
菅原道真公(スガワラノミチザネコウ)
宇気母知命(ウケモチノミコト)
ご利益
縁結び、子孫繁栄、家内安全、武運長久、
厄除け、病除け、牛馬の守護
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字河内32-2
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【五穀神社】 福岡県久留米市
五穀神社(ごこくじんじゃ)は、
福岡県久留米市通外町にある神社。
御祭神は豊宇気比売神、
相殿には稲次因幡正誠公がお祀りされています。
創建は寛延2年(1749年)5月23日伊勢神宮の外宮より
五穀を司り給う神・豊宇気比売神の御分霊を勧請し、
相殿の稲次因幡公は享保13年に起きた久留米藩農民騒擾に際して、
その解決に一身を捧げた功績により祀られたものです。
神社本庁包括の神社。
鎮座地
福岡県久留米市通外町58
2021年07月08日
日本三大下り宮の一社 【草部吉見神社・日子八井命神陵】熊本県阿蘇郡高森町
主祭神は日子八井命で、
ほか健磐龍命、阿蘇都比当スなど十二神を併せ祀る。
日子八井命は、神武天皇の六十九年、
東征の時、日向高千穂より草部に入られ、
しばらく川走の窟(イワヤ)に住んだのち、
今の草部吉見神社の所にあつた池を干し宮居を定めた。
このとき襲ってきた大蛇を斬り、焼き、
大蛇が血を流しながら逃げて行つた所を血引原(現地引原)、
焼かれた所を灰 原と言い、今もこの地名が残つています。
大蛇の棲んでいた「吉ノ池」の水を東の谷に流し、
池を埋め立て宮殿を建てられ、屋根や壁を草で葺かれた故事から
地名を「草壁」と言い、後に「草部(くさかべ)」に改められたと
言われています。
創建は阿蘇神社に先立つこと六年と言われる。
宮居を定められたその翌年、
健磐龍命(神八井命の御子・阿蘇大神とも言う) が
下向して来ると迎え、請われて姫を健磐龍命の妃にされた。
この姫が 阿蘇都比唐ナあり、
日子八井命は健磐龍命と力を併せ、内には九州鎮護、
外には東征という朝廷の国土統一事業の一翼を担われた。
天正年間には戦国大名化した豊後の大友氏が肥後に侵攻し、
社領は略奪され権 大宮司家は一時祠官家を離れて
村民の中に身を潜めた、
寛政五年(1793) に祠官家が復興され、
文化七年(1810)には祝部(ハフリ)家が再興され た。
社殿は、弘治二年(1556)に甲斐左近将親成によって造営され、
のち傷みが激しくなつたので明暦二年(1656)に
里人らによって現在の社殿に 補修された旨、
明和九年(1772)の棟札に記録が残る。
以後明治二十五年 までに十八回修理されたと伝えられる、
構造、彫刻など技巧を凝らした造りと なっている。
社地は侵食が進んだ南外輪山の舌状台地の中央に位置し、
社殿が鳥居より下 にあるいわゆる下り宮と呼ばれる珍しい配置で、
鵜戸神社(宮崎県日南市) 貫前神社(群馬県富岡市)とともに
日本三大下り宮の一つに数えられている。
旧社格は郷社。
社殿下の吉ノ池(八功徳水とも言う)と呼ばれる湧水池がある。
社殿の東方300mばかりのところに、
石の玉垣で囲まれた日子八井命の御神陵がある(陵墓参考地)。
神陵は約10アール、9m✕8mの玉垣がめぐらされている。
この山陵を俗に御明様(おあきさま)という。
この神陵三つの物忌が有り今に至るもこの物忌が守られており、
若しこれを犯せば立所に兇事ありと伝えられている。
御祭神
一の宮:日子八井命
神武天皇第一皇子にして草部吉見神または國龍命とも別称す。
阿蘇神社に三の宮として合祠
二の宮:比東芬q命 日子八井命の妃
三の宮:天彦命 日子八井命の第一皇子
四の宮:天比当ス 天彦命の妃
五の宮:阿蘇都彦命 日子八井命の甥・阿蘇大神健磐龍命
六の宮:阿蘇都比当ス 日子八井命の女にして、阿蘇大神の妃
七の宮:新彦命 日子八井命の第二皇子
八の宮:彌比当ス 新彦命の妃
九の宮:速瓶玉命 日子八井命の外孫・阿蘇大神の嫡子
十の宮:若彦命 新彦命の甥・天彦命の御子
十一の宮:新比当ス 新彦命の女
十二の宮:彦御子命 日子八井命の外曾孫・速瓶玉命の男
ご利益
縁結び、厄除け、五穀豊穣、健康長寿、農業守護
家業繁栄、学業成就、ボケ封じなど
鎮座地
熊本県阿蘇郡高森町草部2175