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2021年09月08日
【上庄八坂神社】 福岡県みやま市
八坂神社は、安元二年(1176年)に
宇都宮弥三郎の子、小太郎中次と重国が
京都の祇園宮より勧請、元は祇園宮と称していた。
元和7年(1621年)に立花宗茂により社殿再建。
明治の神仏分離令により名称を八坂神社に変更。
旧社格は県社。
八坂神社の祇園祭は、7月21日に献灯を行う
「提灯ぞろえ」(大提灯、県指定有形民俗文化財)、
7月24、25日、県指定有形民俗文化財の神事
「大(おお)人形」が行われる。
平安時代後期に奥州であった「前九年の役」で戦った
源義家と安倍貞任をかたどった高さ約3メートルの
人形を並べて立てる。
股の下を通ると無病息災の御利益があるとされる。
大人形は初代柳川藩主・立花宗茂が関ケ原の戦いでの敗北後、
棚倉(福島県棚倉町)を治めた時期に見た夢が由来。
宗茂は夢で家康と合戦となったが、
同神社の神の仲裁で和議を結んだ。
宗茂は柳川に再封された後、徳川家との平穏を願い、
奥州で崇拝されていた2人を同神社に祭ることを
将軍家に願い出て許された。
大人形はこれを機に始まったと伝えられる。
鎮座地
福岡県みやま市瀬高町上庄163
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2021年09月07日
封印された謎の女神 瀬織津姫を祀る【潮斎神社(朝妻神社)】 福岡県みやま市
景行天皇がこの地の朝妻河の畔にたたれ、
清く澄んだこの流れを見てみそぎをした記録があります。
例祭には近くの矢部川清流も「御汐井汲」があり、
遠くは八女等から多数の参拝者が杉を挿した竹筒に
お水を汲み潮斎神社でお祓い参拝をすまして
家の浄め家内安全の為に持ち帰っていました。
地元では「せんかみさん」と呼ばれ崇められ、
「眼の神さん」といわれています。
御祭神
瀬織津彦神、瀬織津姫神
奈良平安時代に海神、水神である
豊玉比古、瑞玉比売神が追祀されました。
鎮座地
福岡県みやま市瀬高町文廣
2021年07月29日
阿蘇の水神パワースポット2社【群塚神社・塩井神社】熊本県阿蘇郡南阿蘇村
◆明神池の湧水
明神池の湧水は南阿蘇湧水群の一つで、
平成の名水百選にも選ばれています。
その昔、子宝に恵まれない当時の城主がこの湧水で身を清め、
この池を望む丘にある「群塚神社」の誕生石に祈ったところ
子宝に恵まれたという話が残っています。
明神池の湧水を飲むと安産、子宝に恵まれるという話から、
「誕生水」と呼ばれています。
●群塚神社(むれづかじんじゃ)
由緒
創建年代は不詳
天正年間、当地区に吉田城があり、城主には子がなく、
この水源で身を清め、境内にある誕生石に願いをかけられたところ、
子宝に恵まれました。
しかし、産後の肥立ちが思わしくなく乳が足りず、
日に日に痩せ細る子どもに困り果てた奥方は、
境内にあるいちょうの木に乳房のように垂れ下がっている
気根を撫でられたその日から病気も回復し、乳の出もよくなり、
それ以来現在もなお、婦人の参拝する信仰が残っております。
また、日本最後の内戦である明治10年の西南の役で、
会津藩家老佐川官兵衛は当地区長門屋の座敷にて
南郷有志隊と薩摩軍に対する作戦会議を行い、
この水で身を清め、当群塚神社に必勝を祈願された事実が
残されています。
旧社格:村社
御祭神:水波能女命、国常立尊、国狭土尊
御利益
安産、子授かり・子宝、五穀豊穣、祈雨・止雨、国土安泰、開運招福、出世、悪霊退散、厄除け、商売繫盛など
鎮座地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村吉田1418
◆塩井社水源
神社のすぐ北側にある夜峰山(よみねやま)の地下を通って
境内に湧き出す水は、毎分5トンと豊富で、
古来より「お汐井様」「おしおいさん」と崇められ、
「不老長寿」「諸病退散」の御神水として尊ばれてきたそうです。
水源から流れ出た豊富な水は灌漑用水や飲料水に利用され、
塩井川として白川に注がれていきます。
この塩井川は南阿蘇で唯一西から東へ流れる川として知られ
「ノンボリ(上り)川」とも呼ばれているそうです。
「夜峰山」は、健磐龍命(たけいわたつのみこと)の妻阿蘇津姫命(あそつひめのみこと)が出産の際、姫が身を隠せるように一夜で築き上げたという神話が残されているそうです。
●塩井神社
創建は平安朝期とされています。
塩井神社は、文禄2年(1593年)までは
南郷谷総鎮守八坂神社の夏大祭の御神幸の社とされていました。
当時は塩井神社に一泊の後、
翌日御本殿(八坂神社)に還幸されていましたが、
天正年間(島津勢の当国侵入)の兵乱により
塩井神社への神幸は廃絶されたと伝わります。
御祭神
罔象女神(みつはのめのかみ)
ご利益
祈雨、止雨、治水、商売繁昌、子宝、安産、五穀豊穣など
鎮座地
熊本県阿蘇郡南阿蘇村中松1655