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2021年09月21日
【豊福阿蘇神社】 熊本県宇城市
豊福阿蘇神社(とよふくあそじんじゃ)は、
後冷泉天皇の永承2年(1047)、関白藤原道隆により
八幡神を祭神として創建されたのがはじまりという。
鎌倉時代に、阿蘇氏の勢力下となり
阿蘇神社・甲佐神社の二社が合祀され三宮社となった。
さらに後、主神である八幡神の影が薄れ、
阿蘇神社としての色がより濃くなり現在に至っている。
創建の頃に社領4町3反を寄進されて持っており、
これらを祭祀の費用等にあてていたが、
豊臣秀吉により没収されたという。
1872年(明治5年)、郷社に列せられた。
御祭神
阿蘇十二神、八幡大神
ご利益
交通安全・学業成就・縁結び・厄災除けなど
鎮座地
熊本県宇城市松橋町豊福503
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2021年09月20日
名神大社 【美奈宜神社】 福岡県朝倉市林田
第12代景行天皇の後を受け、第14代仲哀天皇と神功皇后は、
熊襲征伐を進めるが、仲哀天皇は急病のため崩御。
神功皇后はこれを秘し、新羅を討つべく出師の計画を立て、
兵員を集め、兵船・軍器を整え、神々を祀って出征。
いわゆる三韓征伐である。
この時、皇后は航海中の船中で
素戔嗚尊、大己貴命、事代主命の三神に戦勝を祈願したと伝わる。
戦勝後、凱旋した神功皇后が
三神を祀ったのが美奈宜神社の創祀だという。
摂政2年、神功皇后が九州滞在時に、
古処の山に住む羽白熊鷲という悪者退治を村人が懇願した。
皇后は
「この潮干玉を使って川の水をからにし、川蜷に頼んで、
一晩で城を作り、潮満玉を使って、一度に水を入れ水攻めにして
滅ぼしなさい」
との神託を得、村の平穏を取り戻したという。
これに感謝した神功皇后は、神を祀る社を建てようと思い、
一羽の白鷺を放った。白鷺は空に舞い上がり、
筑後川に沿ってしばらく飛んだ後、
こんこんと清水の湧きでる所に舞い下りた。
そこが蜷城(になぎ)の地で、
後世に美奈宜(みなぎ)とあて、現社号となったという。
また川蜷が守ってくれた村里をニナシロと呼び、
なまって、ヒナシロという地名になったとも。
この白鷺塚は今も片延字白鷺1番地に残されている。
『延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 下座郡
「美奈宜神社三座」に比定される式内社(名神大社)の論社。
旧社格:県社。
御祭神
素戔嗚尊、大己貴命、事代主命
御利益
縁結び、商売繁盛、厄除、五穀豊穣、無病息災
鎮座地
福岡県朝倉市林田210
【須賀神社(祇園社)】 福岡県朝倉市
元は「大雄山衹園禅寺(だいゆうざんぎおんぜんじ)」と称し、
臨済宗東福寺派の寺院でした。
その境内にあった牛頭天王(ごずてんのう)を祀る社殿が、
現在の須賀神社の前身となっています。
旧社格:村社
御祭神
素戔嗚命、大已貴大神、櫛稲田姫大神、少彦名大神、火産霊大神
御利益
厄除け、縁結び、開運、子孫繁栄、家内安全
商売繁盛、五穀豊穣、病気平癒など
鎮座地
福岡県朝倉市甘木842