2021年04月21日
恋愛成就のパワースポット 【小一領神社(恋一路神社)】 熊本県上益城郡山都町
小一領神社(こいちりょうじんじゃ)
實仁二年(1018)、
阿蘇友仲公により、宮原(浜町)に阿蘇神社の末社として、
「柳本大明神」(やなぎもとだいみょうじん)の名で
創建されたと伝わる。
名前の由来は神社の横に大きな柳の木があったためだと云われている。
天文五年(1536)
大宮司阿蘇惟豊公は嫡男の千寿丸(のちの惟将)を
十七歳で初陣総大将に奉じ、御船城主、御船房行の謀反に対して、
数千の軍勢を率いて出陣する折(十一月十日)、
「柳本大明神」で戦勝を祈願して、「小型の鎧一領」を奉納し、
出陣式を境内で行った。
千寿丸の介添え役だった甲斐親直(のちの宗運)が、
みごと房行を打ち滅ぼし凱旋すると、
惟豊公は今度の戦勝は「柳本大明神」のご加護の賜物として、
社殿を造営し八十町を社領として寄付した上、
社号を「小一領大明神」と改称された。
天正十三年(1585)阿蘇家が島津氏の侵略を受け、
その後、豊臣秀吉の九州征伐で島津家は追い払われたが、
阿蘇家の所領が復帰することなく、
天正十六年(1588)、佐々成政に続いて、
小西行長が肥後半国の国主となるとキリシタン家臣だった
結城弥平次(やへいじ)が矢部城(愛藤寺城)の城代となり、
小一領神社もほかの神社仏閣と同様に焼き払われたと伝わる。
慶長五年(1600)加藤清正が国主となり、
慶長十八年(1613)初代矢部郷の大庄屋に任命された、
井手玄畜充政次(げんばのじょうまさつぐ)により
元和七年(1621)に現在の地に再建された。
御祭神は、
健磐龍命(たけいわたつのみこと)
阿蘇津媛命(あそつひめのみこと)
國造速甕玉命(くにのみやつこはやみかたものみこと)
御利益
縁結び、勝負運、良縁、縁切り、家内安全、厄災除けなど
"こいちりょう"という神社の名前が、
次第に"恋一路"という呼び方に変わり、
恋の成就神社として親しまれるようになりました。
本殿の周りには"ハート"のマークがちりばめられています。
鎮座地
熊本県上益城郡山都町浜町251
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