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2021年04月01日
医薬健康の祖神 【粟嶋神社】 熊本県宇土市【日本一のミニ鳥居】
粟嶋神社由緒略記
寛永10年(西暦1633年)この地に信心深い、
老夫婦の次衛門とその妻がすんでいました。
この年の2月3日夕方のことです。
大層粗末な身なりの旅の僧が訪れ、一夜の宿を乞われました。
信心深く正直者の老夫婦は快く招き入れ、
素朴ながら心からのおもてなしをいたしました。
その夜、寝ている老妻の夢枕に一人の神様がお立ち遊ばれ、
「我は粟嶋の神なるぞ、信心深き汝等に幸を授けん。」
とお告げになりました。
翌朝
「私はこのように貧しい旅の者、にもかかわらず、
昨夜からの心のこもったおもてなし、まことに有り難く存じます。」
と言い残されて旅立たれました。
気がつくと、僧侶の布団の枕元に一体の御神像がおかれていました。
驚いた老夫婦が急いで僧侶の後を追いかけましたが、
僧侶の姿は見当たりませんでした。
そのうちに老妻は、はっと昨夜の夢のお告げを思い出し、
二人はこれこそ御祭神 少彦名命(すくなひこなのみこと:粟嶋大明神)
に相違ないと想い、小さな祠を建てて御神像を安置し、
朝夕熱心に信仰しました。
御祭神 少彦名命は、出雲大社の大国主命とともに
豊かな国造りに活躍され、
国土の開発・医薬健康の祖神・諸業繁栄などに
霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳を聞きつけ、
多くの方々が参詣されるようになりました。
日本一小さい鳥居の由来
文化11年(1814年)当時、重い病に苦しまれた方が、
医薬の祖神として霊験あらたかな粟嶋大明神のご神徳にすがり
粟嶋神社で御祈祷を受け、熱心に信仰されたところ、
奇跡的に病が完治しました。
そこで病気平癒のお礼に感謝をこめて
他に比類なく永久に残るものをと奉納されたものです。
鎮座地
熊本県宇土市新開町557
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2021年03月30日
六殿大明神【六殿神社】熊本県熊本市
由緒
元々、木原山と称されていた雁回山の本宮は、
後白河天皇の御代(1155-1158)、
保元の乱での強弓で名高い平安時代末期の武将
鎮西八郎為朝(源為朝)が木原城に居城の折、
阿蘇宮を崇敬し、西国安鎮祈願の遙拝殿を立てたのが
始まりと伝えられてます。
その後、治承2年(1178)
高倉天皇の勅願にて鎮西地方の鎮護の宮として
本宮創建の御綸旨を賜り、時の内大臣の平重盛が、
緑川沿いの菰江の地に着船。
阿蘇大明神、天照皇大神、埴安姫神、諏訪大明神、
氷川大明神、稲荷大明神を総称して六殿大明神と号し、
木原明熊に仮宮を建てたのが六殿神社の創建です。
寿永元年(1182)肥後守菊池隆直を社殿造宮の任にあたらせ給い、
直ちに木原山麓の現在地に御社殿を造営し、神領750町を寄進。
更に神護寺として円福寺(不動明王ほか5体安置)を建立し、
社僧20人をつかわしてその任に当たらせました。
建武元年(1334)肥後守菊池武重は社殿を改築。
八幡大菩薩、若宮大神、甲佐大神を合祀し、
延元4年(1339)には征西大将軍の懐良親王が勅使として参向され、
参拝を仰いだと記録されています。
天文18年(1549)宇土城主の名和伯蓍守顕忠は、
宝殿の建立をはじめ、飛騨国より名番匠の甚五左衛門を招いて
「釘無しの門」とも称される楼門を奉建しました。
明治40年(1907)に特別保護建造物として、
熊本県で最初に国指定重要文化財の指定を受けています。
天正16年(1589)には、
キリシタン大名の小西行長が宇土城城主となり、
領内の社寺を焼討します。
本宮は、勅願社の故を以って
その神域を懼れ火難はまぬかれたものの、神領や宝物は掠奪され、
社内は乱妨狼藉を極め、本地堂等を焼失し、
円福寺本尊は山中に隠され、木原不動奥の院として奉安されます。
慶長5年(1600)加藤清正は、
本宮に於て宇土城攻略の戦捷祈願をなし、その制札を立て、
乱妨を禁じ、神領を寄進し社殿を改修しました。
細川歴代藩主の尊崇も厚く、
今も尚、奉納の絵馬や安泰祈願大灯籠が現存し、
一般庶民の信仰は肥後国内はもとより、
鎭西(九州)一円に亘り、除災招福、心願成就を祈念する人々の、
心のよりどころとして、神威益々広大に崇敬を集め
今日に至っています。
旧社格は郷社。
御祭神
阿蘇大明神(あそだいみょうじん)
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
埴安姫神(はにやすひめのかみ)
諏訪大明神(すわだいみょうじん)
氷川大明神(ひかわだいみょうじん)
稲荷大明神(いなりだいみょうじん)
を総称して六殿大明神と号す。
配祀神
八幡大神(はちまんのおおかみ)
若宮大神(わかみやのおおかみ)
甲佐大神(こうさのおおかみ)
山王権現(さんのうごんげん)
熊野権現(くまのごんげん)
妙見大神(みょうけんのおおかみ)
御利益
家内安全、開運招福、厄災除け、商売繁盛など
鎮座地
熊本市南区富合町木原2378
【河尻神宮】熊本県熊本市
河尻神宮(かわしりじんぐう)は、
河尻荘の領主であった醍醐天皇の第二皇子の
左大臣 源高明卿の子孫である河尻三郎実明卿が
鎌倉時代 建久8年(1197)に、
鶴岡八幡大神の御分霊を河尻荘小岩瀬(現在の熊本市南区富合町小岩瀬)にお祀りされたのが始まりです。
鶴岡八幡大神を主祭神とし、
天照皇大神、春日大神、住吉大神、阿蘇大神の4柱を配祀するので、
古くより若宮五社大明神と称し、
河尻荘1町87村の総氏神として社領33町を有していたといいます。
室町時代、河尻氏の没落により衰微したが、
加藤清正公の尊崇を受け、
1587年(天正15年)現在地に遷宮・再興し、
続く細川家代々の藩主も同様に篤く崇敬した。
旧社格:県社
御祭神
主祭神
鶴岡八幡大神(応神天皇・比売神・神功皇后)
配祀神
天照皇大神
春日大神(武甕槌神・経津主神・天児屋根命・比売神)
住吉大神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)、神功皇后
阿蘇大神(健磐龍命・阿蘇都媛・国造速瓶玉命・他十神)
御利益
五穀豊穣、疫病退散・諸産業降昌・家内安全・開運
除災招福・夫婦和合・縁結び・厄除け
鎮座地
熊本県熊本市南区八幡5-1-50