2018年11月15日
神は存在するのでしょうか
母の13回忌が簡単に執り行われた事は前回述べた。
お坊さんが体調を崩されたのが理由である。
30年近く前、父が危ないと聞いたのは函館で1トン程の機械を2階に搬入中だった。
急いで飛行機で神戸に、すでに話せる状態ではなかったが臨終には間に合った。
斎場に遺体を移し、さてどうするべきかと思っていると。
係の方が「枕経はどうされますか」と聞いてくる。
枕経???何のことか知らぬ私は「どうぞよろしくお願いします」と頼んだ。
すると「これはそちらのお寺さんに頼むものです」と教えてくれた。
父は次男で若い頃に満州に飛び出し、そこで所帯を持った。
故に私は満州の奉天(今は中国の瀋陽)で生まれた。
日本に引き揚げた時、ただ一人残っていた父型の祖母も小学生時代に亡くなった。
そんなわけで身内の葬式にはほとんど縁がなかった。
家には仏壇は無く、墓参りの話はおろか、お寺に参った事がない。
考えた末一人残るお袋の住いに一番近い寺を、と電話帳で選んだ。
突然にも関わらず、すぐに駆け付けてくれたのが
今に至るまでお世話になっているお坊さんだ。
枕経を終え帰ろうとするお坊さんに「葬式の方もお願いします」と頼んだ。
一瞬驚かれたが気持ちよく葬儀の手はずを説明してくれた。
その後一人暮らしとなった母を、寺の行事の度に招いてくれた。
お布施もそんなに多くを包まなくて良いですよ、と一部返してくれたそうだ。
その母をも送ってくれた住職は、息子にその席を譲った。
晋山式を嬉しそうに終え、記念に立派な扇子を戴いた。
(普山式はシンサンシキと読み住職の交代式である。
この件でも無知な私に住職はあくまでも親切丁寧に対応)
その息子さんが突然 昨年末に逝かれたと聞いたのは、つい先日の事。
住職は体重が10キロも落ち入院とは・・・曲がった事は許さぬ気品漂う方だ。
酒もたばこもやらず信仰一途、私のような無知な者まで親切に導いてくれる。
何とか立ち直って頂き、元気なお姿を拝みたいものである。
お坊さんが体調を崩されたのが理由である。
30年近く前、父が危ないと聞いたのは函館で1トン程の機械を2階に搬入中だった。
急いで飛行機で神戸に、すでに話せる状態ではなかったが臨終には間に合った。
斎場に遺体を移し、さてどうするべきかと思っていると。
係の方が「枕経はどうされますか」と聞いてくる。
枕経???何のことか知らぬ私は「どうぞよろしくお願いします」と頼んだ。
すると「これはそちらのお寺さんに頼むものです」と教えてくれた。
父は次男で若い頃に満州に飛び出し、そこで所帯を持った。
故に私は満州の奉天(今は中国の瀋陽)で生まれた。
日本に引き揚げた時、ただ一人残っていた父型の祖母も小学生時代に亡くなった。
そんなわけで身内の葬式にはほとんど縁がなかった。
家には仏壇は無く、墓参りの話はおろか、お寺に参った事がない。
考えた末一人残るお袋の住いに一番近い寺を、と電話帳で選んだ。
突然にも関わらず、すぐに駆け付けてくれたのが
今に至るまでお世話になっているお坊さんだ。
枕経を終え帰ろうとするお坊さんに「葬式の方もお願いします」と頼んだ。
一瞬驚かれたが気持ちよく葬儀の手はずを説明してくれた。
その後一人暮らしとなった母を、寺の行事の度に招いてくれた。
お布施もそんなに多くを包まなくて良いですよ、と一部返してくれたそうだ。
その母をも送ってくれた住職は、息子にその席を譲った。
晋山式を嬉しそうに終え、記念に立派な扇子を戴いた。
(普山式はシンサンシキと読み住職の交代式である。
この件でも無知な私に住職はあくまでも親切丁寧に対応)
その息子さんが突然 昨年末に逝かれたと聞いたのは、つい先日の事。
住職は体重が10キロも落ち入院とは・・・曲がった事は許さぬ気品漂う方だ。
酒もたばこもやらず信仰一途、私のような無知な者まで親切に導いてくれる。
何とか立ち直って頂き、元気なお姿を拝みたいものである。
【人生の最新記事】
この記事へのコメント