新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2021年11月02日
神仏習合の信仰を今に伝える【全国妙見総本宮】足立山 妙見宮(御祖神社)
称徳天皇の神護景雲三年(西暦769年)
太政大臣法王弓削氏道鏡が皇位につくのが
相応しいというお告げが出た。
それに疑問をもった朝廷が和気清麻呂公に勅命をだし、
神のお告げが本当であるかを確かめる為、
宇佐神宮へ行くよう命じた。
その結果、「道鏡は、皇位に相応しくない」という
お告げが出た事を朝廷に報告すると、それに怒った道鏡は、
清麻呂公を鹿児島に追放しようとしました。
その途中、豊前のすわえ田村に漂着した公は、
道鏡の追っ手から足の筋を切られるが、
数百頭の猪が公を助け、再度、宇佐神宮に詣り神告を受けた。
その神告に従い清麻呂公は、
現在の小倉北区湯川にあった霊泉につかると、
たちどころに足の傷が治った。
そこで、公は、近くの足立山に登り、
造化神北辰尊星妙見に天皇の安泰と反逆者がいなくなることを祈った。
すると、造化の天神が現れ『汝の願い聴きいる』という神託をうけた。
770年光仁天皇が即位し、天皇家は、安泰となった。
また、道鏡は、下野国に流され、公は、平城の京に呼び戻された。
公は、四男磐梨為綱(出家して妙運)を造化天神降臨の地、足立山に送り、
足立山妙見宮を創建しました。
旧社格は県社。
主祭神五柱
天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神(造化三神)
鐸石別命、和気清麻呂公命(正一位護王大明神)
配祀神
神武天皇、日本武尊、大穴牟遅命、伊邪那岐命、伊邪那美命、
弥都波能売神、大山祇命、高淤加美神、闇淤加美神、綿都美神、
吉備津毘古神、大毘古神、岩長比売神、建沼河別神、道主神、
須佐之男神、少那彦名神、猿田彦神(大歳神、事代主神)
ご利益
健脚健康、健康長寿、病気平癒、安産、家内安全、商売繁盛など
鎮座地
福岡県北九州市小倉北区妙見町17−1
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2021年11月01日
【青木天満宮】福岡県久留米市
『社方開基』によると、
老松宮の「社領弐拾五町、天正年中まであった」
と申し伝えています。
青木天満宮の建立は、一の宮の南方、
広々とした田園に囲まれた老松茂る場所に
後二条院の御宇正安2年(1300)に
当村の領主堀右京進が天満宮を勧請したのが始まりです。
社号を老松宮とつけ、
寛永年間には久留米藩有馬氏より社領200石の寄進を受け、
慶応4年(1868)に天満宮と改称しました。
明治6年3月14日に郷社に被定され、
現在でも青木之荘総鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めています。
主祭神
菅原道真公(菅原大神・天満大自在天神)
相殿神
住吉大神(底筒男神・中筒男神・表筒男神)
八幡大神(神功皇后・息長帯比売命)
ご利益
合格祈願、学業成就、五穀豊穣、技芸・芸能など
鎮座地
福岡県久留米市城島町上青木953
2021年10月19日
【菊宮神社・ひのみこ社】宮崎県西臼杵郡高千穂町
●菊宮神社(きくのみやじんじゃ)
三田井後河内に鎮座し、
永正元年(1504)の創建と伝えるが定かではない。
古老の伝説によれば、
鎌足公の末孫で肥後菊池氏の祖が、
戦乱に逃れ高千穂町三田井馬原栄宅に辿り着き、
宮を建て天児屋根命、大職冠鎌足公を祭神として奉祀したと伝える。
天正十九年(1591)三田井兵部大夫右武公が再興したと伝える。
祈願成就の神として高千穂神社・槵觸神社とともに、
今なお天孫降臨聖地三田井三社の一社として尊崇されている。
『日向地誌』によると、旧称菊大明神といい、
明治四年河内神社と改称し、村社となり、
後、菊宮神社とさらに改められた。
御祭神
天児屋根命(あめのこやねのみこと)
大職冠鎌足公(だいしょくかんかまたりこう)
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1688-1
●ひのみこ社
ひのみこ社 は、神社庁にも属していません。
また、新興宗教団体にも属しておりません。
いわばどなたでも自由にお参りになられ
思うように願いを託すことのできる神社です。
この神社の前身は、
明治の初め(明治5年)に出雲大社がその教えを普及するために
創られた出雲大社(イヅモオオヤシロ)教の枝の一つとして
旧上野村村長も務められた田尻武雄氏によって設立された
高千穂教会を始まりとしています。
このため元々は大国主命と繋がりを持つ神々が祀られていました。
鎮座地
宮崎県西臼杵郡高千穂町上野