新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2021年11月12日
小郡総鎮守 【山王宮 日吉神社】 福岡県小郡市
日吉神社は後醍醐天皇の延元元年(1336)、
現在地より西方約300mの北口という所に創建され,
その後寛文十二年(1672)現在地に移ったと伝えられる。
旧社格:村社
御祭神
大山咋神(おおやまくいのかみ)
合祀
事代主神・木花開耶姫神
御利益
開運厄除、土地祓、商売繫盛、交通安全
病気平癒、縁結び、子宝、安産など
鎮座地
福岡県小郡市小郡1329
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2021年11月09日
【紅葉八幡宮】福岡県福岡市の神社
紅葉八幡宮(もみじはちまんぐう)
平安時代後期の治暦年間(1065〜1068)に
陸奥国柴田郡より来住した柴田氏が八幡神像に
自身の産土神のご分霊を勧請し奉斎したのが創祀とされています。
その子孫である柴田蔵人佐繁信によって文明十四年(1482年)、
筑前国早良郡橋本村に八幡宮が建立されたのが創建とされる。
以来橋本村一円の鎮守神として尊崇を集め、
江戸時代には、橋本村で生まれ育った福岡3代藩主・黒田光之の
産土神として橋本の八幡宮は藩より格別の崇敬を受けた。
寛文6年(1666年)8月、
橋本村より西新百松原の地へ遷宮し社殿の造営し
藩内有数の大社となった。
後代の藩主の崇敬も篤く、神領100石が寄進され、
たびたび藩主の親拝があった。
明治5年(1872年)11月3日村社となる。
その後、境内地近隣に鉄道が引かれたため大正2年(1913年)10月16日、
現在地に移転した。大正11年(1922年)4月29日には県社に昇格。
現在でも西新地区の鎮守神、早良総守護として
地域の住民の崇敬を受ける。
御祭神
神功皇后、応神天皇、菟道稚郎子命、玉依姫命、大己貴命、菅原神
素戔嗚尊、軻遇突智命、事代主命、稲倉魂命、金山姫命、埴安命
御利益
安産、子守(まも)り、厄除け・災難除け、縁結び、開運出世、
子育て、子授け、夫婦和合、子孫繁栄、方除け、疫病除け、
水難除け、武運長久、武芸上達、勝運、学業成就、合格、病気平癒、
無病息災、家内安全、交通安全、海上安全、鎮火・防火、事業発展、
福徳円満、商売繁盛、五穀豊穣、金運、豊漁、食物守護、鉱業守護、
金属加工、粘土・焼き物、国土安泰、国家安寧など
鎮座地
福岡県福岡市早良区高取1丁目26−55
2021年11月08日
【日本三大愛宕】鷲尾愛宕神社 福岡県福岡市
鷲尾愛宕神社は、
日本三大愛宕(にほんさんだいあたご)の
一つに数えられる神社です。
日本三大愛宕とは、全国各地にある愛宕神社のうち、
京都府京都市右京区、東京都港区、福岡市西区の愛宕神社の三社
を総称したものです。
鷲尾愛宕神社(わしおあたごじんじゃ)は、
愛宕山(旧称:鷲尾山)山上に鎮座し、古くは鷲尾神社と称し、
社伝によれば第十二代 景行天皇2年、
鷲尾山に伊弉諾尊・天忍穂耳尊を祀ったのが始まりとされる。
天暦九年(956年)、
姪浜の住侶・浦氏、浜氏が社殿の破損を憂い浄財を募り社殿を改装。
やがて鷲尾神社は鷲尾山の地主神として
別当坊東林寺が代々奉仕していたが、
その後、鎌倉、南北朝、室町時代が経過し、幾多の戦乱に遭い、
宝器、文書、神領は散滅し、僅かに東林寺の社殿を保つのみであった。
寛永十一年(1634年)、
福岡藩二代藩主黒田忠之公が、
山城國(京都)の愛宕権現白雲寺(現愛宕神社)より
愛宕権現(伊弉冉尊・火産霊神)を勧請奉祀し、社領を寄付し、
宮司坊圓満寺を開創して奉祀に当たらせた。
これにより鷲尾権現は愛宕権現の境内末社とされ、
東林寺と圓満寺は合併され、鷲尾山は愛宕山へその名を改めた。
明治34年(1901年)9月27日、
鷲尾神社と愛宕神社を合祀し、鷲尾愛宕神社と称するようになった。
旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。
御祭神
火産霊神、伊弉諾尊、伊弉冉尊、天忍穂耳尊
縁結び、厄除開運、商売繁盛、家内安全、受験合格、学業成就、
安産成就、 交通安全、病気回復、無病息災、円満解決、
鎮火成就等の願い事を叶え、古くは、
禁酒、禁煙などのあらゆる禁断の神としても知られています。
福岡市を一望できる小高い山頂にあり、
夜景スポット・デートスポットとしても有名です。
鎮座地
福岡県福岡市西区愛宕2-7-1