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2021年02月19日
【諫早神社(四面宮)】 長崎県諫早市
縁起書によれば、諫早神社の創始は
平城京・奈良時代の神亀五年(728)に、
聖武天皇の勅願により行基菩薩が当地へ赴いて
石祠を祀ったのが始まりと伝わる。
もとは九州総守護の神々をお祀りする
「四面宮」という神仏習合の神社でした。
古来より諫早の氏神様として、
歴代領主の祈願所と定められ西郷家や龍造寺家・諫早家から
篤く信仰されてきました。
明治時代の神仏判然令により、
並祀していた荘厳寺は分離されることとなり
本尊などは近くの寺院に移設。
その際に、社名を四面宮から「諫早神社」と改称しました。
地元の人々からは、
「おしめんさん(お四面さん)」の愛称で親しまれ
当地方の中心社寺として崇敬を受けています。
四面宮とは
四面宮は、『古事記』の国生み神話に由来する
九州(筑紫島)総守護の神々をお祀りする神社である。
諫早神社だけでなく、
島原半島を中心に多く建立されている神社で
雲仙にある四面宮が総本宮であった。
諫早領内にも分社として数多くの四面宮があったが
現在は福田神社、宗方神社、西長田神社、深海神社などの
社名に改称されている。
四面宮は「筑紫国魂神社」とも呼ばれ、
その名の通り九州一円の守護神として
九州各地の大名や有力者から崇敬を受けていた。
神仏分離令の影響で、今では四面宮の名称は残っておらず
多くの四面宮はいずれも明治時代に「温泉神社」へ名称を変更、
今現在も島原半島には十数社の温泉神社が鎮座している。
御祭神
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
大己貴命(おおなむちのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
配祭の神々
猿田彦大神・八幡大神・天満宮・御霊宮・稲荷社・太子堂
九州総守護の神々(四柱)
白日別命(筑紫国 )、豊日別命(豊国) 、
豊久土比泥別命(肥国) 、建日別命(熊曾国)
御利益
開運、家内安全、良縁、病気平癒、厄除、農漁業守護、
子育て、学業成就、子孫繁栄、医薬、商売繁昌など
鎮座地
長崎県諫早市宇都町1-12
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2021年02月16日
溝口竈門神社【鬼滅の刃の聖地】福岡県筑後市の神社
創建は、第六十七代三条天皇の長和三年(1014年)
筑後国竈門山より勧請し、溝口西南の地に祀られました。
その後南北朝時代、溝口城の鬼門に当たる現在地へ移し祀られました。
御祭神は、寶満宮(玉依姫命)
左右に春日大神、住吉大神の三神を祀っています。
御祭神の玉依姫命は、良縁の神様です。
また、『かまど』にかけて古くから台所や家屋の火事火難除けの
ご利益があると言われてます。
旧社格:村社
溝口竈門神社では、毎年12月13日にたばこを吸う珍しいお祭り
「きせる祭り」が行われています。
天正6年(1578年)、溝口城主・溝口重正が
肥前の竜造寺隆信との合戦に敗れ城を追われました。
その際に、竹藪に逃げ込み、竹を切ってタバコを詰め、
煙管(きせる)の代用にしたという伝承にならうものです。
溝口竈門神社千燈明祭
筑後市の無形民俗文化財にも指定されている竈門神社の千燈明祭。
高さ約20mのやぐらに火が灯ると、
南北朝時代にこの地区にあったといわれる
溝口城の天守閣が浮かび上がります。
人気漫画「鬼滅の刃」の主人公・竈門炭治郎が
「溝口少年」と呼び間違えられる謎のシーンがあることから、
溝口竈門神社が聖地として注目を浴びました。
鎮座地
福岡県筑後市溝口字辻1553-1
2021年02月12日
住吉三神総本宮【現人神社】福岡県那珂川市
現人神社(あらひとじんじゃ)の由緒
全国に二千余社ある住吉三神をお祀りする神社。
現人神社は、
その住吉三神のルーツであり、最古の神社です。
はじまりは、神話の時代。
世界を作りし男神・イザナギノミコトは、
女神・イザナミノミコトが亡くなったことを嘆き悲しみ、
黄泉の国を訪ねます。
しかし、イザナミノミコトの体は腐って崩れており、
イザナギノミコトは怖くなって逃げだしました。
黄泉の国に行き
死んだ人たちに触れてしまった穢れを祓うために、
イザナギノミコトが禊を行ったところ、
三柱の神様が生まれました。
この三柱、底筒男命・中筒男命・表筒男命のことを、
「住吉三神」と呼びます。
この三神は穢れを祓う神様であり、
また、 現世に人の姿で現れて、
人々を導く神様として知られています。
神代の昔、イザナギノミコトは
西隈の那珂川のほとりの立花木(現人神社のすぐそば)で
禊を行ったと著名な国学者・青柳種信は、
「筑前国続風土記拾遺」の中で考察しています。
古代の海岸線は現在よりもかなり内陸に入れ込んでおり、
弥生時代には福岡市内のほとんどが海中だったと
九州大学名誉教授山崎光夫博士も唱えております。
これらのことから、
イザナギノミコトが禊を行ったのは那珂川であり、
住吉三神がうまれたのは現人神社のすぐ傍だったと理解できます。
遙か昔から住吉三神は、
この現人神社の地にお祀りされていました。
1800年前の仲哀天皇の御世に
神功皇后が大陸遠征されたときには、
住吉三神が「人の姿になって現れ」嵐をしずめ、
水先案内をしました。
嵐がしずまった海を渡り、
無事に大陸遠征を果たした神功皇后は、神恩に感謝し、
祈請(うけい)によって当地をお知りになりました。
神功皇后は、「人として姿を現した」ことから
住吉三神を「現人神」と呼び、
那珂川の水を引いて神田を潤し
藤原朝臣佐伯宿禰を祭祀の祀官とて
五穀豊穣を祈念して、
「現人大明神」の尊号を授けられました。
現人神社は全国2千以上の住吉神社の中でも
最も歴史あるはじまりに近い「始祖」である
住吉神社(福岡)の更に元にあたる。
現人神社から分霊され始まった住吉神社(福岡)は
大阪の住吉大社、下関の住吉神社と共に日本の三大住吉の1つ。
主祭神
住吉三神(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
御利益
仕事運アップ、商売繁盛、縁結び
相殿
神功皇后(息長足姫命)
級長津彦命(しなつひこのみこと)風の神
級長戸辺命(しなとべのみこと)
御利益
五穀豊穣・安産・家運隆昌・国家の平安
運気上昇・長寿・漁業・航海守護・病気平癒
旧社格:郷社
鎮座地
福岡県那珂川市仲3丁目6-20