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2021年03月09日
龍神三社 【龍王神社・八大龍王宮・海童神社】 佐賀県佐賀市の神社
●龍王神社
創立も由緒も不詳
祭神は大綿津見の神で五穀豊穣と海辺による潮害を防ぐための祈願に
この宮を建てた。
御祭神:大綿津見神
御利益
海上守護、災厄祓除、五穀豊穣など
鎮座地
佐賀県佐賀市東与賀町大字田中1050
●八大龍王宮(龍王宮、海童神社)
(はちだいりゅうおうぐう)
由緒:人皇百五代後奈良天皇の天文5年(1536)
佐賀城主・龍造寺隆信公が犬井道から嘉瀬川尻へかけて
有明海岸を巡視された時、丁度暴風雨の後で海岸堤防は、
ずたずたに破壊され家や田畑は海水に洗われて、
その被害のひどさに驚かれこの辺に守護の神はないかと尋ねられました。
家臣が近郷には、守り神のない事を申し上げたところ、
隆信公は、早速鹿ノ江遠江守に命じて当時の広江津(現在地)に
八大龍王宮を建立し海の守り神として祭られました。
以来450年近郷近在の村民の崇敬厚く
お地王さんといって親しまれて来ました。
犬井道の海童神社は、
後日当龍王宮より分祀されたものと伝えられています。
尚、大正2年(1912)12月社殿を新築し、
当時広江にあった三社大神、管原大神の二社を合祀し現在に至る。
御祭神:綿津見命
合祀神:三社大神、管原大神
御利益
航海安全、豊漁など
鎮座地
佐賀市川副町広江大字小々森718
●海童神社
天文20年(1551)龍造寺隆信が、一時、筑後に難をさけた後、
天文22年(1553)七月、佐賀城奪還のために海を渡り、
漁夫 園田次郎兵衛、犬井道新兵衛の水先案内で、鹿江崎に上陸、
旗揚げして大いに勢いを奮った。
このとき、この地の状況を視察した隆信は、
代官 成富甲斐守大蔵信種に命じて、潮水防堤を増築し、
鎮護の神として海童神社を創建し、
航海漁業、交通だけでなく農業、商工業、諸産業の守護神として
尊敬されている。
旧社格:郷社
主祭神
上津綿津見神、中津綿津見神、底津綿津見神
相殿神:天照皇大神、菅原道真
御利益
海上守護、交通安全、再生回帰の神、災厄祓除、病気平癒、
健康長寿、家内安全、子供守護など
鎮座地
佐賀市川副町大字犬井道624
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日本で唯一存在する 伊勢神宮から分霊を許された「九州のお伊勢さん」【伊勢神社】佐賀県佐賀市
伊勢神社は、天智天皇(668-671年)が
肥前の地 神埼郡田手に神社を建立され、
その後、杉野隼人が大神宮再興の為、伊勢に約50回参拝され
天照皇大神宮の勧請を願い、天文11年(1542年)3月、
伊勢皇大神宮より神璽、瑶鏡、宝剣の三種の神器と共に
御分霊を許され、田手太神宮としました。
その後、鍋島蛎久の地に移され、蛎久(かきひさ)大神宮とし、
藩祖鍋島直茂公ご夫妻のご信仰篤く、初代藩主鍋島勝茂公、
慶長年間(江戸時代)朝鮮出兵の戦勝祈願成就により、
慶長十年(西暦1605年)に遷座建立され、
その後、昭和15年紀元二千六百年を記念して
改築され現在に至ります。
伊勢神宮より分霊を許されたのは、全国唯一、この伊勢神社のみです。
子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣の神様として、
また子授祈願には特にご利益があるということで、
肥前の国だけでなく九州一帯より、多くの参詣者があり、
九州のお伊勢様と称ある特別の神社になりました。
御祭神
天照皇大神
天智天皇あるいは斉明天皇が関わった
田手太神宮の祭神は、向津媛命(瀬織津姫)です。
天皇家の祖神 天照大神を祀るようになったのは、
天智天皇のあと天武・持統朝以降のことで、
この新たな神宮祭祀の創祀によって、
伊勢神宮の第一別宮・荒祭宮に「天照大神荒魂」の名で
瀬織津姫(向津媛命)は封印祭祀がなされることになったと
思われます。
御利益
子孫繁栄、商売繁盛、五穀豊穣、子授など
鎮座地
佐賀県佐賀市伊勢町9-8
2021年03月03日
ニギハヤヒが降臨し奉祀したことに始まった【天照神社(天照宮)】福岡県宮若市
犬鳴川右岸の宮田町磯光に鎮守する
天照神社(てんしょうじんじゃ)は、
古代から中世に栄えた粥田荘の惣社として
古くから人々の信仰を集めた神社として知られています。
天照神社の由来は、
貝原益軒著の「鞍手郡磯光神社縁起」によれば、
饒速日尊が垂仁天皇十六年に宮田町の南に聳える
笠置山頂(四二五メートル)に降臨し、
同七十七年に笠置山頂に奉祀したことに始まります。
その後、千石穂掛谷、明野(脇野)と移り、延慶元年(一三〇八)年に、
白き鶴の住む里に廟を遷すべしとの神託があり、
西国探題惣政所玄朝の造営により、現在地に移されました。
旧社格:県社
御祭神
天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)
八幡大神、春日大神、応神天皇、天児屋根命
御利益
五穀豊穣・疫病退散・諸願成就・病気平癒・交通安全・航空安全・
武勇長久・勝利祈願・出世開運・子孫繁栄・国家安泰・学業成就など
鹿島神社(鹿島神、菅原神)
諏訪神社(健御名方神、素盞嗚神)
西海九神社
(底筒男神、中筒男神、表筒男神、底筒少童神、中筒少童神、
表筒少童神、八十禍津日神(瀬織津姫)、大直日神、神直日神、
湍津姫神)
住吉神社(底筒男神、中筒男神、表筒男神)
天満神社(菅原道真公)
須賀神社(素盞嗚神)
恵比須神社(事代主神)
摂社
疫神社(八十禍津日神)
笠城神社(饒速日尊)、穂掛神社(饒速日尊)以上二神社は
上宮中宮として各遷御の古宮地に祭祀せられ古来より攝社として
奉斎されている
末社
生子神社、須賀神社、剣神社、日吉神社、男田神社、乙十神社、貴船神社
鎮座地
福岡県宮若市磯光266