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2021年03月16日
【岩屋神社】福岡県田川郡福智町
岩屋神社は、景行天皇十二年の創立といわれ、
大昔は上野山の南麓の岩屋の地に鎮座していたが、
岩屋の山中で、しかも谷深く不便だったので、
明暦四年五月(1658年)この貴船の地に移転した。
故老の言い伝えでは
『景行天皇当國の賊虜 (あだども) 討ちし時、
麻剥の残党この洞窟に屯集し、
皇命に従わず帝親ら此れを討伐し給ふ。
依って先ず
大己貴神(大國主命)、素盞鳴神、少彦名神を祭祀給ひ、
凱旋の砌岩洞の側に社を建て崇祭す。
養老年中(717年〜724年)福智山開基僧 教順なる者、
此の岩屋の地に移住し、
年を重ね此の地にて入定す。
当社御祭神の保食神は、実は教順が合祀せしもの』
と豊鐘善鳴録第五巻に詳しくある。
御祭神
大己貴神、素盞嗚尊、少彦名神、保食神
御利益
縁結び、子授、夫婦和合、商売繁昌、五穀豊穣、
開運厄除け、疫病退散、産業開発、漁業・航海守護など
鎮座地
福岡県田川郡福智町弁城1841
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【鶴岡八幡神社】 福岡県田川郡香春町
鶴岡八幡神社
仁平2年(1152)10月、
鎮西八郎為朝公が豊後国臼杵から勾金庄南大原の館に移り、
源氏の氏神である鎌倉の鶴岡八幡宮の御分霊を御勧請して奉斎するため、
家臣尾張権守家任を新造の八幡宮造営の奉行と定め、
阿蘇判官忠国に命じ先ず京都に上し近衛天皇の御許を受けて、
鎌倉由井の郷に下り鶴岡宮に参詣し幣帛、神楽を献じ神法に従い
御神霊を請けて、時の本宮の宮司の次男 津守源盛義が御神霊を捧持し、
仁平2年12月25日瀬戸の尾山に無事に到着する。
この時、新造の御社殿が完成せず、
やむなく尾山に留まり
仁平3年(1153)正月11日、
社殿を初め五寺一院48堂舎全て竣功し、
同月16日新宮に奉斎する。
旧社格は郷社。
御祭神:応神天皇・神功皇后・玉依姫命
御利益
国家鎮護・武勇長久・商売繁盛・勝運招来、厄難除け・出世開運・縁結び・子授け・安産・子育大願・海上安全・交通安全・家内安全・方除け・悪病災難除けなど
鎮座地
福岡県田川郡香春町中津原404
2021年03月12日
【大村神社】 長崎県大村市
大村藩の居城であった玖島城の本丸跡に鎮座する。
旧社格は県社。
江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。
藤原鎌足・藤原純友・大村歴代の領主・藩主を祭り、
大村公園内に鎮座する神社です。
もともと、文化2年(1805)、藩主大村純昌(すみよし)が、
大村氏の祖と崇める藤原純友とその親族を祭る御霊宮を、
池田山に建立したのが始まりといわれます。
その後、明治3年に大村家歴代の12柱を合祀して、
常盤神社と改称しました。
翌年、廃藩置県によって大村藩がなくなると、
旧大村城下の士族達が発起人となり、
旧領内に呼びかけて常盤神社を旧大村領民全体で祭ることにしました。
しかし、池田山では参拝に不便なため、明治17年解体され、
荒地となっていた大村城本丸跡に移されました。
このときに社名も「大村神社」と改められました。
また、この移転にあたり、
勤皇の功績が大きかった7名の領主は本殿へ、
それ以外の歴代の領主や藩主は本殿脇の別社に祭られました。
大正4年には歴代全領主や藩主が本殿へ祭られることになり、
別社は取り壊されました。
主祭神
大村直澄公、大村親澄公、大村澄宗公、
大村澄遠公、大村純興公、大村純弘公、大村純熈公
配祀神
大村家の祖とされる藤原鎌足公、藤原純友公を始め
その他の領主、藩主36柱
●玖島稲荷神社
伏見稲荷大社より第16代大村藩主純伊(すみこれ)公が
1480年に大村領の守護神として分霊を受けたことに始まります。
元三城城址に「稲荷神社」と称して鎮座していたが、
明治41年(1908年)に遷座された。
御利益
商売繁盛、五穀豊穣、家内安全、諸願成就など
鎮座地
長崎県大村市玖島1丁目34−1