2017年02月20日

結城氏館跡 (城の内遺跡)

筑西市の城跡巡りを終えた帰り道、お隣の結城駅で下車しました。

駅の北側には結城城跡があります。ただ、既に何回か訪問しているため、この日は残された時間でまだ行ったことがない場所へ

つわものどもが夢の跡
あの名門結城氏の初代の館跡を訪ねます。

<結城朝光館跡>
yukishitakara (1).JPG
結城氏の祖である結城朝光によって築かれたとされています(鎌倉時代初期)。以降、結城城が築かれるまで、ここが結城氏歴代当主の館でした。

<入口>
yukishitakara (2).JPG
案内だと「城の内遺跡」となっています。結城駅から南に向かって1km強。道が真っ直ぐなので迷いません。公園として整備され、ややあっさりしています

<土塁跡>
yukishitakara (4).JPG
館を囲む土塁の跡ですね。

<堀跡>
yukishitakara (3).JPG
そして堀跡。勿論、昔はもっと深かったのでしょう。

痕跡は何も無いような話を聞いていたのですが、ちゃんと遺構は残されていますね。かつてこの地にあったとされる「館のなごり」ですね。

ただ、どうも「ここが結城氏の館だ!」という明確な証拠はないようです。

結城氏は鎌倉公方を支えた関東の名家。関東八屋形(鎌倉公方に認められた名族の八家:宇都宮氏・小田氏・小山氏・佐竹氏・千葉氏・長沼氏・那須氏・結城氏)の一つに数えられます。その歴代当主の館跡なら、かなり明確な記録が残っていても良さそうなものですが、現時点ではあくまで「推定」とのこと。

いずれにせよ、こんな場所にあるのですから、結城氏と関わりのある館跡なのでしょう。
そう納得して、この日の城跡巡りの締めくくりとしました。

[茨城県結城市大字結城]


お城巡りランキング

タグ:城のなごり
posted by Isuke at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]

2017年02月19日

久下田城のなごり

<久下田城絵図>本丸入口
kamidatenkshiro (5).JPG

茨城県筑西市の三つの館。ここが上館にあたる久下田城の本丸となります。
「なごり」という優しい響きが不似合いな、迫力のある場所です。物理的なもの以外のなにかが放出されているような?そんな気配が漂います。

(ちなみに、私は霊感とは無縁の人です)

やはりこの光景ですかね……
kamidatenkshiro (2).JPG

城跡を巡って縄張りや遺構を確認する時、一番思い浮かべるのは人の思い。簡単に言えば「どんなつもりだったのか」ということになります。

そんな目でこれを見ると、何やら辛い思いがします。「兵ども・・・」とは無関係の後の時代のものでしょう。

毅然とした狛犬の先に、今でも安易に立ち入ってはいけない領域がある。そんな気がしました。ここは避けて見学させて頂きます。


さて、気を取り直して探索を続けます。土塁ですね。
kamidatenkshiro (6).JPG

堀切りの中
kamidatenkshiro (1).JPG
何となく本丸はほどほどにしたく、急こう配を下りました。

つわものどもが夢の跡・・・
kamidatenkshiro (7).JPG
風雪で劣化してもまだ残るこの遺構。見応えがあります。他にも遺構が沢山。

城跡マニアの方なら共感してもらえると思いますが、夏だったら大変なことになっていたでしょう。かなり寒いですが、蚊の大軍に襲撃されるよりはマシ。ゆっくり探索できました。
(堀切に入る時に足を滑らせましたがネ)

記録によれば、久下田城そのものの築城は1545年。宇都宮氏の勢力拡大を阻止すべく、当時の下館城主である水谷(みずのや)正村が築城した城です。ここは現在の行政区でも栃木と茨城の県境。結城氏の重臣であり、猛将としても名高い正村は、最前線であるこの地で宇都宮氏の攻撃を食い止めました。この方はやがて結城氏から独立し、大名にまで上り詰めますが、そういった話は歴史マニアの皆さんがブログで詳しく解説されていますので、ここでは結城氏四天王の状態で時間を止めておきます。

下館・中館・上館を巡る探索 
これにて終了です。帰路は水戸線下館駅から小山駅まで行って乗り換え。歩き疲れましたがまだ明るいので、お隣の結城駅で下車することにします。

[場所:茨城県筑西市樋口]


お城巡りランキング
タグ:城のなごり
posted by Isuke at 11:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]

筑西市の三館 (下館・中館・上館)

三つの館跡。最後に上館を目指して北上します。

その前に、もう一度中館(伊佐城跡)付近の五行川。下館・中館・上館は全てこの川の西岸に位置します。別名『勤行川(ごんぎょうがわ)』。伊達藩が伊佐城を調査した時の記録では勤行川と記されているそうです。

<五行川>勤行川
river1655.jpg
東の彼方には筑波山。ここ筑西市の名の由来ですね。

さて、歩き疲れたので電車を利用しますかね。

<真岡鐵道>
mokatetsudo 1.jpg
下館駅(茨城県)と茂木駅(栃木県)を結ぶ第三セクターの鉄道。土日祝日にはSLが1日1往復運行します。私は普通の電車にて移動。

<ひぐち駅>
mokatetsudo 2.jpg
無人駅です。城の住所だとここが最寄駅かと思いましたが、次の駅で降ります。

<久下田駅>
到着しました。
mokatetsudo3.JPG
改札がありますが、今はここも無人駅です。車内で清算します。
mokatetsudo4.jpg
ここから歩きます。


久下田(くげた)というのは栃木県の地名。

駅はちょうど県境にあり、西(駅舎正面)は栃木県、東側は線路を越えてすぐに茨城県になります。形としては「茨城にある久下田城」を目指すことに・・・。紛らわしいですが、まぁ東京ディズニーランドを目指して千葉県に行くのと感覚はいっしょですかね。

<水路になった堀>
mokatetsudokarakamidate 2.jpg
歩き出して間もなく、それらしい雰囲気。そもそも、先ほどの駅を出てすぐの堀状の地形も、城のなごりではないかと思いたくなる鋭角なものでした。

再び気持ちが高揚してきます。

三つの館のうち上館にあたるこの地には、のちに下館城の北方を守る支城が築かれました。その城は広範囲に及んでいたらしく、もしかしたら、もうとっくに城内に足を踏み入れているのかもしれません。

<本丸>
mokatetsudokarakamidate 3.jpg
こんな所を歩いていいのかな?などと思って進んでいくと、突然目の前にゴールが。ここが主郭の入口になります。周囲には堀がはっきりと残されています。冬の訪問ですが、草が凄いことに・・・

こういう「放っとかれた城跡」は基本的に好きです。

つわものどもが夢の跡
それを感じることができるから・・・

ただ中をのぞいて一瞬躊躇。「荒城」という言葉を久しぶりに思い出しました。

(次の記事へつづきます)

[茨城県筑西市樋口]
※久下田駅から徒歩10分強
(あまり寄り道しない場合)


お城巡りランキング
タグ:城のなごり
posted by Isuke at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]

2017年02月18日

伊佐城のなごり

藤原秀郷が将門討伐のために築いた三つの館。下館の次は中館を訪ねました。

と、簡単に書いてしまいますが、実は道に迷って大きく遠回り。このあと上館まで行くことを思うと、ややへこんでました。

遠くに土塁らしきものを発見。希望が見えたかに思われました・・・
nakadate (1).jpg
が、古墳でした。筑西市内には沢山の古墳があります。その一つでね。

地図によれば、この古墳は目指す寺の北側に位置します。南からてくてく歩いてきたのですから、どうやら行き過ぎたようですね。良く見れば「寺うしろ古墳」と書いてあります。

『寺のすぐ後ろにあるから寺うしろ古墳・・・まぁ目指す寺が近い証拠だろう』

すぐ後ろなんて根拠はありませんが、いいように解釈し、また歩き始めました。

目的地に到着。今度こそ間違いありません。

<中館観音寺>
nakadatekoguchi
手前の橋ですが、下は道になっています。曲輪と曲輪を隔てる「堀切り」でしょうか?この延命橋が昔の虎口(曲輪への侵入口)と同じ位置なのかどうかまでは解りません。

「中館」は鎌倉時代に更に補強工事がなされ、伊佐氏の居城となりました。事前の調べでは、境内とその周辺がその城跡になっているはずです。まぁ厳密な境界線は分りません。私としては、ここから先を城だと思って楽しもうと思います。

<観音堂>
nakadate (3).jpg
ここは城の南側の曲輪(平らにした区画)跡ですね。脇に参道を見つけました(画像の左手になります)。

進んで行くと、土塁に仕切られた小道が現れました。気配を感じると早足になります。
nakadate (7).jpg
いかにも城跡らしい雰囲気ですね。この土塁、当時のものだと信じたいです。ただ、確証はありません。それでも、先程の曲輪と、向かっている先との谷間を歩いている感覚がたまりません。

<観音寺山門>
立派な門が現れました。
nakadate (2).jpg

門をくぐると・・・
nakadate (5).jpg
この地形、人の手による区間、高低差、、、、城の本丸(主となる曲輪)付近です。ここからはもうゆっくり歩きました。「城のなごり」を感じながら・・・

nakadate (6).jpg
「来てよかった」
遠回りして時間をロスしましたが、そう思いました。

最後に
この伊佐城ですが、江戸時代になって仙台伊達藩が先祖の遺跡として調査をした記録があります。伊達氏は伊佐氏を祖とする一族。五代目伊佐朝宗が、源頼朝の奥州征伐に従って活躍し、福島県の伊達郡を与えられ、伊達氏を名乗りました。つまり、ここ中館の地は、伊達氏発祥の地と言えます。

伊佐城の名は南北朝時代の記録が最古のもになります。南朝方の伊佐氏は、ここを拠点に北朝方と戦いますが、城は同時代に廃城。五百年以上も前のお話になりますね。

つわものどもが夢の跡
次は上館を目指します。

[場所:茨城県筑西市中館]


お城巡りランキング
タグ:城のなごり
posted by Isuke at 18:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]

下館城のなごり

茨城県にかつてあった下館(しもだて)市。現在は筑西市となっています。

城跡好きとしては、この下館という文字が市の名前から消えてしまったのが残念です。その呼び名は、かつて川沿いに築かれたという三つの館(北から順に上館・中館・下館)に由来します。

つわものどもが夢の跡
この日はまず下館を訪問

<下館城址碑>
shimodate1
三つの館が築かれたのは、あの藤原秀郷が平将門を討伐した時の話。諸説ありますが、とにかく千年以上も前の話になります。ここ下館の地には、その後結城氏配下の城が築かれ、家臣の水谷(みずのや)氏の居城となりました。水谷氏は名門結城氏の重臣です(後に更に出世します)。下館はこのエリアの統治にとって、それくらい重要な拠点でした。

本丸跡は現在は神社

<八幡神社>
shimodate2
土塁とか、何かそれらしい痕跡はないものかとうろうろしましたが……見当たりませんね。

ただ、この道・・・
shimodate3
左手が先ほどの本丸です。堀のなごりかも知れませんね。ちょっ行ってみましょう。

道を下れば、そこはもう川(城跡から見て東側です)。
shimodate4
ちなみに、中館も上館も、この五行川沿いにあります。

<下館城の構造>
shimodate6
川沿いに本丸・二の丸・三の丸が並んでいますね。連郭式。こうやって直線上に並べる方法をそういいます。

もう一度道を下って本丸付近を見上げてみました。
shimodate5
下館城は平城(平地に築かれた城)と分類されていますが、微高地にあったようですね。城の遺構と呼べるものはありませんが、地形は嘘をつきません。姿を消してなお残るこの気配。これを「城のなごり」と信じきって感じる。廃城巡りの楽しみです。

さて、三つの館を全てまわるつもりなので、ここはこのくらいにします。

つわものどもが夢の跡
次は中館(伊佐城跡)を目指します。

[場所:茨城県筑西市甲]
真岡鐵道の下館二高前駅から徒歩圏内(男で10分くらい)
近くに小学校があり、二の丸跡と考えられています。



お城巡りランキング
タグ:城のなごり
posted by Isuke at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
検索
記事ランキング
[アクセスランキング]
  1. 1. 空に吸われし十五の心  (不来方のお城)
  2. 2. 伊奈一族の拠点 伊奈氏屋敷跡(伊奈町) 
  3. 3. 群馬県庁の土塁 前橋城のなごり
  4. 4. 豊島一族の城跡(練馬城)
  5. 5. 笠間城のなごり
  6. 6. 武田勝頼「素肌攻め」の城跡 膳城
  7. 7. 外濠さんぽ 四谷見附から赤坂見附
  8. 8. 関東の連れ小便・政宗白装束の舞台 (石垣山城)
  9. 9. 山上道及と唐沢山城
  10. 10. 神流川の戦い 滝川一益vs北条氏邦・氏直
  11. 11. 東北屈指の名城 会津の若松城
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
最新記事
プロフィール
Isukeさんの画像
Isuke
もともとは無趣味の仕事人間。土日は家でゴロゴロ。本ブログは、そんな男が急に城跡巡りに目覚め、てくてくと歩き始めた記録です。
プロフィール

お城巡りランキングに参加中 [参加させて頂いた雑誌]
[当サイトお勧め本]

Kindle for PC (Windows) [ダウンロード]