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2021年02月04日
三寳荒神【西浦荒神社・総社宮】熊本県熊本市
●西浦荒神社(にしうらこうじんしゃ)
由緒
西浦荒神社は荒神様をお祀りしている神社で、
三寳荒神社ともいいます。
鎮座地が熊本市西浦地区なので、
西浦の荒神さんと呼ばれ、昔から信仰の厚い神社です。
三寳荒神の三寳(宝)とは、
御祭神が火の神様の奥津彦神、奥津姫神、
土の神様の埴安姫神の三柱ですので、
三柱の尊い神様という意味でもありますが、
仏教の三寳からきているとも考えられます。
が、昔の神仏習合の時代、
かまどの神、火の神である荒神様信仰と、
仏教や修験道の三寳荒神様信仰が一緒になり、
民間に荒神様の信仰が広まったともいわれてます。
口伝によると、
加藤清正公は荒神様の熱心な信者で熊本城を築いた時、
お城の守り神として荒神様を祀っていました。
清正公が荒神様を特に信仰するようになったのは、
朝鮮の役の時、籠城して苦戦をしていた時からだといいます。
ある夜清正公は、
脱出のかくれ道を告げる荒神様の夢を見ました。
清正公は夢のお告げに従ってひそかに囲みを脱出し、
九死に一生を得たといわれております。
その後、今から約300年ほど前、
細川家の四代綱利公の時代、
この西浦の地に藩主の別荘が造られましたが、
その別荘の鬼門にあたる現在の地に、
方除けの神として、熊本城の荒神様を移したのが
西浦の荒神社の始まりといわれています。
御祭神
火の神様
奥津彦神(オキツヒコノカミ)・奥津姫神(オキツヒメノカミ)
土の神様
埴安姫神 (ハニヤスヒメカミ)
ご利益
災難除け、方除け、家屋敷の守護、健康長寿
●総社宮
総社宮は、平成十七年十月、西浦荒神社の敷地内に、
日本の国土、海山川草木、全ての人々を守護される
荒神大神、天照大御神、伊邪那岐大神、伊邪那美大神、
大国主大神、菅原天神大神、阿蘇大神、熊野大神、天御中主大神、
大山祇大神、春日大神、琴平大神、の十二柱の神と
八百万の神をお祀りし、総守護社、総氏神社として御創建されました。
鎮座地
熊本県熊本市北区貢町906
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2021年02月03日
2021年01月26日
大正時代まで『瀬織津姫』を祀っていた【山田神社】佐賀県西松浦郡有田町
山田神社
松浦党の党祖、源太夫判官久公の第三子、
有田三郎源栄公が建保6年(1218)に唐船城を築城し、
ここに松浦市今福の「年の宮」を勧請した。
「年の宮」は嘉穂元年(1094)
近江国一の宮諾冉二尊を祀る多賀明神を勧請したもので、
松浦党が篤い崇敬を寄せた古社である。
永禄四年(1561)六月二十六日に
飯盛城主 松浦 親(まつうら ちかし)と
その養子で後の唐船城主 有田 盛(さこう)の支援により、
当時の圓満寺住職 阿泉(あせん)を勧請責任者とし、
本宮(年の宮)に熊野本宮から八坂社、
加賀白山から白山社の二社を加え、
山田野三所大権現の鎮祭を行い、
両城主および山谷地区の鎮守神としました。
神仏習合により圓満寺住職が歴代の宮司を兼任。
明治になり神社は国家管理となり、
山田神社と改称し、大正8年11月27日村社に昇格した。
唐船城跡
平安末期からこの地を領有していた松浦党有田氏の城址です。
正確な築造の年代はわかっていませんが
建保6年(1218年)が有力とされています。
松浦党の始祖とされる源久の曾孫栄が
有田郷を与えられたことに始まっており、
元和元年の徳川幕府による一国一城令により
唐船城は廃城となりました。
『佐賀県神社誌要』(大正十五年)には、
御祭神
伊奘諾尊・大山祗命・武甕槌命・大己貴命・瀬織津比当ス
少彦名命・宇賀魂命 菅原道真 天照皇大神 松浪森
現在の御祭神
伊弉諾尊・伊弉冉尊
八坂神社:素戔嗚尊
白山神社:白山比当ス
鎮座地
佐賀県西松浦郡有田町山谷牧甲2322-5