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2021年01月19日
【津古八龍神社】福岡県小郡市
津古八龍神社(つこはちりゅうじんじゃ)は、
福岡県小郡市津古にある神社です。
由緒
創建 嘉元二年十一月七日(1304)
八龍天神 御祭神
彦火々出見尊(ヒコホホデミノミコト)(日子穂々出見尊)
豊玉姫命(トヨタマヒメノミコト)
彦火々出見尊(日子穂々出見尊)は
天照大神三代天孫 邇々芸命(ニニギノミコト)の御子で
別名 山幸彦とも云い神武天皇の祖父に当る。
妻の豊玉姫は海神 大綿津見神の姫君である。
穂々出見尊の名の由来は,
稲穂が多く重なる様を表し、
山幸彦も五穀の豊穣を表している。
八龍神社の社名は、
祭神 豊玉姫が龍神であり龍神を八大龍王と云う事から
略して八龍神社となったものであり,
創建以来村人の厚い信仰を集め現在に至っている。
旧社格:村社。
御神体
男神像 彦火々出見尊の像と考えられる
樟材、一木造、彩色、江戸時代 像高ニ四.八p、台座六p
女神像 豊玉姫命の像と考えられる
樟材、一木造、彩色、江戸時代 像高ニ一p、台座六.五p
御利益
農業・漁業・畜産守護・商売繁昌・航海安全・心願成就
開運厄除・縁結び・恋愛成就・安産祈願・子育て・子授かり
鎮座地
福岡県小郡市津古1372−1
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2021年01月08日
【福母八幡宮】 佐賀県杵島郡大町町
由緒
景行天皇御巡狩の時、
杵島山に勢力を持っていた土蜘蛛八十女(つちぐもやそめ)討伐し、
大巌石の上に軍神 八千戈の神を祀られた。
その後、日本武尊杵島藤津征服の時、
熊襲の余賊が此の山に住む八方山老棍、四方山老棍という凶賊が
皇命に従わず、里人を困らせいる事が解かり、
日本武尊がこれを滅し同じく軍神を祀る。
仲哀天皇の御代になり余賊の大鷹老棍、小鷹老棍という強賊が、
里人に害を与え、困らせていたので、神功皇后がこれを滅し、
景行天皇がお祀りになった大巌石の側に御剣一口を煉石の椻に納め
天神地祗を祀る。後、里人はこれを神功石と称える。
大宝三年(701)行基僧正が土蜘蛛八十女の怨霊を鎮め
石崎明神を此処ここに祀り、
景雲元年(767)鎮護神の太刀並びに御腰掛石を祀り
石崎松原大明神(現在の下宮)と称しました。
貞観八年(866年)大村大安寺の住僧一如僧正が石崎に参った際、
国守上毛 野澤田の朝臣に願って神功皇后、応神天皇、仲哀天皇の
三柱の神を請願しはじめて八幡宮と称えるようになりました。
御祭神
神功皇后、仲哀天皇、応神天皇
八千戈神、景行天皇、日本武尊、 志久津彦命、 武内宿禰、 大山祇命、
天照大神、市杵島姫命、 海道神、 素佐之男尊、 菅原道真公、 橘諸兄公、
玉依姫命
御利益
安産、子育て守護、学業祈願、厄除け、病魔退散、家内安全、
開運招福、航海安全、必勝祈願・勝利成功、商売繁盛、技芸・武芸
鎮座地
佐賀県杵島郡大町町福母2227
2020年12月21日
【土器山八天神社・仁比山神社】佐賀県神埼市
●土器山八天神社
土器山八天神社(かわらけやまはちてんじんじゃ)は、
土器山(八天山)をご神体とし、火産霊神(迦具土神)を祭神とする神社です。
由緒:開山 行基菩薩
元正帝の御宇、養老5年(721)
土器山(八天山)は、標高429m。
この山は、巨岩怪石が多く上古より山岳信仰の霊山で、
山全体を御神体、上宮の巨石を磐境とし、
附近一帯は聖なる禁足地でした。
仏教公伝後、神仏習合により、中宮菩提寺が創建され、
更に平安末期丹波国愛宕山より、火伏の神である迦具土神を勧請。
以来、修験霊場として聞こえ「天狗の棲む山」と畏敬された。
戦国期には、菊地氏、江上氏、神代氏、などの崇敬を集め、
藩政時代は、宝光坊が一山を統べていたが、
明治初頭の神仏分離、修験道廃止令に依り、神職に転向、
現在の八天神社となった。
御祭神
火産霊神(迦具土神)-火の神
罔象女神(弥都波能売神)-水の神
大山祇神(大山津見神)−山の神
御利益:火事除け・災難除け・開運
鎮座地
佐賀県神埼市神埼町城原3672
●仁比山神社
仁比山神社(にいやまじんじゃ)は、
天平元年(729)僧の行基が、聖武天皇の勅願を賜り、
神殿を建立して京都松尾明神を勧請し、
国家安泰、五穀豊穣を御祈願されたのが創始です。
承和11年(844)慈覚大師が唐より帰朝の際、
国家安泰の祈願の為に御神水を得る時、
土中より「日吉宮」の石額を発見したことを朝廷に奏上します。
比叡山の神威を感じた時の仁明天皇は勅命を以て、
比叡山の日吉山王宮(日吉大社)の分霊を合祀し、
朝廷の祈願所と定めました。
その時、仁明天皇の「仁」と比叡山「比山」を併あわせて
「仁比山」と名付けられました。
旧社格:懸社
御祭神
大山咋命・鴨玉依姫神・日本武尊・合祀社祭神二十余神
御利益
国家安泰・五穀豊穣・諸産業繁栄・家系繁栄・厄除け
商売繁盛・開運・方位除け・子宝・安産守護・豊作豊漁など
鎮座地
佐賀県神埼市神埼町的1692