今回は水路跡のお話。江戸という城下町の治水事業のなごりです。
<水路跡>
■玉川上水余水吐跡■ よすいばけ
当ブログでも何度かご紹介させて頂いている玉川上水。有名ですね。羽村から四谷大木戸(現在の四谷4丁目付近)まで約43キロ。標高差わずか100m程度しかないこの区間を、地面を掘るだけで繋いだ水路です。水は低い方へしか流れませんから、いかに困難なことか想像できますよね。
さて
羽村からはるばるやってきた多摩川の水は、四谷大木戸より先はどうなっていたのでしょう。
<四谷大木戸の碑>よつやおおきど
甲州街道に設けられた関所跡です。
玉川上水はこの付近まで。ここより先は、樋などを設けて江戸の町へ給水されました。貴重な水は四谷大木戸に設けられた水番所により水量が調節され、余った分は南側の水路で渋谷川へとと流したそうです。
玉川上水の余った水を吐き出す水路。これが今回訪問の「玉川上水余水吐」です。
<新宿区の秘境>
玉川上水余水吐は暗渠化され、今では水面を見ることはできません。しかし何とも言えない美しさ。幅に制限があるものの、緑の草原のようです。
<新宿御苑の避難門>
柵の向こう側は新宿御苑です。ここはその非常口。勿論入れません。余水吐は新宿御苑の東側に沿って続いています。
<水門のなごり>
水門の跡ですね。ここに堰を設けたのでしょう。こういう痕跡に、人の思惑を感じる。城跡巡りで、予想もしていない遺構と出会った時のような、そんな感覚を味わいました。
<急斜面>
更に上流へ進むと、急斜面が見えました。あんな急な角度で水が流れ落ちていたのでしょうか?
<斜面上から撮影>
斜面を登り振り返って撮影
玉川上水余水吐は、自然の川の上流を更に掘削して築いたとされています。もしかしたら、この付近までが自然の川だったのでしょうか?人の手が加わるまでは、この付近で水が湧きだしていた?などなど、いろいろ考えさせられました(感想に過ぎません)。
まぁいずれにせよ、かつてここには水が流れていました。そして渋谷川へと注いでいた。新宿御苑(高遠藩主・内藤家屋敷跡)の池から流れ出る水も加わり、水嵩を増しながら渋谷方面へ流れていったのでしょう。暗渠化され、もうその姿を見ることはできませんが、開発から取り残されたようなこの空間に、そのなごりを感じることはできました。
ということで、玉川上水余水吐跡のご案内でした。最後までお読み頂き、ありがとうございます。
■お勧め本■
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はじめての暗渠散歩(ちくま文庫)
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2019年04月11日
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