<策の池>むちのいけ
訪問は4月上旬。桜が満開でした。
■現地■
四谷三丁目駅に近い新宿区荒木町。ここは地形マニアの間では有名な場所です。起伏が激しく、更に四方を囲まれた窪地というユニークな構造。その道の方々が「スリバチ」と呼ぶ構造になっています。
水の流れが長年台地を削ることで、低地の三方が囲まれているというなら理解もできますが、ここは四方。ちょっと不自然な地形です。これは人の手によるもの?あるいは谷の出口で土砂崩れ?などなど。現地ではいろいろ考えてしまいましたが、帰宅してから調べたら、やはり人の手、つまり造成された結果のようです。具体的には、北側にあった谷の出口に、土手が築かれたとのこと。
<スリバチの細道>
尾根道となっている甲州街道を逸れて、低い場所へと向かいます。この細い路地、何となく心魅かれます。
<階段>
細い路地を降りきると、東側に階段が現れました。高低差、伝わりますでしょうか。こういう地形の中で人が暮らすと、結果として階段の多い町になりますね。今回のご紹介は、そんなスリバチ地形の底でみつけた小さな池です。
<現地>
ここです。
<崖の下>
池の向こう側は壁。昔なら崖ということでしょうか
<池と弁天様>
池の隅には弁天様
<津の守弁財天>つのかみ
津の守は摂津守にちなんだ呼び名です。この辺り一帯は、美濃国高須藩主・松平摂津守の上屋敷でした。庭には湧き出す水を堰き止めて造った池があり、そのなごりがこの池です。昔はもっと大きく、更には天然の滝が流れ込む池だったようです。崖のどこかが地水の出口となっていたわけですね。
■家康ゆかりの池■
鷹狩りの際、徳川家康が馬に用いるムチ(策)をこの地で洗ったとされることから、池は「策の池」と呼ばれるようになったとされています。
<説明板>
策の池の説明。ちょっと撮影しにくい説明板でした。前半を抜粋させてもらうと『江戸時代の古書「紫の一本」によれば徳川家康がタカ狩りの時近くにあった井戸水で策を洗ったので策の井戸と呼び、澄んだこの水が高さ四メートルに及ぶ滝となりこの池に注いでいたので策の池と呼ばれ「十二社の滝」「目黒不動の滝」「王子の名主の滝」等と並び江戸八井のひとつとして庶民に愛されていました。』とのこと。人気だったようですね。
説明文の後半にも記されていますが、この付近一帯は先述の松平摂津守の上屋敷となり、池は一般庶民からは遠い存在となります。しかし明治になると再び庶民に解放され、湧き出る水が人を魅了する景勝地として知られたそうです。いまでは水も枯れ、滝の姿はありませんが、残された小さな池にそのなごりを感じることができました。
<北側の階段からの眺め>
四方を囲まれたスリバチ状の地形。どうも北側のこの付近が、人が手を加えた地形のようです。松平摂津守の屋敷が造られた時に、谷の出口を塞いだと考えられます。
このユニークな地形を存分に味わい、家康ゆかりの池とも出会えました。
<策の池の桜>
そして桜も見事でした。
ということで
満足な荒木町散歩となりました。
■訪問:
津の守弁財天・策の池
[東京都新宿区荒木町]
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<住友不動産四谷ビル>
近くのビル。通り過ぎようとしたら
<気になるサイン>
古地図らしきものが目に入り立ち止まる
<史跡案内>
この地が松平摂津守の上屋跡であることが記されています。こういう粋な演出、街探索をする側にとっては嬉しいですね。
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