新選組一番隊組長・沖田総司終焉の地を訪ねました。
<説明板>
剣豪としても知られる沖田総司。とても明るい性格だったようです。しかし若くして肺を患い、第一線から退いてここ千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に匿われていました。
<説明板の背後>
説明板の後ろ側、これは堀跡?
かつての堀なら興味深いところですが、川の跡です。ここには旧渋谷川が流れていました。そして総司が身を寄せていた植木屋平五郎の家は、この付近、つまり渋谷川沿いだったようです。
<旧渋谷川>
明治以前の千駄ヶ谷ですからね。今と違って、のどかに川が流れる場所だったのでしょう。天才剣士・沖田総司が眺めたかもしれない川は、暗渠化されて姿を消しました。しかし残された区画には、人を和ませる空気がいまも漂っています。
総司は幕府の医師・松本良順の治療の甲斐も無く、植木屋平五郎宅でそのまま亡くなったと伝わります(慶応4年5月30日)。この時の年齢については諸説ありますが、いずれにせよ20代。新選組局長・近藤勇が、板橋の刑場で処刑されてから2ヶ月後のことでした。
周囲の者達の配慮で、師である近藤の死が総司に伝わることはありませんでした。それ故に、総司は死の間際まで近藤の安否を気にしていたそうです。
■訪問:沖田総司 逝去の地
(大京町交番の隣)
[東京都新宿区大京町]28番地
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