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2019年04月02日

星ヶ岡城跡とされる高台 (山王日枝神社)

つわものどもが夢の跡
星ヶ岡城跡と言われる赤坂の神社を訪ねました。

<土塁>
shirononagori323 (7).JPG
城跡巡りご先達の方々の情報によれば、こちらが遺構のようです。確かに土は盛ってあります。ただ城の土塁とみなしてよいのか?ちょっと実感が湧きませんでした。

<日枝神社>ひえじんじゃ
shirononagori323 (2).JPG
現地はとても有名な神社です。創建の時期は不明ですが、江戸城の築城者である太田道灌が、川越日枝神社を勧請したのに始まるとされています(1478年)。徳川家からも城の鎮守として崇敬され、1659年に当地へ移されました。

<境内の高低差>
shirononagori323 (8).JPG

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shirononagori323 (5).JPG

shirononagori323 (1).JPG

由緒正しき立派な神社ですが、そういった内容は神社専門のブログにお任せするとして、ここでは高低差が伝わる画像だけにしました。高台にあり、中世の山城が築かれていても不思議ではない地形です。

日枝神社がこの地に移された直接の理由は、明暦の大火でした。江戸の大半を焼いた大規模火災ですね。その直後、「松平忠房の邸地が社地にあてられた」とされています。松平忠房は後に島原藩主となる人物。想像の域を出ませんが、土塁が松平忠房の屋敷のものということも考えられますね。繰り返しますが、盛ってある土を、外敵の侵入を防ぐための土塁と思いたい城好きの勝手な想像です。神社が鎮座する平らな区画の隅に、土塁は位置しています。防衛策として理に適っています。

shirononagori323 (6).JPG

さてさて
星ヶ岡城に関しては、いろんな情報が交錯していて、私にはちょっと整理しきれません。まぁ真相はわからないのですが、現地を見る限り「山城だったとしてもおかしくない場所」というふうに受け止め、探索を終わりにしました。ここ山王日枝神社は太田道灌や徳川家康ゆかりの神社。それだけでも来た甲斐はあります。

shirononagori323 (3).JPG

桜の時期、気持ちの良い探索となりました。

-------■ 星が丘城 ■-------
(詳細不明)
現 況:日枝神社
[東京都千代田区永田町]


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posted by Isuke at 22:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[都内]
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