こんちゃ!^^
今日は熊谷市で有名な寺にやってまいりました!^^
寺ってただお参りするだけじゃなくて歴史について調べてから行くと面白さが倍増するんですよ!
ということで今日は歴史メインの回になります^^
歓喜院
熊谷市は寺社仏閣が多いことでも有名です。
こちらの歓喜院は真言宗の仏教寺院で、通称「妻沼聖天山」と呼ばれています。
日本三代聖天の一つとされており、本殿は彩色修理ののち、国宝に指定されました^^
建立したのは当時長井庄(現在の熊谷市妻沼)一帯を本拠地としていた武将の齋藤実盛です。
自身の守り本尊が大聖歓喜天だったことからこの場所に聖天を祀り、長井庄の総鎮守としたのが始まりとされています。
齋藤実盛(さいとうさねもり)
平安時代末期の人物で、源氏である主君の源義朝(みなもとのよしとも)が滅亡したのちに平氏に仕えた歴戦の有力武将です。
主君の義朝とその弟である「義賢(よしかた)」は同族争いをしており、地政学的な判断から義賢のもとに傾きはじめる家臣の動きを危険視した義朝の子「義平(よしひら)」によって義賢は討ち取られてしまいます。
義朝、義賢の両方に従ったことのある実盛は義賢に対する旧恩も忘れてはおらず、義賢の遺児「駒王丸(のちの木曽義仲)」を信濃国まで逃がしました。
義朝の家臣として再び仕え幾多の闘いで奮戦するも、その義朝も滅亡してしまいます。
関東に落ち延びた実盛は平氏に仕えることになり、義朝の子「源頼朝(みなもとのよりとも)」が挙兵しても平氏方にとどまったことで源氏とは敵対関係に。
そして悲劇の闘いが巻き起こってしまいます・・・
かつて実盛が保護した駒王丸こと「木曽義仲(きそよしなか)」の軍と実盛の軍が戦うことになってしまったんです。(篠原の戦い)
結果は平氏側の敗北。
実盛は一歩も引かず奮戦したものの、ついに義仲の部下によって討ち取られてしまいました。
なお、義仲は篠原の戦いに実盛が参戦していたことを知らず、のちに実盛の死を確認した際は、かつての命の恩人を討ち取ってしまったと、人目もはばからずむせび泣いたといいます。
「平和の塔」は戦没英霊の供養と世界恒久平和達成の祈願によって建立された塔です。
先ほどの悲劇のエピソードを知ったうえでここに訪れるとこれからも平和が続くようにと強く願ってしまいますね。
まとめ
緑が多く神聖な空がただよう場所でした・・・
妻沼聖天山では定期的に境内でフリーマーケットもやっています^^
ちなみに熊谷名物の「雪くま」と「聖天寿司」は歓喜院のすぐそばにあるので、是非食べてみてください^^
アクセス
・籠原駅から車で約17分。