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2021年01月06日
私の名前は「深見 谷太郎(ふかみ やたろう)」。
深谷市でネギ料理専門店を営んでいる料理人だ。
深谷氏のページは今日から私が担当させていただく。
まずは深谷市がどんな町なのかについて紹介しよう。
深谷市(ふかやし)ってどんなまち?
深谷市は日本一の生産量を誇る「ネギのまち」だ!
市内にはたくさんのネギ畑が広がっている。
毎年1月に行われる「深谷ねぎまつり」では深谷ネギが格安で購入できるほか、カルソッツなどのグルメも好評だぞ。
深谷ネギ
全国的なネギのブランドとして栽培されている「深谷ねぎ」だが、このネギの特徴は抜群の糖度だ。
10〜15度にもなる深谷ネギの糖度は、果物で言えばみかんに匹敵する甘さ!
すき焼きに入れる際は砂糖を使わなくとも十分甘みが保たれるんだ!
道の駅はなぞの
道の駅はなぞのでは名物の深谷ねぎをはじめ、市内で採れた農産物やグッズの販売もしているぞ。
ネギからとった葱油、深谷ねぎの一本漬け、深谷ねぎを使ったねぎみそなど、ネギ好きにはたまらないラインナップが目白押しだ。
2階には深谷市のゆるキャラである「ふっかちゃん」のグッズの販売を行っている。
このふっかちゃんは2014年のゆるキャラグランプリで2位に輝いた実力者だ。
現在でも根強い人気を誇っているぞ。
まとめ
深谷ネギは基本一年中出回っているが、一番美味しい時期は12月〜3月の寒い季節だ。
そのまま焼いてもよし、鍋に入れてもよし、ネギは料理の脇役と言われているが、深谷市のネギは旬の時期になるとまぎれもない主役になる!
深谷ネギをストレートに味わいたいならぜひ炭火で皮ごと焼いて食べてみてくれ。
とろけるような甘さが口の中に広がるぞ!
道の駅はなぞのへのアクセス
・小前田駅から徒歩16分。
今日はネギの生産量日本一の深谷市が誇る「深谷ネギ」の紹介だ。
深谷ネギのことを品種名だと思っている者がいるようだが、深谷ねぎは品種名ではなく深谷地方で栽培されたネギの総称なんだ。
「深谷ネギ」というブランドがここまで定着したのには深いわけがある。
まずは深谷ネギの歴史から紐解いていこう。
深谷ネギの歴史
深谷ねぎの歴史は明治時代にまで遡る。
当時、深谷市周辺は藍と養蚕の生産が盛んな地域であった。
特に養蚕業に至っては耕地の64%が桑畑となっており、桑の葉を食べて育った蚕は繭を生成し、繭から糸を紡いで作られた絹は高値で取引されていた。
一方、2大産業の1つであった藍の値が暴落したことを受け、明治30年頃から新しい作物栽培の取り組みとしてネギの生産が始まった。
深谷市北部は利根川の氾濫がたびたび起こっていた地域だったが、幾度の氾濫が粘土の高く水はけのよいネギ栽培に適した肥沃な土壌を作り出していたのだ。
しかし大正時代初期になると今度はネギの相場が暴落した。
これを危惧した深谷市の農業指導者「渋沢治太郎」は問屋や商店に依頼して北海道や東北地方へ「深谷ネギ」の商標をつけて出荷した。
これが深谷ネギの始まりであり、のちに世界恐慌によって繭が暴落した際は桑畑からネギ畑への大規模転換を図ったのだ。
深谷ねぎの特徴
深谷ねぎは繊維がきめ細かくて柔らかく、白根の部分が長いのが特徴だ。
そしてなんといっても甘い!糖度は10〜15度あり、特に甘い冬の深谷ネギに至ってはすき焼きを作る際に砂糖を入れなくてもいいほどだ。
しかし近年は産地の広がりによって味や質にバラつきが出始めている。
そこで深谷市では新たに「少し贅沢深谷ネギ」というロゴマークと文字の商標登録をして、太さや形などを厳選した優良な深谷ネギを同時に販売することにしたんだ。
まとめ
深谷ネギの中心的産地は深谷市北部と中南部だが、北部の深谷ねぎは特に美味しいとされている。
深谷市に来てネギを買う際は産地を見て買うといい。
ネギの旬である冬には神社でネギ祭りも行われるからぜひ遊びに来てくれ。
今日は深谷市が誇る偉人、渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)ゆかりのスポットやグルメを紹介しよう。
渋沢栄一は令和6年において新紙幣一万円札の顔となることが決まっている。
令和3年には渋沢栄一を主人公とした大河ドラマも放送される予定だ。
では渋沢栄一とはいかなる人物なのか、簡単に話していこう。
渋沢栄一
渋沢栄一は幕臣、官僚を経て実業家に転じ、数々の会社の設立に携わることで資本主義の発展を支えてきた人物だ。
彼は第一国立銀行や理化学研究所、東京証券取引所などの有名な会社を含め、約500もの会社の設立に関わっている。
これらの功績から渋沢栄一は「日本資本主義の父」と称されるようになったんだ。
深谷駅
深谷駅を見てみると東京駅にそっくりなのが分かるだろう。
これは単に東京駅を模して作ったのではなく、東京駅そのものが深谷産のレンガで作られていたからなんだ。
そしてそのレンガを作った日本煉瓦製造は渋沢栄一らが設立している。
現在は「ネギのまち」としてイメージが強い深谷市だが、昔はレンガのまちだったのだ。
渋沢栄一生家
この渋沢栄一生家は渋沢栄一の姉夫婦が、渋沢栄一が帰郷した際に寛いでもらえるように、実家の跡地に建てたものだ。
実際渋沢栄一は帰郷したときに何度もここで寝泊まりしていた。
現在は県指定の旧跡として無料で見学できるぞ。
ここから徒歩11分の場所には渋沢栄一記念館がある。こちらも入場無料だ。
煮ぼうとう
煮ぼうとうは渋沢栄一が好んで食べていたグルメの一つだ。
現在でも深谷市の郷土料理として市内の飲食店で食べることができるぞ。
寒い冬にピッタリのメニューだな。
まとめ
おそらく大河ドラマが始まってからだと渋沢栄一に関わるスポットにはたくさんの人がやってくるであろう。
渋沢栄一ゆかりの地をのんびりと巡りたいのであれば大河ドラマが始まる前に行っておいたほうがよさそうだな。
だが今はならんぞ!行くとしたらウイルスが終息したのちに行くのだ。
渋沢栄一記念館へのアクセス
・深谷駅から車で約15分。
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