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今日は埼玉県と群馬県の境を流れる「神流川(かんながわ)」にまつわる話です^^
この神流川、現在は美しい山並みが見える静かな景勝地ですが、戦国時代は関東でもっとも激しい野戦が繰り広げられた場所だったんです・・(・_・;)
そして上里町一帯は「神流川の戦い」で滝川軍と北条軍が激戦を繰り広げた地域でもありました。
北条方
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当時の北条方は、「御館の乱」で武田と上杉が同盟を結んだことにより、上野(現在の群馬県一帯)の大部分を武田に支配されている状況にありました。
北条はその打開策として織田信長と同盟を組み、織田軍が甲州征伐で武田家を崩壊させた際は支配されていた上野を取り戻せるのではないかと期待していたものの加増は得られず、織田家に対して不信感を抱き始めていました。
織田方
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一方の織田方も、北条と武田が組むのを避けるために同盟を組んだだけであり、武田が滅亡したいま、そこまで北条にご機嫌を伺う必要もなくなったというわけです。
つまり上野を狙っていた北条と、武田と北条が組むことを牽制した織田は表面上だけの友好同盟であり、最初から深い結束はなかったのです。
滝川一益
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信長の家臣であった滝川 一益(たきがわ いちます/かずます)は甲州征伐が集結した折、信長から上野一国と信濃(長野県一帯)の一部を与えられ、上野にある厩橋城を本拠としていました。
ところが本能寺の変で信長が死亡したことを聞きつけた北条方は、今が上野を奪うチャンスだとばかりに上野に向かって進行してきたのです!
神流川の戦い
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信長を倒した光秀を討伐するために京都へ向かいたい一益ですが、上野を奪おうと妨害してくる北条軍を前に戦わざる得ない状況になってしまいます。
神流川で激戦を繰り広げる両軍ですが、数で勝る北条軍に滝川軍はコテンパンにやられてしまいます・・・
支配していた上野から逃走した一益は居城である伊勢長島城へ帰還するものの、先の戦いの影響で織田家の後継者を決める「清洲会議」に間に合わず、織田家における自身の地位が急落するなどふんだりけったりな結末となってしまいました・・(-_-;)
まとめ
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当時の北条軍の勢力はかなり強大だったのですね・・・
現在の埼玉や東京も当時は後北条氏が支配していたので、このあたりは北条に関係する史跡が多いのです。
今でも上里町の「かんなかわはし」付近には神流川古戦場の石碑がたてられています。
神流川に遊びに行くついでにでも見てみてください^^
アクセス
・新町駅から徒歩約23分。