2020年02月20日
ただ回っているだけじゃない!当時の農民を助けた水車の役割/寄居町
今日は水車についての話だ。
日本一大きい水車がある町として知られている寄居町だが、水車にはどのような役割があるか知っているか?
現在はよくそば屋などで飾り物の水車を見かけるが、江戸時代以降に本格的に使われるようになった動力水車は農作業の手間を省いてくれる万能の道具だったんだ。
水車の歴史
日本に水車が伝わったのは遥か昔に遡る。
610年、高句麗から来た曇徴(どんちょう)という僧が水車で動く臼を造ったことがきっかけとなり、平安時代に桓武天皇の息子である良峯安世(よしみねのやすよ)が諸国に灌漑用水車(田畑に水を引く水車)を作らせたんだ。
水車作りは初め難航していたものの、宇治川に住んでいた村人に作らせたところ見事完成した。
灌漑用水車は水輪の間に筒が固定されており、回転すると同時に水を汲み取ってくれる仕組みになっている。
現在では揚水水車や筒水車と呼ばれているな。
水車稼ぎ
江戸時代以降には灌漑だけではなく米の精米や製粉にも利用されているぞ。
なぜ回転しているだけの水車にそんなことができるのか、それは水の力で水輪が回ると水輪の中央にある「心棒」も回るからだ。
水車小屋の中へと続いている心棒の先にはいくつもの歯車や杵が取り付けられており、回転する歯車が杵突き棒を上下に動かしたり、臼を回転させたりしているんだ。
臼の部分の仕掛けは特に見ごたえがあるぞ。縦回転する歯車が横回転する歯車と噛み合わさることによって、横回転する歯車の下に取り付けられた臼が回って製粉しているんだ。
当時、水車を利用した製粉業は「水車稼ぎ」と呼ばれていたそうだ。
水車の種類
水車は水流のあるところや、水輪に取り付けられた水受けに水が溜まることによる重みで回転しているが、水がかかる部分によって名称も変わっていくんだ。
「上掛水車」→水車の水輪を人間に見立てて考えると導水路は「頭」の部分だ。水の吐きだし方向と水車の回転方向が同じなので一番効率がいい。
「胸掛水車」→水車の水輪を人間に見立てて考えると導水路は「胸」の部分だ。水の吐きだし方向と水車の回転方向は逆なので効率はよくない。
「中掛水車」→水車の水輪を人間に見立てて考えると導水路は「腹」の部分だ。日本一大きい水車の写真を見てくれ、あの巨大水車は中掛水車だな。
「腰掛水車」→水車の水輪を人間に見立てて考えると導水路は「尻」の部分だ。人が腰を掛けたぐらいの位置だな。
「下掛水車」→水車の水輪を人間に見立てて考えると導水路は「足」の部分だ。水量のあるところで使われている。
まとめ
水車は水の力を最大限に生かし、本来なら人の手で行わなければいけなかった作業も自動で行える画期的な道具だった。
しかし文明の流れが人力→畜力→水力→蒸気力→電力へと変わっていくにつれて、水車を使った作業はどんどん衰退していってしまった。
そんな中、この町にある川の博物館では県内にかろうじて残っていた皆野町と東秩父村の水車2棟を復元し、さらに日本一大きな水車まで完成させた。
これは先人たちの知恵を後世まで伝えたいという想いからきているのだろう。
寄居町に来たときは日本一の水車の大きさに驚くだけではなく、どのようにして水車が動いているかも含めて細かく見ていくともっと面白いぞ!
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