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2022年07月27日
勝運の神 【轟木日子神社】 佐賀県鳥栖市の神社
佐賀県鳥栖市轟木町の長崎街道の轟木宿に鎮座する
轟木日子神社(とどろきひこじんじゃ)の
創建は慶長二年(1597年)9月23日。
佐賀藩藩祖鍋島直茂が、
豊前国(福岡県)の英彦山権現を崇敬され、
慶長二年、強い願いによりその分霊を勧請しました。
明治初めには英彦山神社と称していたが、
のちに日子神社と改められた。
旧社格:村社
大正14年、神饌幣帛供進神社に指定。
御祭神
正勝吾勝々速日天忍穂耳尊
(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)
伊弉諾尊・伊弉冉尊
合祀:菅原道真
御利益
諸産業隆昌、勝運招福、金運、家門繁栄、商売繁盛
無病息災、厄除け、病気平癒、縁結び、夫婦円満、安産・子育てなど
鎮座地
佐賀県鳥栖市轟木町町屋敷1475
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2022年06月09日
【日本三大八幡宮】筑前国一宮 筥崎宮 福岡市の神社 【勝運のパワースポット】
筥崎宮(はこざきぐう)は、
筥崎八幡宮とも称し、
宇佐、石清水両宮とともに日本三大八幡宮に数えられます。
勝運のパワースポットとして有名な筥崎宮には
ソフトバンクホークスをはじめ、アビスパ福岡などの
数多くの名門スポーツチームが必勝祈願に訪れています。
創建の時期については諸説あり断定することは困難ですが、
古録によれば、平安時代の中頃である延喜21年(921年)、
醍醐(だいご)天皇が神勅により「敵国降伏」(てきこくこうふく)の
宸筆(しんぴつ)を下賜され、この地に壮麗な御社殿を建立し、
延長元年(923年)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より
遷座したことになっています。
創建後は祈りの場として朝野を問わず篤い崇敬を集めるとともに、
海外との交流の門戸として重要な役割を果たしました。
鎌倉中期、蒙古(もうこ)襲来(元寇)のおり、
俗に云う神風が吹き未曾有の困難に打ち勝ったことから、
厄除・勝運の神としても有名です。
後世は足利尊氏、大内義隆、小早川隆景、豊臣秀吉など
歴史に名だたる武将が、参詣、武功・文教にすぐれた
八幡大神の御神徳を仰ぎ筥崎宮は隆盛を辿りました。
江戸時代には福岡藩初代藩主黒田長政以下
歴代藩主も崇敬を怠ることはありませんでした。
式内社(名神大社)、筑前国一宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
主祭神:応神天皇
配祀神:神功皇后・玉依姫命
御利益
勝運、厄除け、商売繁盛、学問芸術、安産、交通守護、家内安全など
鎮座地
福岡県福岡市東区箱崎1-22-1
2022年06月08日
『商売繁盛と縁を結ぶ神』十日恵比須神社 福岡市の神社
十日恵比須神社(とおかえびすじんじゃ)
社伝によれば、
香椎宮大宮司家の武内五平十郎(後隠居して五右衛門と称す)は
分家して「神屋」と号して博多で商売を営んでいたが、
天正19年(1591年)1月3日、香椎宮・筥崎宮を参拝の帰りに、
香椎浜に流れついた恵比須神の神像2体を拾い、
それを自宅に持ち帰って祀ったところ家運が隆盛。
翌年の文禄元年(1592年)1月10日、
平十郎が神像を拾い上げた場所に社殿を設けた。
そののち元和元年(1681年)11月15日、
四代目平十郎が創建90年にあたって千代の崇福寺境内に社殿を再建する。
明治12年(1879年)10月、崇福寺境内から東公園に遷座する。
昭和4年(1929年)には東公園整備に伴って現在の地に遷座する。
昭和43年(1968年)には別表神社に加わる。
御祭神
事代主大神(ことしろぬしのおおかみ)
大國主大神(おおくにぬしのおおかみ)
事代主大神の父神、大國主大神は
出雲大社から御分霊を迎えて合祀されました。
事代主大神は「えびす様」、
大國主大神は「だいこく様」という呼び名で広く知られており、
最も親しみのある神様です。
御利益
商売繁昌、金運、家内安全、厄払い、縁結び、航海・海上安全、漁業繁栄など
鎮座地
福岡県福岡市博多区東公園7-1