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安全地帯・玉置浩二の音楽を語るブログ、管理人のトバです。安全地帯・玉置浩二の音楽こそが至高!と信じ続けて四十年くらい経ちました。よくそんなに信じられるものだと、自分でも驚きです。
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2024年11月10日

気分がいいんだ

スペード [ 玉置浩二 ]

価格:2385円
(2024/1/20 11:09時点)
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玉置浩二『スペード』十一曲目「気分がいいんだ」です。

「AたってB気分だ〜」が基本の裏切られてばっかりのやるせない歌詞で、ノリが非常にいいのにせつなくなってきます。それをサビでひっくり返して、ものは考えようだからこれで気分がいいんだ、と宣言します。いやそれ気分良くないでしょ!コード進行も軽快ながらどこか陰鬱です。これは、ものは考えようだと開き直るしかなかった2000年代初期の辛気臭い日々を非常によく象徴してくれているようにわたくし思うのです。

すべてが思い通りに回った安全地帯絶頂期、すべてがひっくり返り何もかも思うようにならなかった90年代前半、驚異の復活を遂げた90年代中期、そしてすべてを自分の思うように回せる規模にまで活動のスケールを縮小した90年代末期、そして21世紀初期にこのような心境、ちょっとは思い通りじゃないけど省エネモードだからこれでいいんだと思う段階に至ったのだと思わずにいられません。

Simon & Garfunkelの、ベストアルバムに入っていないような曲を聴いている感覚に陥ってきます。もちろんクオリティが低いって意味でなくて、シングル向きでない、コマーシャルでないという感じです。なんていうんですかね、「At The Zoo」とか「Keep the Customer Satisfied」みたいなやつ。フォーク?カントリー?ビートルズにもよくありますよね、こういうノリの曲。アルバム曲がこういう曲である感じは、わたしが幼少の頃に親世代のレコードで聴いていた時代の洋楽にとても近いです。CD時代だったらとばしていたような曲ですが、レコードとかカセットだったため簡単にスキップできずついつい何百回と聴いているうちに気に入ってしまうという、あの謎のハマり感があるのです。現代だと買いもしない、いやもっというと、タダでYouTubeで聴くことすらしない……ようするに聴かれない曲たちです。アーティストの底力というのはしばしばこういう曲に現れているんですが。

曲は「アブン……トゥー……」という謎のささやきで始まります。なんでしょう?「お弁当」?そんなわけないので、例によって何の意味もないリズム先行のノリでしょう。軽快でありつつも閉塞感あるリフに乗せて「よっていって」テケテケ「ような気分だ」「やってたって」テケテケ「ような気分だ」「なってたって」テケテケ「ような気分だ」と、ことばでリズムをリードしていきます。そしてなんといってもベースのノリの良さが際立っています。玉置さんはベースが得意だとおっしゃってましたが、これは本当にベースを弾きながら歌ったんじゃないかってくらい言葉とベースがたがいに呼応しています。翼くんと岬くんのパス回しのように奇跡のような歌とベースのコンビネーションが分かれ、歌は一気にサビに入ります。ベースは「ドウーン」とのびやかに、歌は「楽しくやれるのがいい」と細かい譜割で刻んで、「そんな〜気持ちだ〜」からアコギのリフに導かれ、またパス回しの黄金コンビネーションに戻るのです。この緩急はごく普通の手法でありながら、ボーカルのとんでもない説得力と、それにぴったり合うベースワークにより、凡百の緩急ではないものに仕上がっています。どこにも泣かせるメロディーがないのに、この浸透力というか、記憶に食い込んでくる速さに驚かされます。それは歌詞によるところも大きいのでしょう。いよいよ作詞も板についてきた玉置さん、当時は歌詞ばっかり考えていたそうです。メロディーと同様、どこにもリリカルさや切なさがないのにもかかわらず強引に脳髄に食い込んでくるような言葉のセンス、秀逸というほかありません。

泣けるメロディーとリリカルで切ない歌詞によって天下を取ったこともある玉置さんが、それに匹敵する武器をいま確実に自分のものになさったのです。Status Quoがぜんぜん日本やアメリカで売れないのは、日本人アメリカ人とイギリス人とでは聴くところが違うからでしょう。同様にこの時期の玉置さんが売れなかったのは、玉置さんと日本人とに大きな食い違いがあったからであって、ディープな玉置マニアだけがこの快感を享受できたわけですが、そうした境地に達していた人は当然に当時の邦楽一般を楽しむことはほとんど不可能だったことと思われます。や、そういう方はStatus Quo聴きましょう、あんな邦楽なんかどうでもいいじゃないですか(笑)。ちなみに2001年は……「恋愛レボリューション21」の年だそうですよ!あったねーそんな歌!ちょうちょうちょう!いい感じ!

ぜんぜんちょうちょういい感じなどではなく、21世紀最初の年は閉塞感に満ちていました。ITバブルは崩壊するわ9.11は起こるわで景気はダダ下がり、失業率は過去最高ともいわれたひどい年でした。いま思えば「年越し派遣村」のあった2008年のほうがショックは大きかったですが、当時はそんなの予想できてませんでしたし。芸能界がテレビのなかだけで必死に空騒ぎしている感が大きかったです。そんな不埒な動きからは距離を置いて超然と音楽を作り続ける玉置さんの歌が逆にとてもリアルに感じられたものです。

曲は二番に入りまして、そうした空騒ぎの人々の不誠実さをチクリとやるような歌詞が光ります。本気だよ、頼りにしているよと近づいてくる、そんなカネしか見てない人たちは、カネにならないと思ったら波が引くようにサッといなくなります。それをよく知っている玉置さんはイイ気になってもどこかシラけているような、そんなハマり切れない警戒感をもつようになってしまっています。90年代から00年代のどこかに若者時代がかぶる人ならばその感覚をある程度共有しているんじゃないかと思います。余裕がなくてどこかギスギスした、他人行儀な、そして人がすぐいなくなるような不安定さ、あれに何年も身を置くとそりゃ警戒しますよ。信じ切っちゃいけないって。そして人は荒んでいきます。その一方で、たしかに「切り抜けられる時代」であることには少し希望が感じられます。ですがこれも、どうせ長い付き合いではないのだから身ぎれいにしておく意味が薄いくらいの悲しい意味なんじゃないかと思われてなりません。「好き勝手」でも「思い通りにならない」という二進も三進もいかない、ようするにカネがない(笑)夢のない時代であったのです。

ですから、「優しくいれる」「ジワーっと涙が溢れる」ことはまことに尊いのです。『スクール・ウォーズ』で川浜一のワル大木大介が、岡田奈々の握った大きいおにぎりをバスの中で食べたときのような気分とでもいいましょうか、誰も信じられない世の中でこれだけの無償の愛を与えられて、涙が出ないはずがありません。意気に感じないわけがありません。あのご時勢で「そんな気持ち」になれることは本当の幸福だったのです。

先生よォ、ラグビーやればわかるんだな?と不信感だらけなのに少しだけ人を信じてみる気持ちになり、無心にボールを追いかけた大木はすっかりその気になります。そしてイソップの死を乗りこえ、最も頼れるキャプテンへと成長していくのです。それこそジャンケンポンで不意を突いたり軽口叩いてやりなおしさせたりできるような、そんな不信感や警戒感などを感じなくてもよい気のおけない人間関係というものが育まれていく……それはまさに「気分がいいんだ」、それこそ人間の美しさってものでしょう。ああ、いつのまにかすっかり大木大介の話になってるような気がしなくもないんですが(笑)、もちろん玉置さんの話ですとも!

スペード [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 17:51| Comment(2) | TrackBack(0) | スペード

2024年10月25日

美味しいジュース

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玉置浩二『スペード』十曲目「美味しいジュース」です。

なにやら「DANCE with MOON」を彷彿とさせるリズムで曲は始まります。あちらが落ち着きつつもなにやら不穏な影を感じさせる曲調であったのに対し、こちらは安藤さんのうすい鍵盤の伴奏が入ってすぐに明るく軽快な曲調であることがわかります。よーく聴くとギターのカッティングも入っていますね。これは遅いロックンロール……すみません、なんてジャンルに入るかわかりませんが、ロックの類であることは疑いがありません。

ここからちょっと不思議系ともいえるロック曲がアルバムラストまで四曲続きます。いや、不思議系というか、玉置さんや安全地帯のイメージを求めると不思議にしか聴こえないというべきでしょうか。むしろロックとしてはこれが非常にスタンダードな感じなんです。ロックには昔から何をやってる・言っているのかわからない曲がしばしばあるのです。後期ビートルズがその最たる例でしょう。「アイアム・ザ・ウォーラス」「マクスウェル・シルバー・ハンマー」なんて、大名曲なんですがマジで何を表現したいんだかわかりません。「Humpty Dumpty」は本当に卵なのか?とか話し出すときりのないマニアホイホイな曲がごっちゃりあるものなのです。ですが、玉置さん業界でも「美味しいジュースとは何を意味しているんだろうか」とか議論になったのを寡聞にして知りません。

きっと、たんに慣れてないからなんでしょうね。愛とか平和とか日常の何気ないことにひそむ幸せとか、そんな歌にわたしたちは慣れ過ぎてきました。だからビートルズが童謡や連続殺人犯のことを歌うと戸惑っちゃうんです。玉置さんだってなんでも歌うんです。愛も平和も、そして美味しいジュースのことだって。

“The question is,” said Alice, “whether you can make words mean so many different things.”
“The question is,” said Humpty Dumpty, “which is to be master−that’s all.”

アリスは言いました「問題は、あなたが言葉にそんなにいろんなことを意味させることができるかどうかだわ」
ハンプティ・ダンプティは言いました「問題は、ぼくと言葉のどっちが主人であるべきかってこと、それだけさ」
(『鏡の国のアリスThrough the Looking-Glass』より)

玉置さんと音楽・言葉、どっちが主人たるべきなのか?問題はまさにここだけであるように思えます。玉置さんはまさに天衣無縫、音や言葉、そして声を自由自在に使いこなしているように思えてなりません。わたしは玉置さんの曲を聴いて、その歌詞を読み取り、こういう意味だろうと感じます。ですが、玉置さんはぜんぜん違う意味をそれらの音や言葉に乗せているのかもしれません。それはビートルズの「アイアム・ザ・ウォーラス」「マクスウェル・シルバー・ハンマー」がさっぱりわからない感覚によく似ているのです。『ニセモノ』からその傾向が強くなってきたのですが、この傾向は本アルバム後半に絶頂に達したことをわたくし確信するものであります。玉置さんは後期ビートルズの域に達した!いや、これも不遜でしかありません。私の分かる範囲でいうと同じ領域に属するようになったというだけで、ほんとうはジョンもポールも玉置さんも、ぜんぜん別々のことをやっているのかもしれないのですから。

さて曲はベースとルーズな雰囲気を持つギターソロ(ツインでハモリ?)が入って本格始動、ギターソロにかわって玉置さんの歌が始まります。短いことばを軽快に高めの音程で重ねてきます。手で握りつぶしてかきまぜただけの、濾過とか全然しないから青臭い沈殿物があるようなジュースです。ぜんぜん「美味しいジュース」って感じがしないんですが、ともかく新鮮なのはよくわかります。口の中ではクワッと刺激があるんだけども、なんか体がその栄養と鮮度を求めちゃってるようでやめられないって感じでしょうか。

「よく振って」でリズムを締めてから曲はサビに入ります。ギターが「ンジャッ!…ジャジャッ!ンジャッ!」って感じのキレのいいフレーズから掻き鳴らす系に変わります。ですが、ドラムの基本は変わりません。それなのにこんなに華やいだ感じになるのが不思議です。わたしだったら思い切りドラムパターンを変えてしまいます。わかりやすく変化を感じさせたいからですが。ああまた自分の安易なアレンジ思想を自覚してしまった……きっとこの変化はベースがカギなんでしょう。この曲はボーカルとベースが連動していて、AメロBメロでは「ボ!ボボ!」と短く刻む歌とベースだったわけなんですが、サビでは「ラーララー」と歌うように歌う……いや変だな(笑)、ともあれ歌もベースも刻みから流れに変わるわけなのです。それがこの加速感、タイトさを表現しているのでしょう。

サビでは「ジュース」と「ぐーっ」が同じ音に充てられていて、グルーヴをつくっているのですが、なんとこの曲、サビで転調します。一音上がるのです。一音上がってまた「ジュース」「ぐーっ」なのです。それがさらに加速感を増すのです。言ってみればそれがこの曲の最大の盛り上がりどころ聴かせどころで、他の部分はすべてここを生かすように作られているわけなのですが、よくもまあ、「ジュース」を「ぐーっ」と飲むということそれだけを表現するためだけにここまでのことを……その天衣無縫さに圧倒されます。ぐーっと飲み干してくださいふたりで、の「ふたりで」って誰だよ!とか、もうどうでもよくなります。そんなこと表現したいわけじゃなくて、あくまで「ジュース」を「ぐーっ」と飲むことがメインなんですから。

曲はイントロと同様のアンサンブルに戻り、またAメロBメロに入ります。今度は自分の絞ったのでなくてとあるところから仕入れた特別のジュースであるようです。ラベルのないやつってのはさすがにわたしも飲んだことが……農協とかで売っているやつで、ラベルを貼って出荷する前のものなんでしょうね。つまり農家から直接買ったのでしょう。それはさぞかし美味いでしょう。人に飲ませて喜ばせたくなる、反応を見たくなるのも当然です。リンゴとかみかんとかのやつはよく出回ってますけども、軽井沢ならリンゴか、あるいは桃でしょうかね、なー?美味いだろ?ってニコニコしながら自分でも飲んでいる玉置さんの顔が浮かぶようです。それは男が女を愛することや世界の平和を願うこととフラットに人生の喜びとして起こりうることなのでしょう。

そして二回目のサビが終わり、何やら不思議な「コオオー」「キ!キ!」「ホヘホーホヘホー」と、玉置さんがいろんなことをして作り上げた音たちがベースソロに絡められて不思議な雰囲気、BaNAnaと二人で作っていた曲のような雰囲気がアコースティックに表現されます。こりゃすごい!よくぞ!とムリヤリな興奮しなくても(笑)、まあ、長年のリスナーなら「おっ?」とは思わされますよね。そしてユニゾンのギターでちょっとしたソロが流れ、曲は最後のAメロに……Aメロで終わるのかい!もうAメロという言い方がいかに陳腐化を思い知らせるかのように自然な終わり方をしていきます。「左手でそっと魔法(まじない)をかけたやつ」というイタズラ心満載のジュースを人に飲ませます。飲まされた人はあわれ「四、五日くらい夢見」ることになります。これは食中毒で寝込むという意味ではたぶんなくて(笑)、「あのジュース美味かったなあ〜」と折に触れて思い出すのでしょう。玉置さんからすれば最高のごちそうであり、すごく喜んでもらえてよかった!幸せだ!という気持ちなのでしょう。歌詞カードの最後「エヘヘ」は実際には歌われていないように聴こえますが、そういううれしくて幸せな気持ちを示すものなのだと思われます。歌詞の最後が「エヘヘ」は前代未聞!いちいち新境地を見せてくれますねえ。ここから四曲、ラストまでこんな調子になります、21世紀の最初の年に玉置さんが到達した、ある意味頂点がここからずーっと続くのです。なんと贅沢な!わたくしも気合を入れて記事を書いてまいりたいと思います。

いやーここ最近まるきり更新できていなかったんですが、ようやく一息つきました。年に何度かこういうとんでもなく忙しい時期があるのですが、今年はそれに加えて二つキッツいのが夏から秋にかけてありまして、終わってからも何日か動けませんでした。「美味しいジュース」のことが気にかかりつつも、ジュース一杯楽しむ余裕すらなかったのです。やっと広告が消せる!(笑)

スペード [ 玉置浩二 ]

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2024年09月16日

君だけを

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玉置浩二『スペード』九曲目「君だけを」です。「太陽になる時が来たんだ」以来のバラードで、通常ならアルバムの最後に来るような曲です。このアルバム『スペード』は玉置浩二のアルバムとして初の、バラードでない曲で終わるアルバムです。なぜそうなったのかは全く存じ上げないのですが、たんにこの曲の歌いだしが「ブナの木陰」だから「ブナ」の次にしたってだけなんじゃないかと思います。

ただこの曲、このアルバムで数少ないバラードであるというだけでない、なんらか異質な感触があります。なんというか、悪くいうと単調なんですがとにかく骨太なんです。サビのメロディー、それはイントロでギターで弾かれたメロディーでもあるのですが、これだけで勝負する!このメロディー以外はぜんぶ脇役!このメロディーが要求するものだけでこの曲を全部仕上げて見せる!という気概にあふれているのです。そうしてできた曲というものには一種独特の存在感があって、アルバムを聴くたびに「あっ来た来た!」と思わせる、そしてそのアルバムにおける拠点というか、その曲を中心にそれより前とか後とか把握するようになっていく、そんな強さを放っているのです。「Friend」「田園」がその代表格でしょう。

そのメインメロディーを、ガットギターの切ない音がなぞります。左チャンネルにこれまたガットギターのアルペジオ、右チャンネルにおそらくスチール弦のストローク、全く正体の分からないパーカッション……バスドラ的なものがダンボール?左チャンネルのチチチチがキットカット?これらは本やインタビューで書かれていたからそうかもと思うだけで、書かれていないスネア的なものはもうまったく見当もつつきません。

歌が入って、すごく丸い音のベースが入ります。これも低音を感じるからベースだとわかるだけで、音色のつくりはまるでわかりません……。そして右チャンネルのギターはアオリ役になり、歌に泣ける合の手を添えます。この感覚、安全地帯に近い感じがします。左チャンネルが玉置さん、右チャンネルが矢萩さんなんじゃないかと思われてなりません。曲はぜんぜん安全地帯じゃないんですけども。

ブナの木陰で寄り添い話す、子どものころの夢を見て少し眠る……「話そう」「眠ろう」と、日常生活ではいちいち言わないくらいごくふつうの営為です。「やあ、いまからブナの木陰で寄り添いながらそっと話しに行かないか?」って誘わないじゃないですか。自然にそうなることはあるにしても。だから、変な言い方をすると自然なことを不自然に歌っているんです。ですが、そんなこと言ったら歌なんてぜんぶ不自然ですから(笑)、「どーだい、もうこれ以上ひとりじゃないさ」とか言わないようにしましょう。だから、こういうごく自然なことを歌にする、そしてぱっとは不自然に聞こえないくらい滑らかな表現をつくる感性ってもんがあって、それが飛びぬけて鋭いんですね。だからどうかそばにいてって言わないですよね……え?みなさん言うんですか?(笑)。

さて、曲は通常のドラムの音が入って全体の音量がグッと上がります。志田さんのインタビューにあったように、玉置さんがおれおれ!おれにやらせて!ってフェーダーをニコニコ上げる光景が浮かびます。余談ですが、このころちょうどフェーダーの上げ下げを機械に覚えさせる仕組みが出てきたころだったんじゃないかなと思います。いわゆる「オートメーション」ってやつなんですが、それがないと、わたしが若かったころのようにメンバーがずらっとミキサーの前に座って、おまえ何番から何番なって言って、ノートにぜんぶ何秒から何秒までメモリいくつって書いておいてそれを見ながらみんなでセーノでミックスダウン(各トラックの音量上げ下げまで含めて録音すること)することになります。当然誰かがミスするとやり直しですから、一晩中大騒ぎになります。もしかしてプロ用のスタジオではもっと早くからオートメーションあったのかもしれませんけども、このアルバムの時点ではすでにアマチュアが使うようなスタジオでも……いや、なかったな(笑)。旧世代の機材を大事に使っているスタジオで相変わらず大騒ぎしてた気がしてなりません。

で、サビではメインメロディーを玉置さんが切々と歌うわけです。そばにいて、離れないで、抱きしめて、Kissをして……ここまで全部お願いで、いつまでも君だけを見つめるんだ……ずうっとずうっとと決意表明、むむ、やはり安全地帯を思い出します。「燃えつきるまで」「To me」あたりです。あの頃は若者らしい、あやうげな自信たっぷりに歌う玉置さんの色気がビンビンでしたけども、15年を経てふたたびその手法をもちいた玉置さんは、スーパーナチュラルです。色気も攻撃性も消え失せ、ただただ強さとやさしさとだけが残ったのでした。「ずうっと」の「う」が泣かせます。これは「To me」のような大仰なアレンジなど必要のない、ただただ玉置さん自身の強さとやさしさに泣かされるのだと思い知らされます。このアルバムの後、安全地帯を復活させる準備ができたことを示唆するかのような歌詞だったのです。当時はそんなこと夢にも思いませんでしたけども。

そして二番、銀色の草原、夜空の星……どこまでも自分と「君」しかいません。そういう曲ですから当たり前なんですけども、秋枯れの草原も空気が澄んで冷たい夜空も、ふたりきりの世界に似合いすぎです。「夜空に消えた〜」から入る安藤さんのさりげないオルガンが効いています。まさにビートルズかと思わされる音作りです。

だからどうかそばにいて……ここからエンディングまでずっと展開的にはサビです。サビを三回繰り返します。二回目は泣きのアコギソロですけども、歌も泣きの歌ですから変わりありません。アウトロは非常にあっさりとしていて、余計なものをこのメインメロディーに混ぜないという強い意志が感じられます。歌詞もほとんど繰り返しです。この歌詞で勝負だ、それ以外はいらない……バリエーションをつけようとしておかしな言葉を入れがちなわたくし、すっかり打ちひしがれます。ほんとうにいいメロディー、歌詞は、余計なことしなくていいんだ、それだけでいいんだと、最高の手本を見せてくれているのでした。もちろん玉置さんにそんなつもりはないので、そうわたしが勝手に学ばせていただいた気になっているわけですけども。

初聴時は例によってそんなこと気づかないわたくし、なんか同じことばっかり歌ってるなくらいに思っていたのですが、ふとしたときにこの歌を口ずさんでいて気がつくわけです、この歌のメロディーと歌詞の圧倒的な強さ、やさしさに。直観のほうではぜーんぜん受信できていないんですけども、脳細胞に叩き込まれているんですね。だから、わたくし自分の直観というものをあんまりアテにしていません。内奥の情感にねじ込まれてゆくものは、わたしの意思や思考などとは無関係にインプットされていくのです。だからこうやって四半世紀ちかくもたってから、自分の中に叩き込まれたものを内省的に記事にしているんだろう、と思うのです。

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2024年08月26日

ブナ(Instrumental)

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玉置浩二『スペード』八曲目「ブナ(Instrumental)」です。作曲は玉置さんと安藤さんの共同クレジットになっています。

森の奥の静寂を思わせるキーン……という高音に、スタンウェイっぽいボキボキとしたピアノの音、そしてストリングスとも少し違った中音域のボワーン……とした音、これらが組み合わされて幻想的な雰囲気を作っています。一分半ほどの短い曲で、油断していると聴き逃すことうけあいです。わたくし的には前々曲「アンクルオニオンのテーマ」前曲「スペード」と一体の作品なのでこのくらい短いのがむしろ当然なのです。硬質な印象のある「スペード」を柔らかい雰囲気のある「アンクルオニオンのテーマ」「ブナ」で挟んで映画の三幕構成を思わせる壮大な仕掛けになっている(と執筆者が勝手に思っている)わけです。

当時、講談社から『ヤングマガジンアッパーズ』という雑誌が出ていました。ヤングマガジンは絶好調で、このような派生形というか、客寄せのための中堅〜大御所クラスの漫画家を幾人か混ぜたほかは、基本的に新人たちの本誌への登竜門的な位置づけになっている雑誌を刊行することができたのだと思われます。そしてその中堅〜大御所であるところのかわぐちかいじさんも作品をおよせになってました。そしてもう一人、一色まことさんが『ピアノの森』という作品を寄せておられました。そう、のちに『モーニング』に移籍して、しかもアニメ化されたあの名作『ピアノの森』です。とある名ピアニストが思い余って森の中に放置したピアノが野ざらし雨ざらしの経年劣化で当然にその音を失っているわけなんですが、森の端に住む少年だけがそのピアノを鳴らすことができる、幼いころからそのピアノを弾いて育った少年はいつしか天才的な音感と演奏技量を持つに至っており、音楽教師として街に戻ってきたピアノの持ち主を驚愕させ、やがて師匠と弟子として音楽の世界へと進んでゆくという美しい話です。

のちにアニメ化されちゃいましたから、当然に誰かが弾いて音をあてたんですけども、当時は漫画だけでしたから、森のピアノの音はこの「ブナ」のような音なんだろうとずっと思っていました。もちろん安藤さんがスタジオで弾いた音なんですけども(笑)、高音中音の混ぜ方と、そしてピアノの音の処理によるこの幻想的な雰囲気は、物語のピアノが出す音をイメージさせるものだったのです。

話は思い切り逸れてるのは承知の上です。その『ヤングマガジンアッパーズ』、1998年に創刊されたんですがこれがまあ、お下品な作品が多く(笑)、90年代の性とか薬物とか暴力とかに脅かされる少年少女たち的な状況設定の漫画が多かったように思います。これは別に漫画家さんや編集部のせいでなくて、世の中がそういうものを欲していた、それが当たり前だった、という事情によるところが大きいのでしょう。すぐにインターネットの波がやってきて、なにやら可愛らしい「萌え」キャラクターの時代に変わっていって、そういった90年代のお下品さとはまた違った雰囲気が世の中を席巻していったように思われるのです。そんな状況にあって漫画雑誌の売り上げも落ちて行ったのでしょう、『ヤングマガジンアッパーズ』はいつのまにか廃刊、『ピアノの森』もどうなったことやら、わたしも一年くらいしか読んでいませんでしたから状況は全然わかりませんでした(金がなく買い続けられなかった)。でも、あの美しい物語はその後どうなったのだろうと気にはしていたのです。のちに『モーニング』で復活していたと知った時はうれしかったです。

ぜんぜん玉置さんの話じゃないんですけども(笑)、この美しい「ブナ」はわたくしにとってエログロな時代にあって奇跡のような美しい光を放つ『ピアノの森』のイメージを長く担っていました。アニメ化されて音があてられてしまってからは、『火の鳥 望郷編』のロミがいまわの際に戯れたブナの森のBGMです(笑)。

スペード [ 玉置浩二 ]

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2024年08月13日

スペード

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玉置浩二『スペード』七曲目「スペード」です。玉置さんの曲でアルバムのタイトルナンバーはしばしばシングル曲でないのですが(「あこがれ」「CAFE JAPAN」「JUNK LAND」「GRAND LOVE」「ニセモノ」と半数以上が該当します。「LOVE SONG」はアルバム名『LOVE SONG BLUE』にニアミスですんでこれらに並べるか一瞬迷うところですが、よく考えたらシングルです)、アルバムの象徴となる曲でありしばしばシングル曲を超えるインパクトを残してくるのです。これもそんな曲です。

そのインパクトを生み出しているのはしばしば歌のメロディではなくリズム、そしてリフレインです。玉置さんは安全地帯のころからその卓越したメロディセンスによって人を酔わせる美旋律を次々と繰り出し多くの人をノックアウトしてきたわけなんですが、このアルバムが出た2001年、玉置さんのトレードマークである美旋律はすっかり影を潜めリズムとリフレイン主体に移行していたのでした。言葉もときにはとことんロマンチックに、ときにはとことんシリアスにその美旋律を彩ってきた松井さんの言葉ではなく、玉置さん自身の魂をダイレクトに届かせるかのような、リフレインと一体化した強烈な言葉へと変わっていました。ですから、このインパクトを正確に感受できた人は多くなかったと考えられます。人間、そこにあるものをそこにあるから感受するのではなく、そこにあると期待・想定するものをそこにあるものの中から優先的に感受するものだからです。だからこそわたしたちは雑踏の喧騒の中でも知り合いとのおしゃべりを続けることができるのでしょう。

安全地帯の失われた90年代、わたしたちはいつだって玉置さんの声とあの美旋律を求めてきたように思います。安全地帯のアルバムを手に入れるとかならず陶酔できたあの快感をずっと玉置ソロに求めてきたのです。そしてその渇望は『JUNK LAND』『GRAND LOVE』あたりまではつねにある程度満たされてきました。ですが、『ニセモノ』『スペード』ではもはやそれを満たすものはなく、喧騒の中で会話が成り立っていると思っていたら実はお互い全然別の事を話していたことを後になって知り愕然としたような感覚を味わうことになったのです。ここを乗りこえることができたリスナーと乗りこえられず離れてしまったリスナーの感覚にズレが生じる時代といえます。場合によっちゃ不和に発展するかもしれません。「ミキちゃんランちゃんスーちゃん絶対やめちゃだめだー!」「いや僕だって淋しいけどさ、普通の女の子に戻りたいって気持ちを尊重しようよ本当のファンならさ」「なにをー!貴様おれを本当のファンじゃないというのか!表に出ろ!」みたいな感じで。いやー罪作りなことです(笑)。わたくしですか?キャンディーズの時代は小学校に入る前でしたから、特に意識しませんでした。土曜のドリフで出てくる人たちが変わったというくらいで。ですが、少年〜青年期のわたくしにとっての安全地帯・玉置浩二はそれとはまったく事情が異なっており、安全地帯の代わりなんてなかったんです。だから、玉置ソロの変化は玉置ソロの変化として、安全地帯とは別個に受け止めるしかありませんでした。安全地帯は唯一無二でもう姿が見えないもの、玉置ソロはそれに次ぐもので現在あるもの、という感覚です。第一ニカイア公会議で言うとアリウス派ですから、異端として排斥されてしまっても仕方がない立場です。やっぱり罪作りですねえ(笑)。

「カカッカカッカ!カーカッ!カカッカカッカ!カーカッ!カカッカカッカ!カーカッ!」というリズムがアコギで刻まれ、それに乗せて鋭いメロディーをスチール弦の響き(オクターブで二本重ねている?)で何度も繰り返す(リフレイン)という、もうそれだけでこの曲の骨格が半分以上出来上がってしまっています。Bad Religion「American Jesus」なみのインパクトの強さです。もう、正体不明なパーカッションがなんであるかとか、安藤さんの鍵盤の音が「シュワー」と不思議な音を背景に入れているとか、そういった要素がもうあまり気にならないくらいのインパクトです。

歌詞のほうはといえば、力強いサウンドとは別にヨブの忍耐のような敬虔な男の心情が訥々と語られるのです(Job's Patienceですんで「ヨブの忍耐」というんだと思っていたのですが、どうも日本では「ヨブの苦難」という言い方をすることが多いようです)。いや、占いとかやってみてるんですけども(笑)、音楽に対してはいささかも玉置さんの信念が揺らがなかった点で、ヨブになぞらえたいのです。占い、これは陰陽道でしょうか、「方角が悪かった」と言ってますし。でも「晩年は良くなってくる」のも「だそうだ」ですから、あんまり信じてませんね。どうでもいいよって感じでしょう。昨日はあの辺にて今日はここまで来たという、日々の歩みの確実さに比べれば、そんなあやふやで遠い話なんで知ったことじゃないですし、明日どっちに行くべきかという切実さに比べれば無に等しい指標です。ここでリフレインからリズムを変えてBメロ、そんな夢とも現実ともつかぬ運勢運命など意に介さないでただひたすらに心を込めて音楽と向き合うんだと力強く宣言をしたかと思うと「ダダッダ!…スタン!」と通常のドラムが入り、「ガマン……ガマン……」おおよそサビにふさわしくないメイン旋律らしからぬコーラスの入った叫びとも呟きともつかぬ心情の吐露がリフレインとともに展開されます。こんなサビありか!しかも歌詞カードを見ると「我慢だ ガマン」と書かれていますが「だ」は実際に歌われていないようにしか聴こえません。型破りにもほどがある!自由律か!ツッコミどころだらけなのにそのインパクトは心に強く刻印され、易々とついつい口ずさんでしまうに至ります。「そうすりゃいいことあるだろう」「どうだ」!いやどうだって言われたって……でも、自分の人生で我慢が肝心な時期を迎えたらこれが沁みて仕方なくなるんです。バイクでバイパスを走り、ちょっと泣きながら「ガマン……ガマン……」とヘルメットの中で歌うくらいにまで心が浸食されます。これこそが安全地帯の頃から変わらぬ玉置ワールドの強さなのでした。

短い間奏を挟み歌は二番、「切り札はスペード」と勝負に興じている様子が歌われます。ですがやっぱり勝敗など占いと同じくどうでもいいようで、運は運でしかなく、そんなの我慢して着実に積み重ねていく実力に比べたら屁でもない、そのためならその日暮らしだっていい、我が身を捨てて道化になってもいい(ジョーカーを引いて負けたっていい)我慢だ、ガマン……そうすりゃどうにかなる、いいことがある……この「どうにかなる」「何とかなる」「いいことある」だって、その日がしのげる程度のことかもしれません。でも、しのげればいいのです。

最後の「ガマン……」はギターのアオリが入って、そのままアウトロのギターソロへの導入になっていきます。これが玉置さんが矢萩さん風に弾いたものか矢萩さんが弾いたものか区別がつかないくらい、もう二人が一体化した様子のよくわかるソロになっています。そのソロもこだわることなく、次曲「ブナ」がリプライズになっているのかと思うくらいあっさり終わります。「アンクルオニオンのテーマ」と「スペード」、「ブナ」は一つの曲なんだとわたくし思っています。新たな三位一体説です(笑)。アルバム全体での構成というかコンセプトというか……Queensrÿcheの『Operation Mindcrime』みたいな意味でのアルバム全体の組み立て方という点では、わたくし安全地帯とか玉置ソロとかに格別の期待をしたことがほとんどないんですが、この三曲に関してはその趣を強く感じます。安全地帯・玉置ソロ全体を見渡してみても、とりわけ感動が強い組み立て方だと思っています。

さてさて……二か月以上も更新できずにおりましたが、ようやくこの記事を書くことができました。年単位で休んでいたのが2020年にとつぜん更新を再開して半年くらい書いたと思ったらまたドカンと何か月か休んだ時以来でしょうか。いやーあのときはすっかりpandemic fatigueでした。いまでも完全にはコロナ以前に戻ってませんね。全米でタバコの消費量が上がったそうですから、ある意味コロナによって昔に戻ったところはあるんでしょうけども、なんだかよくわかんないですねえ。時は戻ったり進んだりするものでなくて、ただただすべてが今なんだ、というのが正しいのでしょう。玉置さんの音楽も「進んだ」「戻った」と考えるのはナンセンスなんだと思わずにいられません。

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2024年06月02日

アンクルオニオンのテーマ

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玉置浩二『スペード』六曲目「アンクルオニオンのテーマ」です。

猫の鳴き声、そして遠くで子どもの歌、これだけの23秒間です。いや、マジでそうなんですってば。だから記事に書くこともほとんどないんですよ。

玉置浩二3万字インタビュー」には面白いことがいろいろ書いてありますから、それをいくつか紹介することにしましょう。

1.「アンクルオニオン」とは玉置さんのことである
矢萩さんのご子息が玉置さんのことを玉ねぎおじさんと呼ぶから、アンクルオニオンだなと玉置さんが思って曲名にしたそうです。ですから、ご本人が自覚しているかどうかはともかく、この曲はアーティストのテーマ曲であるわけです。LOUDNESSの「LOUDNESS」に相当するわけです。えー(笑)。

2.猫の声は餌をあげるときにドアの向こうに集まった猫の声をMDで録音したものである
MDというのがまた時代を感じさせます。こういういろいろな音を普段から集めていて、アルバム中にちりばめていたそうなんですが、結局みんな削除してしまってこれだけが残ったんだそうです。

3.子どもの声は玉置さん安藤さん矢萩さんの声である
古くは「プラトニック>DANCE」のインタビュー記事にそういう記述を見た記憶があるのですが、声を逆回転にしたり早くしたり遅くしたりして音程を変えて「つまらない!」の「女の子の声みたいにした」といった、言ってみれば試行錯誤というか面白がりのお遊びというか、そういうことを玉置さんは日常的に行っていて、ここでも三人の声を回転変化により子どもの声にしたんだそうです。

三番の、テープ回転は個人的に懐かしいです。昔のアマチュアはみんなそうだったと思うのですが、わたしもカセットテープを使うマルチトラックレコーダーに自分たちの曲を録音していたんですよ。で、回転数を変えるツマミがついていましたから、「はじめてのチュウ」みたいな声にしようぜ!といろいろいじって録音して遊んでいたものです。成功しませんでしたが。

さて、一ヶ月以上記事を書けなくて、ようやく書いたと思ったらこんな短い記事かい!なんですが……短いからこそこんな時にも書けたというべきなんですよ……。とほほ。

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2024年04月28日

夢見る人

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玉置浩二『スペード』五曲目「夢見る人」です。

いきなりバンジョーみたいなストロークが聴こえますが、なんなんでしょうかね?クレジットにバンジョーはないですから、ギターで似たような音を出したんでしょうか。もしくはバンジョーもギターの一種だということにして強引に「Guitars」のクレジットに含めてしまったのでしょうか。真相はいかに。

さてこの曲、三拍子でしぶーいブルース・カントリーふうバラードになっています。それなのに「何回も君のために死ぬ」という衝撃の情熱的歌詞がなんとも不思議なコンビネーションを醸し出しています。玉置さんは「今回の『スペード』みたいな感じが、本当は安全地帯でやるべきことだったな」とインタビューで語っていたわけですが、『安全地帯IX』の「二人称」とこの「夢見る人」には三拍子・きみのために死んでもOK的悲壮な歌詞という共通点を見出すことができます。

さて三拍子なんですが、よーく耳を澄ますと「1,2,3」の3のところで「カショーン!」という正体不明の音が入っています。もちろん玉置さんお得意の手作りパーカションなんだと思います。で、それがうちの再生装置の問題なのかもわかりませんが、わたくしには遠くで響く人の声に聴こえるんです。だからこの曲を流すと何回もハッとさせられて「なんだ?」と思ってしまいます。最初のうちは何だかわかりませんでしたからブキミでした。生まれ変わるとか君のために死ねるとか生死の瀬戸際な歌詞も相まって、不安にさせられることこの上ない曲でした。そしてツクツクツク……これが爪楊枝入りキットカット箱なんでしょうかね……これも正体不明な音で当時は本当になんだかわかりませんでしたから、未知の世界でしたね。バスドラとスネアはまた手で叩いているんだと思いますが、これはわかる音ですので安心です(笑)。こうして考えてみると、わたくしロックバンドの標準的な楽器をだいたい演奏できる、少なくとも出る音のことはだいたいわかっているんですが、それで音楽のことが少しでもわかっているつもりになってなっちゃいけませんねえ。「カショーン」ごときでドキドキキョロキョロしているようでは話になりません。音楽の世界はまだまだ先があると思い知らされます。

「失うものはない」から始まる細切れのことばたちが歌われます。Aメロは無欲な生き方、Bメロは無欲であるがゆえの衝突回避志向、サビは無欲で衝突はしたくないけど君を愛したいという本音が歌われるのです。なんとリアルな!君を愛するというのは他の人と君とを区別することが必然的に伴います。君も含めて全員に同じ扱いをしているけど君だけは特別に思っているよというわけにはいきません。玉置さんは軽井沢モードですっかり穏やかになり、もうすべてのものに感謝しすべてを愛する心持ちになっているわけですが、安藤さんだけは別です。当時の安藤さんには別格の感謝と愛があるのでなくてはなりません。ですから、一種の矛盾が玉置さんを苦しめます。それこそカンタンに生まれ変わりでもしない限り、この矛盾は解決されません。つまり、解決されていないんです。生まれ変わるなんてムリですから。「カンタンに」という修飾語を「生まれ変わる」という重大事に係らせるこのセンスはまさに脱帽ものですが、カンタンじゃないと困るんです。だって全面的に生まれ変わりたいわけじゃないから。玉置さんのボーカルの圧倒的な強さ・表現力でうっかり聞き流しそう、ああそうだねって軽く納得して通過しそうなくらい自然なこととして受け止めてしまいがちですけど、普通に考えたら不可能事です。そういう願いを持つという切実さだけが後からジンワリと理解されて、「カーンタンにー」と「オーかーみさまー」とを同じ節で歌い印象が強く残されるという神業の凄さに気づかされます。さらに「愛し方を教えて」と衝撃的な願い事を、「ジャッジャッ!ジャッジャッ!(カツカツカツ……)」という鋭いリズムで切り取るというスリリングにもほどのある、凄すぎて理解が追い付かない構成の作詞・歌唱・演奏・アレンジになっています。神様に愛し方を教えてなんてお願いしませんよ。気づいたら愛しちゃってるもんでしょう、神様の領域じゃないです、そんなの。頭が追い付かないまま曲はバンジョー的なイントロに戻ります。

「〜ない」「〜ない」で韻を踏んでいるというのかどうか、またしても無欲な様子が強調されます。そしてそのまま衝突を避けようとするBメロの「〜ない」、これらが矛盾するので「どうすればいい」と迷い、救いを求める様子がメロディーのパターン変化・ドドドドン!というフィルインで楔を打ってから再度サビに突入します。

カンタンに生まれ変われるのなら……いやそんなことカンタンにってわけにいかないよ!わかっているからこそ苦しいんだな……オー神様愛の事を教えて……玉置さんあんたそんなのよく知ってるでしょうに……いや、実はわかってなかった、わかっていなかったと思えるほどにいま新しい境地に差し掛かったんだな……。一番にはなかったピアノの絡み、それをなぞるエレキギターの音が、その繰り返される思いを彩ります。

そしてピアノとエレキギターによる間奏、エレキギターはソロといえるほどのメロディーを持たず「キュイーン」と苦し気に、ピアノもピアノソロといえるほどのフレーズをもたずにただただジャジーに流麗に、最後のボーカルを待つかのように間をもたせます。

そして最後のサビ、「生まれ変われるのなら」「君のために死ねるなら」……君のために死ねるなら、は使い古された、いわば倦んだことばです。普通に考えればチープです。ですが玉置さんは本気で言っているんじゃないかという凄味をもちます。これは一番ではなかったことばで、二番になってから使われたことによって、それまでの玉置さんの心境・覚悟が蓄積されてきたタイミングで発されたからこそ、「君のために死ぬ」というチープな言葉がチープでなくなります。ここまでの無欲さとそれに反する深い愛を表現するとしたらもう、そういうしかないじゃないですか!死ぬこと自体は(めちゃくちゃイヤですけど)できないことではありません。というか、人間の死亡率は100パーセントですからいずれは死ぬんですけど、「君のために」がどれほど難しいことか……交通事故に遭いそうなときに身を挺して自分が犠牲になる、ほか数パターンくらいしか思いつきませんが、そういうことを言ってるんじゃないですよね、きっと。そんなこと「何回も」だなんてわけがありません。何回もそんなことが起こるなら、もうお祓いしてもらったほうがいいです(効き目があるかは知りませんが)。カンタンに生まれ変わる以上にありえないです。だから、ありえないほど愛してるんです。海よりも深く愛する、なんてそれだけ言ってほしくないですよね。どうして海より深いなんて言えるんだ?ちゃんと説明してみろ根拠を述べろと問い詰めたくなります。それだけ、チープな言葉というのは罪が深いのです。それを見事に四分一秒の歌で説明しきったこの「夢見る人」は力作だというほかありません。そして曲はイントロに戻り、静かに終わっていきます。

さてさて、めちゃくちゃ忙しいのは先週とあまり変わりないんですが、次週はどうしても何もできないこと決定のスケジュールですから、今日頑張って更新してみました。おそらくどんな仕事にも踏ん張りどころってものがあって、いまがそれなんだと思っているわけなんですが、それにしたって酷いなこれは。どの業界にも利権というものがあって、それは不正なカネに限らず、強引に合法化された地位とヒマというものもあるわけです。わたくし政治力低くてその利権を全然持っていないもので(笑)、肩書以上の仕事を背負い込むハメになっております。しょうがないですねえ。安全地帯・玉置浩二の音楽世界に心の底からかぶれて育ってきたんですから、いまさら他人を食い物にしてそんなヌクヌクした人生送りたいわけじゃないですもん。いいねえ君たちはそういう魂まで震わせて生き方を形作っていってしまうような音楽に出会わなかったんだろうからさーと思いながら仕事しています。「逃げることはない 今日を生きて行くだけ」。文句はありまくりですけど。オー神様休み方を教えて。利権の手に入れ方を教えて。それで恥ずかしくて思わず切腹しないでいられる図太さを与えて。

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2024年04月21日

太陽になる時が来たんだ

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玉置浩二『スペード』四曲目「太陽になる時が来たんだ」です。何でしょうねこの曲、ネット上ではぜんぜん言及されている様子がありません。わたくしこの曲がアルバムナンバーワンだと思っているのに。アルバムの展開的にそろそろほしいアコースティックバラードです。

ある夜、わたくしはイヤホンで音楽をかけっぱなしにして眠り込んでしまいました。中学生時代とやってることが変わらなくて自分でも笑っちゃうんですが、たまにそういうことが起こります。そのまま朝まで眠り込んでしまうこともあれば、途中で半覚醒してその時流れている曲に聴き入り、しばらくしてからハッと目を覚まして、あれいまおれすごくいい曲聴いていたような気がするな、誰のなんて曲だろうとプレーヤーを確認することもあります。で、そういうふうに気づいた曲というのはたいがいレム睡眠中でなければ気づかなかった様々な要素が脳に刻み付けられているもので、その後すっかり愛聴曲になるものなのです。わたくしそういう曲が人生においていくつかありまして、古くはツェッペリンの「アキレス最後の戦い」、井上陽水「御免」、プリンス「Nothing Compares 2 U」といったあたりから新しいものでは……新しい曲なんてぜんぜん好きでなくてわざわざ端末に入れて聴く気にならないのでそういう出会い方するのは古い曲だけでした(笑)。へたするとこの「太陽になる時が来たんだ」が2001年で一番新しいかもしれません。

この「太陽になる時が来たんだ」、もうろうとした意識の中でわたしは若き日の野口五郎が歌っていると思い込んで聴いていました(笑)。すげえいい音のギターだな音源古いのに……長髪で何かヒラヒラした服装の野口五郎が切々と「いま二人がこうしていられるのは……」と歌っています。映像は完全に70年代末期〜80年代初期の歌番組です。わたしの幼少期です。ああ心地いい……と、目が覚めます。え?いまの曲なに?野口五郎?一枚も持ってないよ。えーと、ああ玉置さんの「太陽になる時が来たんだ」じゃん、よく知ってる曲なのに、異様にハマってたな野口五郎……と、ぼやけた頭で考えていたものです。

それからは妙に気になる一曲になり、何度も「太陽になる時が来たんだ」を聴きました。歌詞カードも見ました。口ずさんでもみました。なんならアコギもってコピーして歌ってみました。どんどんハマっていきます。気がつくと玉置ソロのお気に入りベストスリーに入るんじゃないかと思うくらいの曲になりました。ありがとう野口五郎さん!(笑)。

さて、この曲は虫の声から始まり、アコギとエレキ、手で叩いたと思しきバスドラ、スネアをはじめとしたオリジナルとおぼしきパーカッション(『幸せになるために生まれてきたんだから』等、志田さんが玉置さんにインタビューして明らかになった驚愕の音たちです)で演奏されています。ほかには安藤さんが弾いたであろうちょっとしたアオリ的な鍵盤の音と、ストリングス系のシンセが入っていますが、それは雰囲気づけみたいなもんですね。安藤さんお得意の流麗なピアノとは違います。

ジャーン……ポロロ……とのんびりと弾かれたギターをバックに玉置さんが「レンゲ草〜」と歌い始めます。情景は夏の太陽の下、草原、小川、森……『太陽』では絶望と希望をつかさどる神にも似た信仰の対象としての太陽、『あこがれ』では玉置さんの視界を歪めるほどに苛んだ太陽、『JUNK LAND』では僕をいつも見つめ励ます慈父慈母のような太陽……なんとなくだんだん太陽の立ち位置が近くなってきています。そしてとうとう自分が「太陽になる」ほどに親しい「友だち」になってきました。西洋の思想がいつも自然克服の発想であるのに対して東洋の思想は自然の一部であることを自覚し当然に共存していることを受容してゆこうとする思想であるとはよく言われるところではありますが、「太陽になる時が来たんだ」では共存を通り越してもはや一体化しています。これは玉置さんが西洋人だったのが東洋思想にかぶれたといっているのではなく(笑)、東京から軽井沢に変わった環境、安藤さんとの安らぎの日々によって気づかされていったものと思われます。

わたしが環境保護系の話が大嫌いだということはここで言っておかなくてはいけません。環境保護の主張には、自分が保護する側だという西洋起源的な驕りが常に見えます。壊すとか保護するとか思っている時点で自分が自然の一部ではないと思っているわけです。何愉快なこといってるんだ三年くらい禅寺で修行するかミャンマーで瞑想でもするといいんじゃないかと思うんですが、そういう人に限って聴く耳を持たないんですねえ。で、一世紀ちかく前の西洋人であるアルベール・カミュが『異邦人』において描写した、太陽が暑かったからアラブ人を射殺した、という境地は、不条理とかなんとかいろいろに評論されていますが、そんなの不条理でも何でもありません。太陽もアルジェの気候も泉の環境も、そしてムルソーも被害者のアラブ人もその脳神経も、どれもこれも自然の一部なのです。わたしらの知らぬところで崖が崩れたり川の流れが変わったり海岸の岩が崩壊したりしています。もちろんこれらは自然の仕組みによって起こっており、そこに意図はありません。ですが、意図なりなんなり人間の精神作用も、つきつめれば脳神経細胞の片方からもう片方に電気信号が伝わることの積み重ねにすぎません。いってみれば、これは崖が崩れることと何ら変わらぬ自然現象であるわけです。それを取り調べとか裁判の審問とかの人間の意図的行為であることを前提とした言葉に無理やり変換してゆく不条理な過程にムルソーは苦しめられる、ああやっぱり不条理だな(笑)という話なのでした。いや、西洋人にもそうしたことに気がつき文学的・哲学的に優れた示唆を残した人がいるというのに……というわたくしの嘆きですよ、これは。トホホ。

さて、真偽明らかならぬ思想の解説が最近の芸風である弊ブログですが、そんな芸風でいいのか(笑)、これはちゃんと意図があって書かせていただいていおります。「理由もなく手をつないでた」「自然に涙が流れた」これらは、上述の東洋思想的な自然の一部であるという確信なくして、どのように解釈できるというのでしょう。ボロロロ〜ポロロロ〜と音階を登るアルペジオにのせて玉置さんが「わけもなく(ボロロロ〜)」「手を(ポロロロ〜)つないでた〜」と歌うこの凄味は、そうした自然と一体化した自然そのものであるところの玉置さんが、これまた自然そのものである恋人たちが、自然の窮極態であり始原である「太陽」になるんだと思うほどに自然現象の粋である愛を感じている様子を歌うところにあるのだと、まあこういうことを言いたかったわけです。だって、愛って、燃え上がりますしね。あ、いや、ギャグで言っているんじゃなくて(笑)、恋人、夫婦、家族の始まりたる愛がそこに起こるということは、宇宙に太陽が生じるのと同じことじゃないですか。ちょっと(だいぶ)スケールが違うだけで。

川を渡れば水しぶきが上がる、森で遊んでいれば肌は焼ける、時間がたてば帰り道はオレンジ色に染まる……これは誰かが意図してそうしているわけではなく、すべて自然の営みです。そしてふたりがこうしていられるのも、愛おしくも安らかな気持ちでいられるのも、ふたりの意図を超えたところに作用している自然の営みであり、そんなふたりが太陽のように燃え上がって新しい現象を紡いでゆくのもまた自然の営みです。これを玉置さんは「太陽になる時が来たんだ」とシンプルかつ本質をとらえた言葉で歌ったのだとわたくしにはそう思えてなりません。ほ、本物の天才だ!最近流行りの太陽な感じ?のラヴァーズになりたいような気がしなくもないから行きずりのアフェアー?でもしようぜ!夜に向かって駆けだそうぜ闇に君の名を呼ぶううううう!みたいな底抜けに浅はかで愚かな世界を完全に超越していて、かつそれをビシッとシンプルに表現する詞と歌の力が、まさに唯一無二、空前絶後といってもいいでしょう。あの寺田ヒロオが悩める赤塚不二夫のネームを見て「ぼくならこの原稿から五つのまんがを作るな。きみのはつめこみすぎだよ、あれもかきたいこれもかきたいでスジが一本通ってない!」と喝破したエピソード(手塚治虫ほか『まんがトキワ荘物語』祥伝社新書より)にあるように、不本意ながら耳に入ってしまう現代の曲たちはどれもこれもゴチャゴチャしていて辟易とさせられるわけなのですが、このころの玉置さんは神がかった一本スジの通し方、シンプルさを極めていてわたしの精神もおだやかでいられるというもんです(笑)。二番では何を歌うんだろう?と思わせたらアウトで、ほんとうによくできた歌というものはこれをずっと聴いていたいと思わせるものです。

さて曲は二番、自分で言及の意味を潰してしまったのでもう語ることがないんですけども(笑)、当然に情景はビシッと一本筋を通して同じです。「どんなときも離れないでいよう」という愛はきわめて強く、それいでいて穏やかで自然なものとして表現されます。

そしてオレンジ色の帰り道のあと、あたりは暗くなり星を見つめる時間になります。シンセが強めに背景を彩り、涙が自然に流れてくる、やさしくいられる、その当り前さ、自ずからそうであるところをそのまま受け入れられるということの、ふたりの関係をつかさどる自然の雄大なスケールを感じさせます。なにもストリングスを生楽器でやらなくてもこういうシンプルなもので十分だ、というか、そもそもそういう不満を思いつかせないところにこのシンセのさりげなさと巧さがあります。そして背景の音はそのまま、おそらくは玉置さんのアコギによるギターソロが、違和感ゼロのまま歌と同等の表現力を保たせたまま、最後のサビに突入します。

信じてきたものがあるから自然に涙が流れる……それはもちろん、優しくいられるなら太陽になれるんだということを信じてきたのであり、いまその時が来たんだ、だから涙が流れてくるんだ……ということなのでしょう。玉置さんはそういう時が来るのをずっとひそかに信じていたんじゃないかと思います。ぜんぜん売れない初期安全地帯、とつぜん売れてしまいスーパーアイドルとして祭り上げられた安全地帯の人気絶頂期、そして様々なムリを抱えて崩壊してゆく安全地帯と、玉置さんの精神……という悲劇を経て、絶望と孤独の中人工的な治療を拒否して自然療法を行った旭川の日々、そして再始動とソロ活動の絶頂期、それも落ち着いてたどり着いた軽井沢の日々……不自然、人為的、作為的なものに苦しめられ何度も裏切られたのにそれでも信じていたことがやっと現実のものになったという感動と安堵にひたりきることができたのです。それがどれほどの幸福であるか、余人には量りがたいものがあります。心無い人は「玉置はすっかり自分の世界に入っちまったよ、ケッ使えねーな、素直にワインレッド歌っとけばいいんだよ」くらい思ったかもしれません。心がないんだから当然耳もないわけですし仕方ないでしょう。そういうカネと快楽しか見えてない、信じてない人とは初めから生きている世界が違うとしか言いようがありません。

そしておそらくは矢萩さんのギターソロで曲は終わっていきます。これまた短いながらも、ものすごいソロです。矢萩さんのソロを聴いていていつも思わされるのは、どうしてそこで止まるの(間を取れるの)ということです。わたしならぜったいここで一番高音部まで駆け上がってキュインキュインやっちゃうよといつも思います。ここを止められるか止められないかに、自己顕示とか出しゃばりとかそういう大自然の中ではノイズ的なものでしかないものが発出してしまうんだろうなと、反省することしきりなのです。

さて、また一ヶ月くらい経ってしまいましたかね。無茶苦茶な忙しさで、ちょっとずつ書きためては下書き保存してはいたんですが、結局は広告でみなさんを煩わせていないことを祈るしかないくらい間隔があいてしまいました。ここんとこたまの休みもグダッとして体を休めるしかない……わたくしすっかり五月病です。そんなわけで、太陽になる時はわたしにはいつ来るのよ!もう来てよ今日来てよなんなら今来てよと思いつつちょっとずつ書いてきた「太陽になる時が来たんだ」の記事でした。繰り返しになりますが、このアルバムで一番のお気に入りです。

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2024年03月23日

△(三角)の月

玉置浩二『スペード』三曲目「△(三角)の月」です。

こういう曲調、なんていうんでしょうかね、わたしのあんまり得意でないブルース、ですかね。「ドッドドッドドッドドッド……」とひたずら単調なパーカッションに合わせてベースが響き、オルガンとギターはひたすら合の手を入れる手法です。玉置さんがこういうオールドな感じの曲にのびのび挑戦できるのって、矢萩さんがいてくれるから、そして安藤さんがきっちり合わせてくれるからなんじゃないかな、と思うんですね。「五郎ちゃんがいてくれるから」とか「田中が叩いてくれるから」みたいな感じで、グループ、バンドってのはやる曲が決まったり変わったりすることはよくあるんです。一人ひとりにバックグラウンドの音楽があるのは当然として、それをよく知っている者同士で音楽を作ることになると、どうしたってその集団で気持ちのいい音楽というのはあるものなのです。玉置ソロだからといって玉置さんがパーフェクトに自分百パーセントの世界を繰り広げているわけではなくて、安藤さんと矢萩さんとの三人で音を出そうと思ったらこういう曲が守備範囲に入ってくるってことなのでしょう。逆に言うとまったく一緒に作る音をイメージできない相手というのも存在しますから、組める相手と組めない相手っていうのがどうしても出てきます。わたしだってトミー・アルドリッジが目の前でドラムに座っていたら「BARK AT THE MOON」みたいな曲作りますよそりゃ。逆に、目の前でビル・エヴァンスがピアノに座っていたって、何一つ曲が浮かびません(笑)。ですから、90年代は須藤さんと、2000年前後は安藤さん矢萩さんと、2000年代中盤から後半は矢萩さんと土方さんと、というように、組む相手によってつくる音楽が変わってきているという視点で玉置さんソロの変遷をたどってみるのも一興でしょう。逆に、音楽が変わってきているからそれに合わせて組む相手を変えてきたという見方もできなくはありません。バンドマンの心情的にはメンバーが先、音楽が後、なんですけども、玉置さんのことですから出てきた音楽が特定のメンバーを要求したという形もあり得るでしょう。

そんなわけで、矢萩さんの渋い趣味と共鳴しながら作ったと思われるこの「△(三角)の月」、わたくしのあまり得意でないリズムと雰囲気で始まりつつ、それでもムムウ!と唸らざるを得ないメロディーのよさ、ドラマチックな展開で聴かせてくれます。一瞬ジェイコブ・ディランのWallflowersのような抑揚のないひたすらな渋さを警戒したわたくし(当時、ゴジラの映画でデヴィット・ボウイの「Heroes」を歌ったのがやけによかったのですが、ほかを聴いてみるとぜんぶ一本調子だったので、やっぱこういうのおれには合わねえわと思ったのでした)、やっぱり玉置さん(と矢萩さん)だスゲエ!と感激しきりでした。

Aメロではベースのダッタダッタ……のリズムに乗って三角だったりまん丸だったりする月が、泣いたり笑ったりします。ぜんぜん泣いてそうでも笑ってそうでもないリズムなんですが(笑)、Bメロで一気に歌が泣きのメロディーに変わります。この急激でドラマチックな展開はまぎれもなく玉置さんの歌によってもたらされています。そろそろオーディエンスのレディネスも温まってきたからドラムを派手にしてシンセを入れて盛り上げてサビを入れようか的な小賢しい曲展開メソッドなどどこ吹く風、玉置さんが四拍目に「雨の」と言ったら次の小節からは一気にサビなのです。後から気づくことではありますが、歌詞をよくよく見るとAメロでは「〜の月」と助詞のない主語を頭に置くほかはすべて終止形「〜る」、サビではすべて未然形「〜う」、しかもほとんど「〜そう」ですね。最後だけ「〜ろう」ですけども。これは無理して揃えたんでなくて、曲のノリが自然に生んだ秩序なんじゃないかとわたくしは考えています。曲にノリを生むために歌詞をこのように作るということは当然ありそうなものなんですけども、玉置さんの場合曲のノリが歌詞の秩序を自然に生んだんじゃないかと思わせるくらい言葉選びと歌唱がナチュラルすぎるのです。

△の月というのは存在しませんので、雲などの具合で三角に見えるということでしょう。つまり、明るい月夜ではなくややボンヤリした月明かりであると推測できます。月の周りに雲があってそれに月明かりが吸収されてしまい、まるで泣き腫らした目のようになんだかボヤっとしているのでしょう。そんなパッとしない天候の夜、明日会いに行くあの娘のことを思い、拡散してしまっている月光の下、希望をかき集めて車を走らせます。

高速に乗ると雨が降っています。ハイドロプレーニング現象が起こるかもしれませんからスピードの出し過ぎは禁物です。なお、わたくしハイドロプレーニング経験したことがないんですが、いったい何キロ出したらそんなことが起こるのでしょう。おそらく常識的な速度では起こらないか極めて起こりにくいのでしょう。それなのに教習で教わるということは、常識的なスピードを超えて突っ走るおバカさんがそれなりの割合で存在するということなのでしょう。ヤメてくれマジで!

ああ、すっかり話がそれました。えーと、雨の高速に乗り、風まかせで遠くに行けそうな気分で突っ走ります。「あの娘」に会いに行くのは明日ですから、今日は「ひとりぼっち」で「サビつきそう」な気分で帰るしかありません。ですが心ははやり、ついつい要らぬ高速などに乗って車を気ままに走らせるのです。△の月は泣き腫らした目からさらに雨を降らせてきます。もう月が泣いているんだか自分が泣いているんだかわからない、誰のために泣いているのかもわからない、光景も思考も全体的に湿った夜なのでした。

さて、高速を走っているうちにおそらく雲間にフルで満月が姿を現したのでしょう、こんどは「〇(まんまる)な月」です。月が笑っているのです。これはもちろん主人公の気分でもあります。今夜の夢はさぞ楽しいだろう、あの娘を抱きしめるところまでストーリーが進むだろうか、なんせ明日会えるんだからなと気分はすっかり躁状態です。

ですが、まだ高速道路を風任せに走っているうちにまた鬱になってきます。明日を楽しみにしつつも、悲しみの予感が主人公を苦しめます。歳を重ねると、恋人に会うのもあと何回あるんだろうなんて余計なことを考えてしまって純粋に楽しめないというか、一回一回を惜しむようになってきます。わたくし既婚者ですからそんな気分になったことないだろそれとも浮気でもしてんのかって誤解をさせそうですが(笑)、いやいや、結婚したころだってその前だって、そこそこ歳いってたんでわかるんですよ、という意味です。とはいえ当時の初婚平均年齢とドンピシャだったんですけども。おれの同年代結婚しなさすぎ!というか、まるで結婚しない人が多くて、結婚する人だけ平均するとこういう年齢なのかとしみじみしちゃいました。そんなわけで、ここで結婚しないでどこまでも突っ走ることもできるんじゃないかという気持ちと、もちろんそれをやるといつまでも走るハメになって「ひとりぼっちになりそう」「枯れ果てそう」という恐怖、危機感とに板挟みにされて苦しめられる、という気分が、なんとなく分らんでもないような気がしなくもない、ということなのです。ホントに、何のために生きてるんだろう、と考えずにはいられないんですね。結婚することと結婚しないことは両立できませんから、こればかりはえいやっと思い切るしかありません。そもそも昔はこんなこと悩むまでもなかったんですから、悩めるだけありがたいと思わないといけません。喉元過ぎれば熱さを忘れるわたくし!

そしてアコギによるソロ、「タララタララ」と三連符を多用する古典的なロックンロールの定番ソロなんですが、とてもブルージーに聴こえます。安全地帯でも、そしてこれまでの玉置ソロでもここまでブルージーでオールドな曲はなかったように思われますから、決して派手な曲ではありませんけども新機軸といっていいでしょう、この曲もソロも。そしてもちろん各種記事に書かれて有名な手作りパーカッションによるものと思われる左右に振られてアクセントをつけている音色たちも。オールド風なのに実は何もかもが新しいわけです。すでに書いたことですけども、わたくしこういうのあんまり得意でないですから、何度も聴いていくうちにこりゃいいやと思えるようになったわけなんですけども、最初はウワ古くせえ感じ!だったのです。そもそもアルバム全体が派手でないですから、こういう曲の凄さというのは聴きこまなければスルーしてしまいがちになるでしょう。『GRAND LOVE』以降、軽井沢時代はこんなのばっかりですから、「田園」近辺で獲得したファンもだいぶ離れたことでしょう。

考えてみれば安全地帯でも「ワインレッドの心」から「じれったい」あたりまで爆発的にファンを増やした後に、ヌルいファンは要らねえ!と人を突き放すかのように『太陽』をガツンと叩きつけたということがありました。玉置さんは、作って壊す、いや壊してなくて作り続けているんですけども、それでもファンの人数をわざと減らすかのように周期的に自分の世界にガツッと入っていく癖があるのです。『太陽』のように後年その凄味が理解されて名盤としての評価を得てゆくなんてことも起こったわけですから、この『スペード』もそうなるんじゃないのと思わなくもありませんが、いまはまだその時ではないようです。

さて歌は最後のサビ、どうやら結婚するほうに決意を固めたようです(笑)。いや結婚しないまでも、ハイウェイのつづくどこか遠くで「二人きりで暮らそう」「やり直そう」と決意します。やり直すからには何か失敗したんでしょうけどもそれが何なのかはわかりません。過去には誰だっていろいろ失敗しているもんですから(玉置さんならなおさら!)、痛い目も見たけどもう一度やってみようと気持ちは晴れやか、涙が出るのですがそれは雨のせいであって実際には泣いていない(ような気分な)のです。

そしてベースとパーカッションだけがリズムを取り続け、ボーカルが再び絡んでいきます。オルガン、ギターがそれに続きますが、サビほどの音の厚みはありません。シンプル、あっさりな印象のアウトロになっています。

ふたたび三角の月、つまりまた鬱になったのです(笑)。決意したら決意したでまた頭の痛いことがあるのでしょう。でも、今夜は夢を見て、そして明日になってあの娘に会えて、そして実際に抱きしめて……きっとやれる、どうにかやれると思わせてくれる程度にはゆく道を照らしてくれている三角の月なのでした。

「テレレテレレテレレ……バーンバーン!」と書くとアホみたいですけども、最後のギターからの終わり、決まってますね。これはいっぺんで頭に入ります。オールド風味だからすべてダサくて聴いてられねえぜって態度だった若き日のわたくしにも刺さりこんで、すっかり虜にされてます(笑)。こういう、秀逸というか刺激的というか、ともかく心に刻印を残すものがこのアルバムこの曲にはたくさん仕込まれていて、聴けば聴くほどそれらが味を出してきます。あのダメダメだった90-00年代にこんなアルバム作るんだからもう……ありがとうございますとしか言いようがないのでした。

スペード [ 玉置浩二 ]

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posted by toba2016 at 14:23| Comment(6) | TrackBack(0) | スペード

2024年03月02日

甘んじて受け入れよう

玉置浩二『スペード』二曲目「甘んじて受け入れよう」です。玉置ソロだけでなく安全地帯でもありがちなことだったんですが、アルバムの一曲目が異様にシリアスだったのに比べて二曲目はグッと砕けた感じになっています。典型的には『安全地帯IV』の「夢のつづき」「デリカシー」ですね。なんだよせっかくシリアスにいい気分だったのに!とその緩急差というか寒暖差というか、ともかくテンションの違いについていけずしばしば二曲目は駄曲扱いでスキップされてしまうわけですが、それはもったいない!玉置・安全地帯マニアならばこの二曲目にこそ妙があると気がついてしかるべきなのです。実際、二曲目は何度も聴いていくとハマりきってしまう魅力ある曲が目白押しになっています。ぜひ皆様も二曲目にご注目を!「Love ”セッカン” Do It」とか(笑)。いや実際、「Love ”セッカン” Do It」の凄さはあとから沁みてくるんですよ!

さて、「Love ”セッカン” Do It」に比肩するくらいリズムが心地よいこの「甘んじて受け入れよう」ですが、ブルース・カントリー色のあるリズムのギターリフでイントロ、歌と進んでいきます。そしてBメロなくサビに突入していきなりリズムが変わりジョン・ロードのハモンドオルガンみたいな音が入り(これは安藤さんの得意技だと思います)急降下してゆく感触が味わえます。それを大サビを挟んで繰り返してギターソロ、そして唐突に終わります。また、二回目のAメロから入る「ガガッガガー」という深く歪んだギター、これが実に効いています。ソバつゆのシイタケ出汁のように他を引き立てます。この歪んだ音、どうやって出すのと思ってます。自分はこんな音を出したことがありません。これがうわさに聞くファズってやつかしら?と訝るくらいこの手の音には無縁です。BIG MUFFいちおう持ってるんですが、出番がなく使ったためしがありません(笑)。そして最後はこの歪んだ音だけを残して曲は終わるのです。くわーカッコいい!2001年にこのカッコよさに気がついていたらわたしの音楽人生もだいぶ違った軌道を描いたような気がするのですが、当時はなんだ古くせえ音だなくらいにしか思ってませんでした。人間学ぶ姿勢ってものがないとアンテナも鈍ってしまい優れたものを受信できずに実に様々なことをスルーしてしまうという好例でしょう。

さてこの曲、すさまじい歌詞とすさまじい歌いっぷりです、一曲目が抒情的でわかりやすいメロディーでしたからすっかり油断していたんですが、二曲目ではやくも強烈パンチを繰り出してきました。歌詞は、絶望的な見通しの中で自分の実力のみを頼りに突き進むという内容です。「絆」とか「つながり」とか歌ってる現代「アーティスト」たち!この境地がわかるか?おててつないで皆で「ええじゃないか」みたいに大挙して突っ込んでいけば何とかなるのは、内申書の評価が甘い都道府県の公立高校入試くらいのものだ!と教えてやりたくなるくらい切実な生き残りを賭けた闘いの歌詞なのです。

一寸先も見えない暗闇、頼れるのは自分だけ、どうにかこうにかやって……玉置さんだからこその説得力です。もちろん歌がうまいから説得力があるわけでもあるんですが、ここまでの人生がその説得力をいや増しています。2006年に志田さんの『幸せになるために生まれてきたんだから』が出るまで多くの人は玉置さんの苦難に関しては詳細は知らなかったわけですし、いまもって何も知らない人のほうが大多数でしょう。当然、2001年のわたくしも知りませんでしたから、そのストーリーという味付けのない状態でこの歌の説得力を味わうことができたわけなんですが、当時自分の人生がめちゃくちゃなバッドストーリーだったんで別の説得力を感じてしまっていました(笑)。サラの状態で音楽と出会うのはなかなか難しいようです、というか不可能でしょう。

そしてリズムが変わるサビ、「夜明け」に向かって……つまり、バッドストーリーは終わりハッピーストーリーが始まると信じているわけです。この「地球(ほし)」は廻る……そりゃ当たり前ってもんです。自転してますから。自転が止まるか太陽がなくなるかしない限り、かならず夜明けは来ます。これはわたしたちの誰もが知る事実ってもんです。ですが、禍福の行き来ってやつは誰も仕組みがわかりません。そもそも行き来しているのかどうかさえわかりません。へたするとパチンコのように負け続けもありえるでしょう。でも「オンボロになるまで行くぞー!」と玉置さんは明るく元気に叫んでくれます。オンボロになったらその時点で多くの人は文句を言うでしょう。だからあやしい宗教に引っかかるわけです。オンボロになるまえに禍福が入れ替わって福になる保証なんて初めからないんです。ですが、わたしたちは自分がオンボロになるまでしか勝負できない。オンボロになったら試合終了なんですが、それを怖がって勝負できないのでは仕方ありません。もともと千円しか持ってないのに確変をねらうような確率しかないのかもしれません。もしかしたら五千円くらい、あるいは数万円くらいが「オンボロ」になる地点なのかもしれませんけども、実際いくらくらいなのかは想像もつきませんし、ましてやそれで当たる保証なんてありません。そんなのってないよ神様!なんですが、仕方ありません。そこがうまい仕組みになっていると期待するほうが想像力が不足していますし、だからそれに付け込まれるんだよというほかありません。ですが、時が永遠かそれに近いくらい長く続くと仮定するならば、いつかは入れ替わることもあるでしょう。それを「夜明け」と呼び、近いか遠いかもわからないのに、「行くぞー!」これは勇気づけられる……ですが、ある種の人たちには、もしかしたら現代の多くの若い人たちには、まったく何を言っているのかすらピンとこないかもしれません。

勝ち目がないならじっとしてたほうがマシだ、それはわからないでもありません。勝ち目があるなら思い切って賭けてみよう、これはわかります。勝ち目があるけど負けるのが嫌だからじっとしていよう、これもわからないでもありません。じゃあ、勝ち目があるかないかわからない場合には?ここが分かれ目でしょう。ここで賭けないのが上記の人たち(の多数)だと思われるのです。だってバカにされるもん(笑)。到底わかりあえる気のしない世代の違いというものがあるのですが、どの世代にも共通しているのは、周囲にバカにされることを嫌がるという習性です。

「足腰」「柔軟な考え方」「見渡す眼差し」……これらは雑にまとめると「実力」です。十分な実力をもって、慎重にそして綿密に勇敢に「途中くらい」までたどり着きます。途中くらいってどれくらいだよ!(笑)。それでも玉置さんは賭けます。「夜明けに向かって」いると確信しているからです。地球の自転は二十四時間ですが、禍福の自転はもしかしたら56億7000万年くらいかもしれません。もしかして自転などしてないのかもしれません。十分な実力があろうともそれはすべて無に帰すかもしれないのです。これは腰が引けてしまっても仕方ありません。

こんな状況下で進み続ける玉置さん、大サビでそれらを貫く考え方が叫ばれます。

善いことだと思うからやるんです。実際にあとから良かったかどうかなんてわかりゃしない、「どっちにしたって何か言われるんだ」、ならば「甘んじて受け入れよう」とブレイクが入り、これで背筋がゾクゾクっときます。そうだ、どっちにしたってバカにしてくるやつ、文句言ってくるやつはいる、これは全世代共通でしょう。そんなの気にしてたら何もできないし、実際何もしてないに等しい人が多いのも全世代共通でしょう。文句言ってるのが一番楽だし、手ひどい負けはないんですから賢いのかもしれません。でも嫌だねそんな人生と思っている人とは犬猿の仲で、この対立も全世代共通でしょう。バカにしたいならしろ、文句言うなら言え、こっちは勝負しているんだから。

そして最後のサビ、急降下の「夜明けに向かって……」「オンボロになるまで行くぞー!」そしてギターソロ、歪んだギターですが、フレーズ自体は非常に控えめです。ですが、この「ギャーン!……」というトーンが嚙みついてきます。忘れられません。心に爪痕をがっつり残されます。これはバカにしたり文句を言っていたりする人にもガッツリ刺さりこむでしょうし、玉置さんのように賭けよう、もがこうとする人たちの胸にも同志の刻印を色濃く残してゆきます。

さて二月はぜんぜん更新できず、ようやっと「このリズムで」を更新したくらいだったのですが、あれおかしいぞ、一ヶ月更新しなかったときに表示される広告が消えない!なんだこれウゼエな(暴言)。いちいち指先立ててバツマークとか押してられっか!運営に文句言ってやろうかくらいに思っていたのですが、よくよく考えますと「このリズムで」の下書きを最初に作成したのが一月でしたから、それ以降一ヶ月以上経ってたんで、記事をアップしたのが二月後半でも、プログラム的には一ヶ月以上新しい記事はないという扱いになっていたんでしょうね。運営さまウゼエとかいってすみませんでした!さて三月も思ったよりヒマにならない感じなんで、どれだけ更新ペース守れるかわかったもんじゃないんですが、最低限あのうぜえ広告が出ないくらいには更新してゆきたいと思っております!

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posted by toba2016 at 10:38| Comment(4) | TrackBack(0) | スペード