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2021年10月23日

神田川の大曲 江戸城下の治水事業のなごり

江戸幕府を開いた徳川家康により、関東のあちらこちらで大規模な治水事業が実施されました。かつては東京湾に注いでいた利根川を、太平洋へ注ぐように流路変更した事業(利根川東遷事業)は有名ですね。そこまでのスケールではないものの、江戸城下の町づくりで、どうしても必要だった流路変更のなごりをご紹介させて頂きます。

<大曲>おおまがり
Kandagawa-Omagari.JPG
こちらは東京都内を流れる神田川です。川か大きく曲がるから大曲。住所表記上は存在しませんが、この付近の地名でもあり、その名を冠したバス停もあります。神田川と並走する首都高速の高架も大きな弧を描いています。

そういう地形なだけ?

まぁ地形も影響はしていますが、この流路は江戸時代に人の手が加えられたなごりなのです。

今はコンクリの街となって実感しにくいですが、この付近は北と南の台地に挟まれた谷地です。現在の神田川の基となった平川が、江戸城を迂回しながら日比谷入江に注いでしました(江戸城は海岸沿いの城で日比谷は海でした)。平川に限らず、これと合流する小石川、そして台地を隔てて東側を流れる石神井川も、南下して直接江戸湾に流れ込む川でした。これらが増水した場合、これから築こうという江戸城下の町は直撃を受けます。そこで、これらを全て東へ向かわせ、隅田川に流れ込むように付け替え工事が行われました。このいわば東遷事業の時に、現在の神田川の流路がほぼ完成したようです。

大曲もその時に?

そう思われますが、厳密なことは分かりませんでした。あるいは、この付近にはかつて白鳥池と呼ばれる大きな沼があり、これが埋め立てられる工程で急カーブとなったのかもしれません(あくまで推定ですのでご容赦下さい)。

<白鳥橋>しらとりばし
Shiratori-Bashi.JPG

ShiratoriBashi-Kandagawa.JPG
神田川に架かる白鳥橋です。かつてあった沼の名が、そのまま橋の名となっています。白鳥池とは別に、流路の下流には小石川大沼と呼ばれた沼もありました。要するに、台地に挟まれたこの付近の低地は、ほとんどが湿地帯だったと思われます。

<白鳥橋と大曲>
Kanda-River-Big-Turn.JPG
神田川は白鳥橋の前後での流路が急カーブを描き、東向きの流れから南向きの流れへと変わり、再び東の隅田川へ向かいます。地形が創った流路ではなく、人が意識して造り上げたもの。むかしの人たちの水との格闘のなごりということになります。

ということで
江戸城を中心とした治水事業のなごりのご紹介でした。江戸時代ともなると、城づくりと町づくりはセットと言えますね。

■訪問:神田川大曲
(白鳥橋)
[東京都文京区水道]1丁目


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posted by Isuke at 20:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 川跡・暗渠
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