こちらは川崎市麻生区を流れる麻生川です。
<金程橋>かなほどばし
麻生川に架かるこの橋の名が、そのままこの場所の地名です。
戦国時代、この地で戦がありました。小田原城を本拠とする北条氏と、川越城を本拠とする扇谷上杉氏の戦いです(1530年7月:小沢原の戦い)。北条氏康が籠る小沢城を攻めるべく、上杉朝興がこの付近に陣を敷きました。既に江戸城や岩付城を奪われてしまっている扇谷上杉氏からすれば、敵の当主(氏綱)の嫡男を討つ絶好のチャンスです。
小沢城は多摩丘陵地帯に築かれた山城です。その麓で繰り広げられた初戦では上杉朝興が勝利し、北条軍は城に撤退します。ただ、この勝ちで上杉軍は油断したのでしょうか?夜営したところを北条軍に襲われ、上杉の陣は総崩れとなりました。
<自然の川>
今でこそ水路のようですが、周辺の水を集めながら鶴見川に合流する自然の川です。流路はともかく、昔からこの付近の低地を流れていました。夜営する上杉軍は、この川が堀の代わりとなるように陣を敷いたのかもしれませんね。これが陣川と呼ばれるゆえんなのでしょう(調べましたが確かな証拠はみつけられませんでした)。
金程付近に陣を敷いたと伝わるだけで、具体にはどこなのか?あまりはっきりしていません。1丁目付近とする説が有力なようなので、私はその周辺(先ほどの金程橋付近)を古戦場跡と受けとめることにしました。
<下平尾児童公園>
金程1丁目付近で目についたのが、こちらの公園でした。県境のため東京都(稲城市平尾二丁目)になります。前提がはっきりしていないところに仮説を立てて恐縮ですが、夜営のために陣を敷くとしたら、やはり周辺より高くなっている場所を選ぶのではないでしょうか。絶対にこことは思いませんが、上杉軍は川沿いのこんな場所に陣取ったのだろうと勝手な想像を膨らませながら探索を続けました。
北条軍の夜襲により上杉軍は敗走となりますが、武蔵国をめぐる戦いはその後も続きます。上杉朝興はここでの戦いで敗れた僅か3ケ月後に、岩付城を奪回しています。戦、戦の繰り返しだったわけですね。
ということで
そんな時代があったことをしのばせる川のご紹介でした。
<陣川>じんかわ
当たり前の景色ですが、戦国時代の合戦と関係のあった川です。
■訪問:麻生川
[川崎市麻生区金程]
---------- ( 関連画像 ) ----------
<小沢城址碑>
[神奈川県川崎市多摩区菅仙谷]
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