2020年06月01日
最期まで主君に忠義を貫いた武将・中山 家範の眠る寺!能仁寺/飯能市
今日は飯能市で有名なお寺「能仁寺(のうにんじ)」の紹介です^^
現在では長嶋茂雄や王貞治が訪れた「スポーツ寺」として知られていますが、このお寺は後北条氏に仕えた中山家の菩提寺でもあるんです!
能仁寺と中山家
能仁寺は1501年、現在の飯能をおさめていた豪族「中山 家勝(なかやま いえかつ)」が曹洞宗の名僧「斧屋文達」を招聘して創建されました。
当初寺の規模は小さかったものの、家勝の没後に子の「中山 家範(なかやま いえのり)」が父を弔うために本格的な寺にしたそうです。
中山 家範
この家範ですが、後北条氏に仕え、主君「北条氏照」の元で武名を轟かせた勇将でした。
豊臣秀吉による小田原攻めの際、八王子城に籠城した家範は劣勢を強いられていました。
豊臣政権五大老の一人「前田利家」は家範の助命を提案しますが、義を貫いた家範はそれを拒み討ち死にしたのです。
家範の忠義は子を助けた
八王子城で家範が討ち死にしたことで身の危機を感じていた子の「中山 照守(なかやま てるもり)」は武蔵加治(現在の飯能)に潜伏していました。
しかし家勝の最期に感銘を受けた徳川家康が照守と弟の信吉を二代将軍「徳川秀忠」の使いとして召し抱えたのです。
のちに照守は上田合戦において上田七本槍の一人にも数えられ、馬術の使い手でもあったことから秀忠や三大将軍の家光にも手ほどきをし、得意の馬術で数々の戦功を挙げたため最終的には3500石の大身旗本となりました。
まとめ
「忠義」というのはまさに「信頼」なんですよね。
召し抱える側としては謀反を起こしたり簡単に寝返ってしまう武将は、自分のもとに来てもまた寝返るのではないかと疑心暗鬼になってしまいます。
それだったら忠義を貫いて討ち死にした武将の血が宿った子孫を召し抱えようと思ったのでしょう。
歴史は過去のことですが、それぞれの武将が持つ考え方や戦略は現代の組織で仕事をするにあたってとても参考になります。
能仁寺は境内がとても綺麗で癒される場所ですが、そこに眠る人物の歴史を辿ってみるとまた違った楽しみ方ができますよ^^
アクセス
・東飯能駅から車で8分。
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