2019年12月24日
暴走トークのオンパレード!お笑い界の奇才・太田光/ふじみ野市
ふじみ野市出身の有名人
今回はふじみ野市出身のお笑いタレント「太田光」さんの紹介です^^
太田さんといえばお笑いコンビ「爆笑問題」のボケ担当で、過激なボケや時事ネタを投入してくる芸風でおなじみの芸人さんです^^
そんな太田さんの奇をてらった行動はテレビの中だけではとどまらず、プライベートでもイタズラばかりしているのだとか(笑)
それでは太田さんの生い立ちから順にふれていきたいと思います^^
太田光(おおたひかり)
上福岡市(現ふじみ野市)で生まれた太田さんは、幼いころに毎晩本を読み聞かせてくれた母の影響で児童文学に興味を持つようになり、建築士である父も文学に興味を持っていたことから太田さんが本を欲しがればすぐに買い与えていたそうです。
女優志望だった母に連れられていつも舞台を見に行っていた太田さんは演劇にふれあう機会も多く、前述の影響もあって大学は日本大学芸術学部演劇学科を受験します。
のちの相方となる田中さんと出会ったのは日本大学の試験会場。
当初田中さんは会場で試験官を茶化していた姿を見て「こいつとは関わり合いになりたくない」と思っていたそうです。
一方、どうせ合格できないだろうと諦めていた田中さんも試験の直前まで草野球をしていたためユニフォームのまま試験に挑んでいたのだとか(笑)
爆笑問題
同じ学科だったこともあり仲良くなった2人は大学を中退し、1988年にお笑いコンビ「爆笑問題」を結成します。
コンビ名の由来はよく番組表で使われる「爆笑」の文字と、本屋でたまたま「問題実話」という本を見て「問題」というフレーズが頭に残っていたのが理由で付けたそうです^^
フジテレビの深夜番組「笑いの殿堂」でテレビデビューした彼らは太田さんの毒舌ボケと田中さんのツッコミで人気を集めたことでスカウトから声をかけられます。
スカウトにそそのかされた2人は1990年に当時所属していた「太田プロ」から独立。
一方的に辞める形となったことで太田プロの怒りを買い、仕事も激減・・・実質干された状態になった彼らはテレビからも姿を消すことになってしまいます(・_・;)
田中さんは実家暮らしでアルバイトをしながら食いつないでいたものの、太田さんは妻の太田光代さんの稼ぎやパチンコで生活していました。
太田さんは暗算が非常に苦手で、レジのバイトをすると客から苦情を言われないように釣銭を多く渡す等始末でアルバイトもまともにできず、借金取りから逃げる為に家に引きこもりファミコン漬けの日々だったそうです(・_・;)
タイタン設立
しかし、しばらく悲惨な生活が続いていた彼らにも一筋の光明が見えてきます。
1993年に「爆笑問題」がNHK新人演芸大賞を受賞したのを機に、太田さんの妻である光代さんが個人事業主としてタイタンを創業、退社した太田プロと話し合いを行い、タイタン設立を承諾されたのです。
妻の営業努力と2人の実力もあり爆笑問題は再び評価を高め、「ボキャブラ天国」や「検索ちゃん」、「サンデージャポン」などの人気番組に出演。
現在は「爆報! THE フライデー」などで司会を務めるまでに至ります^^
まとめ
一時期は引きこもり寸前にまで陥った太田さんですが、現在は大活躍されていますね^^
毎回サンデージャポンのコーナーの冒頭にはさむ際どいボケが面白いんです^^
逮捕されたりしてみんながあえて触れないようにしている人物のボケを率先して行う姿はどこかビートたけしさんの面影があります。
太田さん自身たけしさんの大ファンなのでリスペクトしてるのでしょう^^
これからもどんな危ないボケをかますのか楽しみです!
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