2021年04月07日
景行天皇の行宮 【彦嶽宮 下宮】 熊本県山鹿市
由緒
第十二代景行天皇の時代に、
日向の国(宮崎県)の熊津彦(くまつひこ)がそむいたので、
天皇は景行十八年四月に御軍を率いて九州に上陸され、
高天山(震嶽)に行宮を営まれました。
熊津彦は土蜘蛛の津頬(つちぐものつつら)と共に兵を進めて
夜中に天皇を襲いました。
天皇が行宮において諸神をお祈りされると、
彦嶽の頂上より高天山に霊感があって、高天山は大いに振動し、
賊徒はたちまち敗走して天皇の大勝となりました。
天皇は進んで日向の国に攻めて、熊津彦及び津頬を誅し給い、
お帰りの途中に神恩に感謝して、彦嶽に上宮・中宮・下宮を
造立されました。
これが、彦嶽三所宮の創建です。
第18代履中天皇の御宇、都邑の県主の後胤 都邑の武彦君の
神記奏上により日籠の峰(彦嶽)に畫日別陰龍王伊弆諾神を
奉祀し神田75町を付け給いました。
第27代継体天皇の22年(西暦529年)に、
筑紫の国造磐井が反乱をおこした時、
大連物部の麁鹿火は征討の命を蒙り筑紫の国に下向し、
彦嶽宮を祈り御井郡の戦に磐井を討平げることができました。
御祭神
天照皇大神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
合殿
素戔鳴神(すさのおのかみ)
健磐龍神(たけいわたつのかみ)
彦御子神(ひこみこのかみ)
御利益
国土安泰、開運招福、五穀豊穣、商売繁盛、家内安全、芸能上達など
鎮座地
熊本県山鹿市津留2248
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