2021年06月08日
阿蘇神社三社【平山阿蘇神社・大津山阿蘇神社・筑後乃国阿蘇神社】熊本県・福岡県
●平山阿蘇神社(阿蘇五宮神社)
開湯1300年前といわれる平山温泉の開湯伝説、肥後国史によれば、
桓武天皇の延暦九年(七九〇)頃、
里一帯に疥癬という皮膚病が大流行しました。
男は田畑を耕せず、女は綿布を織れなくなり、
飢えと寒さで生活は成り立たず、餓死者も出そうな有様でした。
困り果てた里人たちは、もはや神仏におすがりする他はないと、
斎戒沐浴し、「神よ、願わくは、我等のこの苦難を救わせ給え」と、
一心に阿蘇大明神に祈りを捧げました。
祈りが通じたのでしょう。
大明神は、高い山を切り開き、深い谷を埋め、
一晩で平らかな地をつくられました。
そこから湧き出た熱い湯を浴びれば、
病はたちどころに治り、平穏な日常が戻りました。
人々は、前川内に祠(平山阿蘇神社と思われる)を建て、
阿蘇大明神を祀り、永久に守護神として尊崇することにしました。
以来、この地は「平山」と呼ばれるようになりました。
建久八年(1197年)十一月八日、
同村の古城主、佐藤児次郎竹春之が阿蘇五宮を勧請したと伝わる。
旧社格:村社
御祭神: 彦御子神(阿蘇五宮)
合 殿
健磐龍神・比盗_・国龍神・比東芬q神・若比盗_・ 新彦神
新比盗_・若彦神・彌比盗_・國造神・金擬神
明治四十一年七月
白髭神社(祭神:野見宿禰)鹿本郡神社誌には祭神:塩土翁
八幡宮(祭神:譽田天皇)
この白髪神社の祭神が野見宿禰であることから、
毎年9月15日に豊作祈願の奉納相撲が行われます。
鎮座地
熊本県山鹿市平山5065
●大津山阿蘇神社(おおつやまあそじんじゃ)
大津山阿蘇神社は、阿蘇の神々様の御神徳を得る為に、
正治元年(1199)一の宮阿蘇神社より、
建磐龍神と阿蘇都媛神の二柱の神様を勧請し、
お祭りしたのが創建です。
当初は、現在の南関第一小学校の椋の木の所に鎮座したといわれ、、
現在は「下つ宮」と称されています。
その後、南北朝(1336-1392)時代に大津山氏が入国して領主となり、
大津山城主として阿蘇の神々を篤く崇敬します。
応永2年(1395)には、三代城主の大津山経稜が
「下つ宮」から現在の関町のに遷座。
さらに、五代城主の大津山資秋が、現在地の大津山、
別名つららが岳に社殿を移し、大津山大明神、大津山阿蘇神社
と称されるようになりました。
旧社格:郷社
阿蘇地方の古事に記されているのと同様に
「ナマズ」を食べない風習があり、
身体に通称「ナマズ(皮膚病)」ができれば、
境内の池に「ナマズ」を放ち、祈願すれば全快するとされています。
尚、雨乞の神としても崇敬を集めています。
御祭神
建磐龍神(たけいわたつのかみ)
阿蘇都媛神(あそつひめのかみ)
御利益
夫婦和合、家内安全、開運、事業発展、商売繁昌、五穀豊穣、子授けなど
大津山生目八幡宮
大津山生目八幡宮は、
天正九年(1581年)多津山城主 七代大津山資冬の時、
筑紫の高良台に於ける龍造寺との合戦で傷ついた
家臣の回復を願うため日向国の生目神社から当地に
勧請したと云われています。
御祭神:垂仁天皇、平景清
御利益:眼病平癒など
鎮座地
熊本県玉名郡南関町関東958
●筑後乃国阿蘇神社
由緒
延元二年(1337)多々良浜の合戦に敗れた阿蘇小二郎惟澄が、
ようやくたどりついた筑後大木の里で、
大木城主壱岐守貞守の手厚いもてなしを受け、
暫く滞在して休養をとった。惟澄は城主の誘いもあって、
海津古川の木の下郷に阿蘇神社の分霊を奉祀し、
子孫代々神社に奉仕して村民の振興を集めた。
下って元和八年(1622)海津北阿蘇田の現在地に移転し、
南北海津の氏神として今日に到っている。
旧社格:村社
御祭神
健磐龍命(阿蘇都彦命)、阿蘇都比当ス
御利益
開運、事業発展、商売繁昌、五穀豊穣、子授け、夫婦和合、家内安全など
鎮座地
福岡県みやま市高田町海津1642
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