2019年12月24日
水天宮総本宮 【久留米水天宮】福岡県久留米市
全国総本宮 久留米水天宮
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。
社伝によれば、寿永4年(1185年)、
高倉平中宮に仕え壇ノ浦の戦いで生き延びた
按察使の局伊勢が千歳川(現 筑後川)のほとりの
鷺野ヶ原に逃れて来て、建久年間(1190年 - 1199年)に
安徳天皇と平家一門の霊を祀る祠を建てたのに始まる。
伊勢は剃髪して名を千代と改め、
里々に請われて加持祈祷を行ったことから、
当初は尼御前神社と呼ばれた。
そのころ、中納言平知盛の孫の
平右忠が肥後国から千代を訪れ、その後嗣とした。
これが現在まで続く社家・真木家の祖先である。
幕末の志士・真木保臣は第22代宮司であり、
境内社・真木神社に祀られている。
慶長年間(1311年 - 1312年)に久留米市新町に遷り、
慶安3年(1650年)、久留米藩第2代藩主有馬忠頼によって
現在地に社殿が整えられ遷座したのが現在総本宮である
久留米水天宮である。
その後も歴代藩主により崇敬されたが、特に第9代藩主頼徳は、
文政元年(1818年)に久留米藩江戸屋敷に分霊を勧請し、
その後明治4年に現在の東京水天宮にご遷座された。
明治元年(1868年)には元神明宮に分霊され相殿に祀られる。
御祭神
天御中主神、安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院、平徳子)
二位の尼(平時子)
鎮座地
福岡県久留米市瀬下町265-1
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