2007年07月29日
流血大王、逝く
今日、町内会の夏祭りがありました。先日書いたとおり、姪っ子シスターズの長女と次女を連れて夕方五時半に会場となっている公民館へ。例年通り盆踊り用のやぐらが組まれ、その周りでは町内のご近所さんがバザーをやっていました。そしてこれまた例年通り、子供会が主催するゲームを2人で遊びまわっていましたが、後ろを付いて回って面倒を見ていました。
一応、2人には姉からお小遣いが渡されていましたが、姪っ子(次)は計算もお金も良く理解できてなく、それでも「お店屋さんごっこ」みたいな所でお金の使い方を勉強すればいいと思いながらも、無駄遣いだけはきっちりチェックしながら中腰で動き回ったので少々バテ気味です。
ついでに暑いさなかでご町内会の面々との付き合いもありますし、踊りにも参加。踊りの練習にも参加してないんでもたついてしまいましたが、「炭坑節」だけはやっぱり体が覚えてますねぇ(笑)。う〜ん・・・これは九州の人間だから?他の地方の人で「炭坑節」を踊れるのって当たり前じゃないんですかねぇ。
さて、話は変わってプロレスラーの訃報です。
流血大王キラー・トーア・カマタさん死去
もはやこの名前を知っているプロレスファンも少なくなったかもしれませんが、昭和を代表する“これぞB級”と言う感じのレスラーでした。当時は崩壊した国際プロレスから新日本、全日本に流れた選手は一部の例外を除いてほとんどやられ役になっていましたが、逆にエース級を引き立てる役回りをきっちりこなしていました。
そしてカマタ選手もアブドーラ・ザ・ブッチャーとは組んで良し、戦って良し、そして日本勢と戦った場合は本当に日本人レスラーを輝かせる見事な悪役っプリ、やられっプリには今更ながらプロを感じさせる職人でした。(そう言えばブッチャーが新日に引き抜かれた直後、繰上げでブッチャーのポジションをゲット、同時期にグレートマーシャルボーグって選手もいましたねぇ・・・)
まぁ、最近はちょっと筋肉増強の為に何かしたんじゃない?それが原因では?・・・と言う様な亡くなり方をする若いレスラーが多い中、あのアンコ型の体型でレスラーと言う職業でいながら70歳なら大往生に近いのではないかと。もしや肉体的には昔のレスラーの方がタフだったのではないか?
「流血大王キラー・トーア・カマタ」、ご冥福をお祈りします。