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2017年04月16日
黄金の夜明け団と演劇 04
黄金の夜明け団と演劇04
黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けておりますが
第2章を観て参りましょう
黄金の夜明け団は フリーメーソンリーの位階制度を採り入れ
それをカバラのセフィロトの樹と照合させて 独自の位階制度を整えた
その内陣に当たる「紅薔薇と金の十字架」 中位位階
(更に上位の位階があるが 超人な霊的レベル)
に属した 優秀な儀式魔術師たちが 19世紀オカルト復活に貢献する
黄金の夜明け団の発端はウィリアム.ウィン.ウェストコット
Dr William Wynn Westcott (1848-1925)が持ち込んだ暗号文書であったが
それをサミュエル.リドル .マグレガー.メイザース
Samuel Liddell Mathers (1854-1918)が膨大な資料を紐解き
アストラル交霊体験により
断絶され広範囲に散在した叡智を 一貫して合成し
実用的かつ効果的なシステムとして編成された
神智学協会はオカルトを学術研究により体系化したが 一方
黄金の夜明け団は 儀式魔法の実践を探求したのだ
神智学協会は入会に制限はなかったが
黄金の夜明け団は現会員の推薦が必要であった
オカルト実践を希望する多くの神智学協会員は
黄金の夜明け団に入会した
黄金の夜明け団の会員は オカルトサイエンス/精神科学を学び
生命と死の神秘 人類の境遇の更なる調査を重ねる
神智学 神秘学よりエッセンスを取り出し
安全な魔術の方法を創作した
許可は英国薔薇十字団 秘密の首領
(肉体を超越した者)により与えられた
17世紀産業革命後 西欧は大きく変化する
1859年ダーウィンの種の起源
科学的世界観が進化の概念を基礎から塗り替える
黄金の夜明け団は この急激な社会変化に対抗していたのだろうか?
英国では労働組合 参政権運動が盛り上がりる
ヴィクトリア時代の女性たちも
自らの権利について模索を始めていた
フリーメーソンリーが女性会員を認めない中
黄金の夜明け団は 女性にも男性同等の権威を認め その結果
実社会で演劇に関わる婦人会員たちが
黄金の夜明け団の秘儀祭典を
より芸術的パフォーマンスへと導くこととなる
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けておりますが
第2章を観て参りましょう
黄金の夜明け団は フリーメーソンリーの位階制度を採り入れ
それをカバラのセフィロトの樹と照合させて 独自の位階制度を整えた
その内陣に当たる「紅薔薇と金の十字架」 中位位階
(更に上位の位階があるが 超人な霊的レベル)
に属した 優秀な儀式魔術師たちが 19世紀オカルト復活に貢献する
黄金の夜明け団の発端はウィリアム.ウィン.ウェストコット
Dr William Wynn Westcott (1848-1925)が持ち込んだ暗号文書であったが
それをサミュエル.リドル .マグレガー.メイザース
Samuel Liddell Mathers (1854-1918)が膨大な資料を紐解き
アストラル交霊体験により
断絶され広範囲に散在した叡智を 一貫して合成し
実用的かつ効果的なシステムとして編成された
神智学協会はオカルトを学術研究により体系化したが 一方
黄金の夜明け団は 儀式魔法の実践を探求したのだ
神智学協会は入会に制限はなかったが
黄金の夜明け団は現会員の推薦が必要であった
オカルト実践を希望する多くの神智学協会員は
黄金の夜明け団に入会した
黄金の夜明け団の会員は オカルトサイエンス/精神科学を学び
生命と死の神秘 人類の境遇の更なる調査を重ねる
神智学 神秘学よりエッセンスを取り出し
安全な魔術の方法を創作した
許可は英国薔薇十字団 秘密の首領
(肉体を超越した者)により与えられた
17世紀産業革命後 西欧は大きく変化する
1859年ダーウィンの種の起源
科学的世界観が進化の概念を基礎から塗り替える
黄金の夜明け団は この急激な社会変化に対抗していたのだろうか?
英国では労働組合 参政権運動が盛り上がりる
ヴィクトリア時代の女性たちも
自らの権利について模索を始めていた
フリーメーソンリーが女性会員を認めない中
黄金の夜明け団は 女性にも男性同等の権威を認め その結果
実社会で演劇に関わる婦人会員たちが
黄金の夜明け団の秘儀祭典を
より芸術的パフォーマンスへと導くこととなる
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
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2017年04月14日
黄金の夜明け団と演劇03
黄金の夜明け団と演劇03
黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けております
第1章後半部を以下に
黄金の夜明け団と演劇の関係
事に彼らの秘儀祭典を見る場合
伝承に関する理解とその活動成立に至る背景に焦点を当てる
まず3人の創立者
ウィリアム.ウィン.ウェストコット Dr William Wynn Westcott (1848-1925)
儀式魔術師 高位のフリーメーソンリー 英国薔薇十字協会
神智学協会ロンドン支部長 ヘルメス協名誉会員 検視官
ウィリアム.ロバート.ウッドマン Dr William Robert Woodman (1828-1891)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会会長も務める 外科医
サミュエル.リドル .マグレガー.マサース Samuel Liddell Mathers (1854-1918)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会で上記の二人と出会う
ヘルメス協会 神智学協会ロンドン支部と交流 天才的な儀式魔術師
組織のリーダーとなったのはメイザースである
彼は1880年代 新しく起こったオカルト運動に参加し
大英博物館で秘儀魔術に関する文献を踏査 神秘哲学の基幹を育てる
それは黄金の夜明け団教理へと及ぶ
神智学協会(Theosophical Society 1875年創設)
が目指したものは人間の潜在能力研究を通じて
17世紀薔薇十字団の教義に科学と宗教の橋掛かりを取り付けることであり
その役目を果たした
謎めいたロシア人ブラバツキー婦人Madame Helena Blavatsky (1831-1891)は
心霊主義が社会現象となっていたアメリカを旅し
心霊 神秘主義について研鑽を積む
ブラバツキーは有名なサイキック 霊媒 ハシッシュの常用者で
彼女独自の神秘思想哲学を世に送り出した
神智学は西洋と東洋オカルト実践の融合である
彼女は外国人入国が禁止されていた当時のチベットの
マハトマ/偉大な魂 と呼ぶばれる 霊的成就者/アデプト の教理を
自動筆記により授かり
1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』
1888年『シークレット・ドクトリン』 を上梓する
神智学協会は国際的教団として信奉者は集い普及した メンバーには
ウィリアム・バトラー・イェイツ(アイルランドWilliam Butler Yeats1865-1939)
ワシリー・カンディンスキー露Wassily Kandinsky1866-1944)
ピエト・モンドリアン和蘭(Piet Mondrian1872-1944)
オルダス・レナード・ハクスリー英(Aldous Leonard Huxley1894-1963) 等
神智学協会が目指したものは
未知なる体験の科学的証明とオカルト実践であったが
心霊現象研究協会(英The Society for Psychical Research 1882年設立
ケンブリッジ大学心霊主義研究者による非営利団体)
が 1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴くクローン事件)
このSPRの活発な活動は心霊主義衰退を当然導くも
水面下で活動は続けられる
19世紀の末にはフリーメーソンとエジプト秘儀への関心がオカルト界を支配する
神秘学協会も20世紀オカルト運動 ニューエイジ運動に多大な影響及ぼす
メイザースもブラバツキーと関わり
フリーメーソンの会合を持ち
神智学協会ロンドン支部では彼のカバラ論を披露し 更に
フェミニスト運動の先駆者アンナ・キングスフォード Anna Kingsford (1846-1888)
との出会いにより 黄金の夜明け団は男女同権を受け入る
マザースは多言語に通じ
彼の日常は大英博物館図書室においてカバラ 秘儀魔術研究にあてられたが
独Christian Knorr von Rosenroth (1636 – 1689)キリスト教カバラ研究者の
『ヴェールを脱いだカバラ』The Kabbalah Unveiled (1684) を1887年翻訳出版
ここに顕された暗号の数々は黄金の夜明け団秘儀祭典を大きく容創る
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考意訳の試みを続けております
第1章後半部を以下に
黄金の夜明け団と演劇の関係
事に彼らの秘儀祭典を見る場合
伝承に関する理解とその活動成立に至る背景に焦点を当てる
まず3人の創立者
ウィリアム.ウィン.ウェストコット Dr William Wynn Westcott (1848-1925)
儀式魔術師 高位のフリーメーソンリー 英国薔薇十字協会
神智学協会ロンドン支部長 ヘルメス協名誉会員 検視官
ウィリアム.ロバート.ウッドマン Dr William Robert Woodman (1828-1891)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会会長も務める 外科医
サミュエル.リドル .マグレガー.マサース Samuel Liddell Mathers (1854-1918)
高位フリーメーソンリー 英国薔薇十字協会で上記の二人と出会う
ヘルメス協会 神智学協会ロンドン支部と交流 天才的な儀式魔術師
組織のリーダーとなったのはメイザースである
彼は1880年代 新しく起こったオカルト運動に参加し
大英博物館で秘儀魔術に関する文献を踏査 神秘哲学の基幹を育てる
それは黄金の夜明け団教理へと及ぶ
神智学協会(Theosophical Society 1875年創設)
が目指したものは人間の潜在能力研究を通じて
17世紀薔薇十字団の教義に科学と宗教の橋掛かりを取り付けることであり
その役目を果たした
謎めいたロシア人ブラバツキー婦人Madame Helena Blavatsky (1831-1891)は
心霊主義が社会現象となっていたアメリカを旅し
心霊 神秘主義について研鑽を積む
ブラバツキーは有名なサイキック 霊媒 ハシッシュの常用者で
彼女独自の神秘思想哲学を世に送り出した
神智学は西洋と東洋オカルト実践の融合である
彼女は外国人入国が禁止されていた当時のチベットの
マハトマ/偉大な魂 と呼ぶばれる 霊的成就者/アデプト の教理を
自動筆記により授かり
1877年に『ヴェールを脱いだイシス神』
1888年『シークレット・ドクトリン』 を上梓する
神智学協会は国際的教団として信奉者は集い普及した メンバーには
ウィリアム・バトラー・イェイツ(アイルランドWilliam Butler Yeats1865-1939)
ワシリー・カンディンスキー露Wassily Kandinsky1866-1944)
ピエト・モンドリアン和蘭(Piet Mondrian1872-1944)
オルダス・レナード・ハクスリー英(Aldous Leonard Huxley1894-1963) 等
神智学協会が目指したものは
未知なる体験の科学的証明とオカルト実践であったが
心霊現象研究協会(英The Society for Psychical Research 1882年設立
ケンブリッジ大学心霊主義研究者による非営利団体)
が 1884年のブラヴァツキー夫人と神智学協会のトリック暴くクローン事件)
このSPRの活発な活動は心霊主義衰退を当然導くも
水面下で活動は続けられる
19世紀の末にはフリーメーソンとエジプト秘儀への関心がオカルト界を支配する
神秘学協会も20世紀オカルト運動 ニューエイジ運動に多大な影響及ぼす
メイザースもブラバツキーと関わり
フリーメーソンの会合を持ち
神智学協会ロンドン支部では彼のカバラ論を披露し 更に
フェミニスト運動の先駆者アンナ・キングスフォード Anna Kingsford (1846-1888)
との出会いにより 黄金の夜明け団は男女同権を受け入る
マザースは多言語に通じ
彼の日常は大英博物館図書室においてカバラ 秘儀魔術研究にあてられたが
独Christian Knorr von Rosenroth (1636 – 1689)キリスト教カバラ研究者の
『ヴェールを脱いだカバラ』The Kabbalah Unveiled (1684) を1887年翻訳出版
ここに顕された暗号の数々は黄金の夜明け団秘儀祭典を大きく容創る
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
2017年04月13日
黄金の夜明け団と演劇02
黄金の夜明け団と演劇の関係についての論考の
意訳を試みております
第1章
黄金の夜明け団は31/03/1888 ロンドンにて発足
当時は オカルトが社会現象となっており それが最も盛んな時期であった
その発端は1848年米のフォックス姉妹にみる
それはまたたくまに西欧人を虜にする
31/03/1848 フォックス姉妹は深夜 自宅 Hydesvilleで不可思議な音を確認する
所謂ハイズビル事件 の始まりである
その音は数か月に渡り鳴り続け
そして姉妹は符号を介し霊との交信が可能であることを公にする
そのフォックス姉妹はマスコミを巻き込み
学術的調査までも行われた
フォックス姉妹は ‘medium’ 霊媒師/故人の霊と交信が出来る者
の名を得 心霊ブームを巻き起こした
この動きはすぐさま西欧諸国に広まり
新宗教或いは新しい倫理哲学も生み出す
(例;アラン・カルデック
(仏Allan Kardec 1804 – 1869 のSpiritism/スピリティズム 心霊主義)
そして近代神秘主義は
交霊会/霊存在を聴衆の前に顕すパフォーマンスを引き起こす
当時の実施方法は現在よく知られる交霊会の模様と同様である
そこには成文化はされていないが 確固とした約束事はあった
それは 聴衆は何人も その霊に決して触れてはいけない と云うものだ
交霊会はヴィクトリア時代の貴族たちによって
会食後の余興として盛んに楽しまれ広まった
エクトプラズム/ectoplasm1893エーテル体の視覚化
仏シャルル・ロベール・リシェ Charles Robert Richet (1850 – 1935)
アナフィラキシーの研究でノーベル生理医学賞1913)
物質化現象 空中浮揚 ラップ現象 は死者との交霊であるとみなされた
このパフォーマンスは 観衆の大きな期待
それに応える交霊者の芝居じみた演出を創り出す
ところでこの当時の心霊主義は 大命題 死後の世界はあるのか?
ヴィクトリア時代の探求者の問に応え得るものではなかった
その問の答えを出すために より科学的/写真 電波 を利用した新たな挑戦が行われ
この科学的オカルト認識により 黄金の夜明け団は 神秘主義の歴史に参入する
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
意訳を試みております
第1章
黄金の夜明け団は31/03/1888 ロンドンにて発足
当時は オカルトが社会現象となっており それが最も盛んな時期であった
その発端は1848年米のフォックス姉妹にみる
それはまたたくまに西欧人を虜にする
31/03/1848 フォックス姉妹は深夜 自宅 Hydesvilleで不可思議な音を確認する
所謂ハイズビル事件 の始まりである
その音は数か月に渡り鳴り続け
そして姉妹は符号を介し霊との交信が可能であることを公にする
そのフォックス姉妹はマスコミを巻き込み
学術的調査までも行われた
フォックス姉妹は ‘medium’ 霊媒師/故人の霊と交信が出来る者
の名を得 心霊ブームを巻き起こした
この動きはすぐさま西欧諸国に広まり
新宗教或いは新しい倫理哲学も生み出す
(例;アラン・カルデック
(仏Allan Kardec 1804 – 1869 のSpiritism/スピリティズム 心霊主義)
そして近代神秘主義は
交霊会/霊存在を聴衆の前に顕すパフォーマンスを引き起こす
当時の実施方法は現在よく知られる交霊会の模様と同様である
そこには成文化はされていないが 確固とした約束事はあった
それは 聴衆は何人も その霊に決して触れてはいけない と云うものだ
交霊会はヴィクトリア時代の貴族たちによって
会食後の余興として盛んに楽しまれ広まった
エクトプラズム/ectoplasm1893エーテル体の視覚化
仏シャルル・ロベール・リシェ Charles Robert Richet (1850 – 1935)
アナフィラキシーの研究でノーベル生理医学賞1913)
物質化現象 空中浮揚 ラップ現象 は死者との交霊であるとみなされた
このパフォーマンスは 観衆の大きな期待
それに応える交霊者の芝居じみた演出を創り出す
ところでこの当時の心霊主義は 大命題 死後の世界はあるのか?
ヴィクトリア時代の探求者の問に応え得るものではなかった
その問の答えを出すために より科学的/写真 電波 を利用した新たな挑戦が行われ
この科学的オカルト認識により 黄金の夜明け団は 神秘主義の歴史に参入する
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
2017年04月10日
鑑賞 マシュー ボーン 「赤い靴」01
写真はパンフレットより 稽古風景
鑑賞 マシュー ボーン 「赤い靴」01
マシュー ボーンMatthew Bourne (1960-) の「赤い靴」
彼の物語を そのパンフレットより観て参りましょう
僕は映画「赤い靴」を思春期に鑑賞し
魔法と美に溢れた作品創造の為 人生をかけ情熱を注ぎ込む
そんな人々の描写にとても心打たれた
芸術とは戦うに値する 例え命を失っても?
とてもメロドラマ仕立てであったが
信じるに足るだろうか と疑問を覚えたことを思い起こす
芸術創造 それは魅力とロマンに満ちた宇宙/世界
人生よりももっと大きな人格が宿っている
そして 実は私の求めて止まぬものであった
我々の「赤い靴」人生において芸術しかない をテーマとする
マイケル・パウエル Michael Latham Powell (1905 – 1990) は云っている
「赤い靴」とは 『芸術に一生を捧げる』 偉大な力であると
芸術は人生を変え得る その大いなる歓喜の為に犠牲を厭わない
と私は信じる
確かに「赤い靴」は若い芸術家のラブロマンスだ
バレリーナヴィクトリア・ペイジ と 音楽家ジュリアン・クラスター
互いへの愛と 芸術家としての成功への誘惑 との闘いの物語
しかし 興行師ボリス・レルモントフに象徴される
偉大な芸術家は人間的愛に溺れはしない
彼は 芸術は宗教だと観ている それは彼の強さであり不運なのだ
二人の愛も 夫々の芸術への愛と成功なくしては成り立たなかった
二人が互いを愛でる間に 芸術家としての成功が息を潜めるや
彼らの愛も覚束なくなる
大切な何かを見失い掛けている事に戸惑うではないか
今も昔も変わらず タレント発掘番組は盛んだ
スターを求め スターを夢見る人々は 古今東西を問わない
しかし キャサリン・ヘプバーン Katharine Hepburn (1907 – 2003) が
スターの資質とはと聞かれ
『だって私は持って生まれたのだもの』 と応えたのを思い出す
なんと不確かな しかし 我々はそれに取りつかれている
「赤い靴」は それを垣間見せる
創造に人生を掛ける 芸術家の生き様を明かします
と たのしい演劇の日々
2017年04月09日
鑑賞 マシュー ボーン「赤い靴」00
写真は今公演劇場パンフレットです
鑑賞 マシュー ボーン 「赤い靴」00
マシュー ボーンMatthew Bourne (1960-) の「赤い靴」を
ブリストル ヒッポドローム劇場で観て参りました
アンデルセンHans Christian Andersen (1805 – 1875) の童話「赤い靴」
を基に 映画「赤い靴」 が1948年に創られ
そこから今回の作品は生まれ出ました
2幕の作品です 1幕は映画の再現となっておりました
Lez Brotherstonのセットは 吊り下げた大幕を半回転させることで
幕の内側/舞台袖 幕の外/観客席 を舞台上に創り出しております
2幕目は 映画より3か月 6か月後を追いながら
作品に込められたテーマを語ります
劇団の興行師ボリス・レルモントフ は
実在したロシアの大興行師 セルゲイ・ディアギレフ
「天才芸術家を発掘する天才」の異名を持ちます
Sergei Diaghilev( 1872- 1929)がモデル と言われております
そう致しますと
このバレエ物語がより一層面白く見えて参ります
天才作曲家/少女の恋人ジュリアン・クラスター は
イーゴリ・ボリソヴィチ・マルケヴィチ
Igor Borisovitch Markevitch ( 1912 – 1983)
ディアギレフの恐るべき子供たち の一人
セルゲイ・セルゲーエヴィチ・プロコフィエフ
(Sergei Sergeevich Prokofiev(1891 - 1953)もその一人です
アンデルセンは少女として描いておりますが
ヴィクトリア(ヴィッキー)・ペイジを
ディアギレフ より最も寵愛を受けた ダンサー 振付師の
ヴァーツラフ・フォミッチ・ニジンスキー
( Vaslav Fomich Nijinsky 1890- 1950)がより重なります
パンフレットを見ますと マシューボーンはインタビューにこう応え
アンデルセンの物語で この赤い靴は
一度履いてしまうと 踊り続ける以外にない
少女は足首を赤い靴ごと切り落とすが
彼女の足首から下を付けたまま 赤い靴は踊り続け
少女を懺悔へ 死へと誘う
人間を虜にする虚栄心という罪と其れへの死をもっての贖い
キリスト教教義を書いている
ところで この赤い靴の意味するものを
人間を 芸術家を 創造へと導く偉大なる力 と読み解きました
次回へ続きます
と たのしい演劇の日々
2017年04月08日
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」03
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」03
ピアのカメラ演技ワークショップは モノローグへと俳優を導きます
ワークショップ案内によりますと
モノローグと対話を通し
多次元の人間
思考創造
記憶
キャラクター 自身
与えられた物語との関係 を観てゆく
とありました
スタニスラフスキー
Konstantin Stanislavski (1863-1938)の問いを再確認いたします
と云いますか 役創りのベースとして身体に定着しておりますので
シーン 台詞 役の刺激を受け取るや その様に俳優は自ずと反応致します
俳優は無意識の内にスタニスラフスキーの質問に応え 役が容となって現れます
まるで 役が異次元より俳優の身体へと降り立つようにさえ覚えます
今回の様に 瞬時に役を演じなければいけない時などは
色々な刺激を 思考を伴って受け取る間もありませんので
現れ出た役の容に身を任せ演じます
ピアは台詞を聞かせる対象/モノローグですが
特定の相手に話かけております
その特定の相手をカメラの脇 先に置き(他の俳優陣が手伝います)
俳優はその対象に向かって語り掛けます
たったそれだけの事の様に思えますが その些細なようで
実はこの語りの対象を判然とさせることで
俳優の演技はより自然で真実へと大きく進歩するのでした
Brigid Panetの台詞を容易に覚える為のワークショップで必ず為される
[指差し確認] を彷彿とさせます
過去記事 演技の訓練「台詞の覚え方」2013/4/11,8/27,9/8,9/27
俳優はシーン創りに望むとき 与えられた物語 環境に対して
子供の様に信頼と 愛をもち 心を開き 喜んで刺激を受け止めます
それにより良い結果/作品が現れることを知っているからです
それにしましても 短時間で台詞を入れる作業は全く容易ではありません
苦手意識が足を引っ張り 益々弱気に付けこまれる次第です
と たのしい演劇の日々
2017年04月07日
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」02
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」02
ピアのカメラ演技を続けます
続いては キャラクター創りを観て参ります
ワークショップ案内によりますと
モノローグと対話を通し
多次元の人間
思考創造
記憶
キャラクター 自身
与えられた物語との関係
を観てゆく とあります
単純で短い対話を相手役と組み
その際 二人の関係を書いた紙きれを与えられ
その様にカメラの前で演じます
その台詞とは
A: おはよう
B: おはよう
A: 気分はどう
B: 最高
A: 勿論
B: 朝ごはん何にしよう?
A: 何でも
B: 卵焼こうか
A: いいね
B: 今日も仕事?
A: 行かなきゃ
B: あぁ
A: 家に居て欲しい?
B: あなた次第よ
紙切れに書かれた二人の関係を構築する為に
スタニスラフスキー
Konstantin Stanislavski (1863-1938)の質問を参考にしながら
我々は夫々だれであるのか?
何処にいるのか?
何故此処にいるのか?
何の目的で 此処にいるのか?
此処で何をしようとしているのか?
等を相手役と話し合い筋立て/物語の軸を創ります
与えられた時間は短いですから
あれこれ考慮する間もなく カメラの前に立ち演じます
経験のある俳優ならば
関係性の紙を受け取った時点でその物語は発動を始めます 更に
スタニスラフスキーの質問を受け
より鮮明に自身が演じる役は存在として露わになるのです
それに身を委ね
シーンは一気に最後の台詞へと向かい流れてゆきます
まだ経験の浅い俳優は どうしたものか?と迷いが役に現れます
そこでピアは
関係性をカメラ画としてハッキリ映し出す
ある行動を俳優に指示します
俳優は言われた通りの所作を付けてみます
と 見事に 二人の関係図が体現され
台詞は只一気に仕舞まで流すだけでよい
ことが判明いたします
恐らく 当の俳優たちは何を演じたのか解っていないかもしれません
がシーンをモニターで再生してみますと
物語は鮮明に描かれております
俳優の演技は観客が物語る切っ掛けです
次回へと続きます
と たのしい演劇の日々
2017年04月05日
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」01
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」01
ピアはカメラ演技を研究しております
なので Lee Strasberg1901-1982のメソッド演技
で役創りをする方だと思いましたら
スタニスラフスキーKonstantin Stanislavski (1863-1938)
に演技の基礎を置くのです
その技法を基に俳優をカメラ演技へと導きます
スタニスラフスキーの6っつの質問
1 .私は誰? Who?
性別 年齢 家族 友人 仕事 等
役の人間像を台本を基に作り上げてゆきます
2. ここは何処? Where?
台本を基に シーンと役とが関わる場所を特定します
3. それは何時の事? When?
台本を基に シーンと役が関わる時間を特定します
4. 何故ここにいるのだ?why?
台本を基に 役がシーン上に現れる理由を特定します
5. 何の目的があってここにいる?
what do you want to?
台本を基に 役がシーン上に現れる目的を特定します
6. どの様してその目的を成そうとしているのか?
How do you want to?
台本上に書かれております
参加俳優は皆 演劇学校で学んでおりますので
軽く確認のためにピアは言い添えました
そして 夫々自己体験を語ります
ワークショップの最初に自己体験を物語る課題を持って参りますのは
役に生活感を与えるスタニスラフスキー6つの質問
それが意味するもの
それにより如何に人間存在と行動を深く理解し得るか
を意識に上げる為であります
夫々 自分物語を語り終えましたら その中より一つの話を選び
それを 自らに置き換えて 物語るのです
最も一般的で共感の持てる話が選ばれました
自らの体験と重ね合わせ 共通テーマを見出し 夫々が再話します
勿論 カメラの前でです
単に 基本の物語をなぞるだけの俳優もおりましたが
自身の似た体験を物語る俳優もおりました
皆が語り終えた後 カメラを再生し確認致します
勿論 自身の体験を引き出した俳優の語りの方
圧倒的に観応えがあります
次回へと続きます
と たのしい演劇の日々
ピアはカメラ演技を研究しております
なので Lee Strasberg1901-1982のメソッド演技
で役創りをする方だと思いましたら
スタニスラフスキーKonstantin Stanislavski (1863-1938)
に演技の基礎を置くのです
その技法を基に俳優をカメラ演技へと導きます
スタニスラフスキーの6っつの質問
1 .私は誰? Who?
性別 年齢 家族 友人 仕事 等
役の人間像を台本を基に作り上げてゆきます
2. ここは何処? Where?
台本を基に シーンと役とが関わる場所を特定します
3. それは何時の事? When?
台本を基に シーンと役が関わる時間を特定します
4. 何故ここにいるのだ?why?
台本を基に 役がシーン上に現れる理由を特定します
5. 何の目的があってここにいる?
what do you want to?
台本を基に 役がシーン上に現れる目的を特定します
6. どの様してその目的を成そうとしているのか?
How do you want to?
台本上に書かれております
参加俳優は皆 演劇学校で学んでおりますので
軽く確認のためにピアは言い添えました
そして 夫々自己体験を語ります
ワークショップの最初に自己体験を物語る課題を持って参りますのは
役に生活感を与えるスタニスラフスキー6つの質問
それが意味するもの
それにより如何に人間存在と行動を深く理解し得るか
を意識に上げる為であります
夫々 自分物語を語り終えましたら その中より一つの話を選び
それを 自らに置き換えて 物語るのです
最も一般的で共感の持てる話が選ばれました
自らの体験と重ね合わせ 共通テーマを見出し 夫々が再話します
勿論 カメラの前でです
単に 基本の物語をなぞるだけの俳優もおりましたが
自身の似た体験を物語る俳優もおりました
皆が語り終えた後 カメラを再生し確認致します
勿論 自身の体験を引き出した俳優の語りの方
圧倒的に観応えがあります
次回へと続きます
と たのしい演劇の日々
2017年04月02日
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」00
写真はWEB/stephenbealより拝借いたしました
演技訓練 Pia Rackmanの「カメラ演技と語り」00
ピア/piarickman.comは英国 ファインランドを拠点に
演技指導 映像作品アドバイザー プロデュースをやっています
今回参加した俳優はお若い方々ばかり でしょうか?
ワークショップ案内に 映画作品より/但し演じたことのない役 モノローグ と
自身の物語 を事前準備してくるようにとありましたが
読まないのでしょうか 忙しいのでありましょう どなたも準備なさっていない
しかもです
主催者側の不案内のせいだと言い張ります
アクターズセンターに顔を出す俳優さんの中には
自身を売り込むのを目的としている方も多くいるのです
講師たちの大半は 英米 映画演劇業界と繋がりを持っておいでです
講師の名と業績でワークショップを選び
内容を二の次にする俳優を大勢見かける模様です
ピアは苦言を呈しておりました しかし
個人の物語は誰でも直ぐ その場で思いつき語れますし
映画用モノローグなど アクターズセンターに在庫はたくさんある訳ですから
その中から 2011年封切りの『ラブアゲイン/Crazy Stupid, Love』
タガの外れたハンナ エマストーン/Emma Stone
ジゴロのジェイコブ ライアン/Ryan Gosling に迫るシーン
(この映画が『La La Land』 へこの二人の俳優を導き 映画ファンを沸かせたのです)
のコピーを俳優たちに手渡し
昼食後には その台詞を空覚えしカメラ撮影を試みます
しかしまず手始めは 自分語りから
その内容は次回へと続きます
と たのしい演劇の日々
2017年03月27日
観劇「Ugly lies the Bone」ナショナルシアター/National theatre
作 Lindsey Ferrentino
演出 Indhu Rubasingham
主演 Kate Fleetwood
“Beauty is but skin deep, ugly lies the bone.
Beauty dies and fades away, but ugly holds its own.”
タイトルはアインシュタインの名言より
美は皮膚の深奥に 醜さは骨に宿る
美はいつか死に絶える 醜悪さは凝り固まり居座る
2017年 英国デビュー Lindsey Ferrentino
(ニューヨーク在米劇作家)の新作です
米婦人兵 ジェス Kate Fleetwood(英俳優) アフガン着任中に重度の熱傷を負い帰還
生まれ故郷 かつてNASAの宇宙基地 現在は面影もありません
そして宇宙基地で働いた住民たちが ひそかに暮らしております そこへ
最新のバーチャルリアリティー精神療法の施設が導入されました 目的は
帰還兵たちへのPTSD治療です 実際に行われており
重度熱傷による痛みを軽減するプログラムが実施され モルヒネよりも副作用がなく
痛みを軽減できるという結果をだしているのだそうです それを基に書かれた戯曲です
ナショナルシアター/リッテルトン 890名収容の劇場
ステージはスノウボードのコースの様にカーブの掛かった壁面を設え
そこにジェスが体験しているバーチャルな空間が投影されます
数々の賞を得ている米国の戯作家 Lindsey Ferrentino 英国デビューなのであるが
ジェスを取りまく人々 妹 母 恋人 友人たちは とてもありきたり むしろ愚か
とでも言いましょうか 可哀そうなジェスを労わるも深くは関わらない と描かれております
ジェスを演じる俳優は 特殊な身体表現を専門とする舞台振付師につき
重度熱傷による不自由な身体を表現するのでありますが また もちろん役作りに当たっては
実際に罹患者と接触し その人生を学び 役に臨んだでありましょう しかし
残念ながら 真似ているだけの演技でありまして
観客には痛みが お粗末な程度にしか伝わってこないのです おそらくそれは
演出Indhu Rubasingham(スリランカの両親を持ちロンドン生れ 演出家) が
観客に何を見てもらい 何を伝えたいのか 米人観客向けに掛かれた作品を
英人観客に魅せるには その文化 思考 人間模様の違いを明確にして
英人観客向け演出を練り上げるのは必須のことなのだすが
米文化を其の儘移してみました様に見える演出でありまして 果たしてその共同作業から
新たな種は見出せませんでした
更に 男優陣のなんと存在の薄いことか
勿論女性も戦地前線へと出向くアメリカの劇作でありますから
それでよいのでしょうけれど 脇役をどうしてこうもお粗末に描く必要があったのでしょう?
ジェスの味わっている苦痛 軍人と市井の人のギャップの大きさを描きたかったのでしょうか?
どちらも現実でありながら 余りに違う世界が同時にこの地球上に存在する事実
時に どちらがバーチャルで どちらが現実なのであるかと混乱さえ覚える
そのギャップの大きさ
その儚さを描きたかったのでしょうか?
『醜悪さは凝り固まり居座る』
アインシュタインはこの言葉に何を込めたのでありましょう
昨今 英舞台は 今回の様に映像を盛り込んだ演出を多く見かけますが
人間の想像力が衰退するのではと危惧いたします
さてそんな中 姉の看病に勤める妹役のOlivia Darnley は
存在感ある良い演技で 今後 眼が離せない俳優の一人であります
と たのしい演劇の日々