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2021年10月23日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 92

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 92
Chemistry52 Not printed

“本当に大切なものは目には見えない(『星の王子さま』) ”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”

“化学結合とは、原子が安定性を求めて閉殻構造を獲得する反応であり、それ故に 
     原子は分子や結晶などを作り存在す”

“物質中での原子と原子の結び  結合の力は 粒子間の電子の授受による”    

  有機反応の基本的な考え方:分子は頑張らん 楽な方へしか移動せん
化学反応は基本的にエネルギーが低い方へしか進まん。
反応する場所に邪魔ものがあれば、それを避けて反応する(orそもそも反応せん)、
反応に大きなエネルギーが必要なもの(脱離しにくい等)場合は、反応せん。
 
共鳴ができる分子の一箇所だけ高エネルギー状態になった時は、すぐにエネルギーを分散し楽になろうとする。
分子は、辛さを周りに広めることで自分は楽をする。
分子は炭素に大きな官能基(ヨウ素基等)がついていると結合が切れやすい。
 つまり 大きな官能基は、手が疲れるからすぐに手放す。
分子が頑張るのは光でシリを叩いて励起する時くらい。

つまり、絶対に頑張らん分子的思考により化学反応(生命)は理解される。 


 organic chemistry

エピステーメーepisteme メタ知構造
Michel Foucault1926 – 84)  哲学的概念。
ある時代の社会や人々の生産する知識のあり方を特定付け、影響を与える、知の「枠組」。

人間は歴史的存在である。
人、特に知的な人が陥りやすい陥穽は、自分には何でも分かっている、見えているという思い込みである。
人は見たいものしか見ない、見えない。
人の心は馴染のないもののショックを和らげるために
馴染みあるもの、ありきたりのものの姿形に寄り掛かる傾向を持つ。
人間は見たいものしか見ないし、見えない。
新大陸アメリカへ行った16世紀のヨーロッパ人について、
蓄積された記憶が眼前の対象を覆ってしまい、見ているものの「ありのまま」の姿を歪め、
記憶と融合して別のものにする とある。
過去の記憶が、現に見ているものを素直に受け取ることの邪魔をする。


「私」とは 億年を掛けて粒子が良く練り上げた有機化学反応である 


ものごとは小さくなればなるほど不確定になっていく。
最も確実と思える物質の世界でも、原子までは確実と思えるものが支配していたが、
素粒子になると不確定原理となって、光は波でありかつ粒子である 想像を超える世界だ。



量子力学の考え方「なぜ電子を共有すると結合ができるのか」 。

H分子は2個のH原子からできている。
H原子は電子を1つだけ持ち、それは 1s 軌道に入っている。
2個のH原子が十分に離れていれば、
それらは互いに何の影響も及ぼさず、電子はそれぞれの 1s 軌道にそのまま収まっている。

ところが、2つの水素原子が近づくと、2つの 1s 軌道は互いに混ざり合い、新しい 軌道を作る。
『2つの軌道が混ざり合うと 必ず2つの新しい軌道ができる』。

一方の軌道は元の 1s 軌道よりもエネルギーが低く、もう一方の軌道はエネルギー が高い。
エネルギーの低い方を「結合性軌道」、高い方を「反結合性軌道」と呼ぶ。

「2つの軌道が相互作用して新しく2つの軌道ができる」ことを明示するため、
分子軌道/MOダイアグラム 図を示す。
これらの軌道は、分子の中の電子の状態を表すものなので、分子軌道と呼ぶ。

分子軌 道に電子が入るときも、3つの原理
(aufbau principle)
(Pauli exclusion principle)
(Hund’s rule)」が適用される。

H分子の場合、2 個の電子が、エネルギーが低い「結合性軌道」に対を作って入る。
結合性軌道のエネル ギーは元の 1s 軌道よりも低いため、
2個の電子が結合性軌道に入ることで全体のエネ ルギーは低くなる。

エネルギーが低い とは 安定である と同じ意味なので、H分子は安定に存在することができる。
また、結合性軌道の電子は、2つの原子核の間の 空間で存在確率が高いので、
原子核と電子の引力によって2つの原子核が近い距離に保 たれることがわかる。
これが、量子力学に基づいた共有結合の説明である。

H分子では、新しくできた2つの軌道は、結合軸のまわりに軸対称に分布している。
このような結合を「σ結合」と呼ぶ。

「安定である」を「安定する」と言ってはならない。
分子/原子を論じる 際「安定」は必ず「状態」を表し、「動作」を表すことは決してない。


と たのしい演劇の日々

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 91

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 91
Chemistry51

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”




 organic chemistry

第一次世界大戦で大脳の後頭葉に損傷を負った兵士・シュナイダーは、
多くの解剖学者、心理学者や精神科医などに研究された有名な事例となった。
彼は視野狭窄、色覚異常、形態の把握困難などの視覚の障害が注目された。
生活のなかで具体的な意味をもつ身体行動は難なくできるが、
生活にとって意味をもたない抽象的振る舞いをすることができない。
たとえばコップの水を飲むことは自然にできるが、空のコップで水を飲む真似をすることはできなかった。
彼の知覚する世界には、対象の表情といった詩的雰囲気はなく、散文的なものであった。
表面的であって奥行きというものはなかった。



M.ポンティMaurice Merleau-Ponty, 1908 – 61)  曰く
「奥行は私の視線のもとで生まれる。私の視線は何かを見ようと試みるから」。

「見る」とは己を現す存在者のなかに入ることである。
そうでなくては単に眺めているだけである。
「ある対象を見るとは、その対象のなかに住みつくことであり、対象と一心同体になる事である。
そこから他の一切の事物を、それら事物がその対象の方に向けている面に従って捉えることでもある。
各対象は他の一切の対象の鏡なのである」



マルシャンAndré Marchand 1907 – 97)曰く
「森の中で、わたしが森を見ているのではないと感じた。
樹がわたしを見つめ語りかけているように感じた。
画家は世界によって貫かれるべきなので、世界を貫こうなどと望むべきでないと思う」

「完全な観察者というものは、
想像力を沈黙させておき、しずかな心で、自己の判断をさしひかえ、
現にはたらいている一つの感覚の報告するところを待っていることができる人である」


ある対象を見るとは、その対象のなかに住みつき、対象と一心同体になる事である。
観察者のまなざしは対象の一面しか見ることができない、対象をその十全性において見ることはできない。
入って行かなければ十全には見えないのである。
「見る」とは対象をそれ自身によって語らせ,またそれに答えることである。
そのとき対象はなにひとつ隠さず、いわば全面開陳である。


ミシェル・フーコー(Michel Foucault ,1926 – 84) 曰く
「まなざしが沈黙の中で事物の上に注がれるならば、そして、
まなざしの見るもののまわりで、すべてが沈黙するならば、
まなざしは自分自身の真理において完成し、事物の真理に到達することであろう。


【演技】に於けるなまなざしというものは一つの逆説的な特性をもっていて、
ある光景を知覚する瞬間に、ある言葉を聞く。
つまり、【演者】においては、現れ来るものは根源的に語るものなのである」


西洋哲学 キリスト教の基本用語であるロゴスlogos は、言葉を意味することが多い。
「はじめにロゴス(ことば)ありき。ロゴスは神とともにありき。ロゴスは神であった」
(『ヨハネ福音書』冒頭)。
だが、ロゴスは言葉のほかに理性、判断、概念、定義、根拠などをも意味し、
きわめて多義的である。
隠れているものを明るみに引き出すとは、まさにロゴスである



と たのしい演劇の日々

2021年10月22日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 90

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 90
Chemistry50

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する” 
 

 organic chemistry

なんであれこの世に単独で存在する事物はない。
もの(図)は必ずなにか(地)の中にある。
地があってはじめて図は在る、図として知覚される。
知覚される図はいつでも地のなかに在る。
地球や太陽のような巨大な物だって宇宙のなかに、宇宙という地があるから在る、在ることができる。
地球は宇宙という地のなかの図である。

全体という地についての理解があって初めてそこにある特別なものである図に注意がいく。
地があって図が活(い)きてくる。

「見えないもの」が図になるためにはどのような地を想定しなければならないであろう。
地なくして見るすることはできない。
われわれは物(図)だけを見るのではなく、周囲(地)との関係において見る。

“見る”には2通り、待機状態と達成状態とがある。
前者はなにかを視野の周辺に保ち、いつでもそれを凝視しうる状態に置くことで、
後者は待機の状態にあるものを実際に凝視する、視線を全体のうちの一部に据えることである。
その部分は図となって自己を主張し、他の部分は地となって周縁での待機状態に退く。

見るとはまた己を主張する図の世界に入り込むことで、
見られる図は常に他のものである地の最中に在り、他のものは図の背後に身を隠す。

だまし絵、たとえば老婆(A)と若い女性(B)あるいは杯と見つめあう2つの横顔などがある。
その絵では、同一画面に2つ以上の図があり、片方(A)が見えているとき、他方(B)は見えない。
だからだまし絵という。
最初はなにも見えないが、見ているうちになにか(A)が意味ある図として見えてくる。
しばらく見ているうちに今度はまったく違う図(B)が見えてくる。
対象は周りが地とならなければ図となることはできない。

どちらかが図になれば他は地となり、A・B両方とも図となることはない、地がないからである。

何かが見えているときにはそのために見えなくされている何かがある。しかし、
両方とも地となってなにも見えないことはある。

なにかが図になって地から浮き上がらないので何があるかはわからないから。

何かが在るようだけれども見えない、光は捉えているが 脳に術はない。



と たのしい演劇の日々

2021年10月21日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 89

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 89
Chemistry49

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”


 organic chemistry

ベルクソンHenri-Louis Bergson, 1859 – 1941)  『物質と記憶(1896)』)
「精神活動にはさまざまな高さの調子があり、わたしたちの精神活動は、生活への注意力の度合いに応じ、
行動に近づいたり遠ざかったりしながら高低さまざまに演じられている。
見るにも深かったり浅かったりさまざまなレベルがある。
ベルクソンは直観を哲学の方法とした。
直観とは対象を外からではなく内から、内に入って見ること。
直観は言葉と相いれない。
言葉はそれを発することによって、その発せられたものを分かった気にさせる。
直観は正しいことも正しくないこともある。
正しい直観を得る、本当に内に入るための能力を身に着ける。

普通の人の普通のものの見方は「物は見える通りに厳然としてある」というもの。
その対極は、それは希望的観測にすぎない、妄想である。
見えているものはすべて心が生み出した幻にすぎない。
そして真相為るものもあり。

バークリーGeorge Berkeley,1685 – 1753) 曰く
「存在するとは知覚されること、あるいは知覚することである To be is to be perceived  」
見える通りと妄想の間で人は物を見ている。たとえば、人間が知らないものは存在しない、無い。
もし人間がいなかったら宇宙の存在を知らない。その場合この宇宙というものはない。

ベルクソンは
 外的世界というイメージ集合体のなかで
真実に新しいものは生命体というわたしの身体の介在によってしか生みだされることはない。
その身体はさまざまな外的事物を動かすための一個の作用中心である、と言う。
物自体からの触発によって与えられる感性的直観をもとに、その素材に形式を与える。

「見えない」とは、どういうことであろうか。
なにかが見えるためには、見る対象があってそれを認識する主体があること。
見えないとは、
1.在るはずの対象が実はないかハッキリしないか。
2.在るはずの主体が確固としていない、あやふやである。
3.主体と対象をつなぐ経路が機能不全に陥っている。

見えないものが見える、とは

プラトン曰く 
至高の存在(神から非存在すれすれの被造物まで)この世はあらゆる階層(境位)のもので充満している
 階層は、見えるものと見えないものに分裂している、ということもできる。
人はだれでも見るが、階層のどのあたりまで見ることができるようになるかは人それぞれである。

眼に頼りすぎる者にはあまり見えない。
何をどのように見るかは各人各様、各人の能力に応じる。
その人の器量に合ったようにしか見えない。
全体を見る者には部分は疎かになる。
部分にこだわる者は全体に意が向かわない。
なにかを得ればなにかを失う。なにかを失えばなにかを得る。
だれよりもよく現実の世界を見ることのできた者(スフィンクスの謎を解いたオイディプス)には
深層の世界が見えず、
それを見ることができた者(ティレシアス)は実は盲目であり現実を見ることはできなかった。

見えないものを見るという場合、
まず見えないと見るの定義をハッキリさせておくことが前提であるが、とりあえず 
見えないものとは 
在るけれども見えないもの と 無いので見えない の二群に大別できる。
ともに見る側の問題であるが、前者は人の能力に左右されるが後者はそうでもなくて性能の問題である。
形あるものは誰でも見ることができる。
隠れていて見えないものに関してはどうであろうか。
たとえば樹木や草の根。
目には見えないけれども経験を積んだ庭師には地上の姿から地下の根の状態を的確に見うる。
あるいは、空を飛ぶ鳥はなにゆえに飛びなにが飛ばせるか、
庭に咲く花はなに故に咲き何が咲かせるか。
科学的に見ることも、詩的に見ることも、誤って見ることも可能である。
「見えているのに誰も見ていないもの」を見えるものにするが一流の芸術である。
それは詩であると言ったのが長田弘であった。

登竜門を上って龍になった鯉のように、思い切って越すに越せない壁を超す、
人は見えない物が見える通路を見いだす域に達する。
超せなくても裂け目を見つけそこから壁の向こうが見える。

フィヒテJohann Gottlieb ,1762 –1814)  曰く「見るは、自己を見る、として見る」
どのような眼も見なかったものを見、どのような耳も聴かなかったことを聴く者がいる。
そういう者はもはや問うことをしないで聞きまた見る。
われわれが生きて行くということは、見えないものが見えるに近づくことである。
だが、何を見る。自分自身をである。

われわれは日々を生きるために見る。
物(対象)も人も、それぞれ多層構造をなしている。
人間は容器に喩えられ、浅深は別にして底というものがあり、
底は深めることができ、深まると自我がだんだん薄れてきて対象の見え方も深まる。

意識の多層構造モデルで、
一番浅い表層意識として位置づけられるのは、日常的意識の眼に映った事物であり、
はっきりした輪郭線によってそれぞれ他から区別されている。
それらの存在単位は時空的に自立して、個々別々のものとして知覚される。
AはどこまでもAであり、BはあくまでもBである。
深層意識が開かれると、AB間の区別は次第に薄れ混沌としてきて存在の相互抵抗はなくなって、
最終的に「一・空」となる。
そこでは、事物のもつ個性が薄れ個性を超えた本質が見えてくる。



と たのしい演劇の日々

2021年10月17日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 88

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 88
Chemistry48

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”



 organic chemistry

ものの本性は、隠れることを好む
(Heraclitus of Ephesus 535–475 BC ギリシャ自然哲学〔断片集.122〕)

ものは「在る」から見えるか、「見る」から在るか。いわゆる主観・客観の認識問題であり。
在りさえすれば誰にでも見えるか、見る力を磨かないと見えないか。
どちらをとるかは、その人の考え方の根本にあることである。

認識の起原については、経験論と合理論とがある。
認識の源泉を経験に求める経験論は「在るからみえる」、
すなわち「先にものがあって、それを見るから認識が成り立つ」。
反対に、認識は経験に基づかない先験的(アプリオリ)な理性的なものであるとする合理論は
「見るから在る」、すなわち「見る能力があるからものを認識できる」。

「もの」を芸術における美と言い換えると、
美の成立根拠について、主観主義的美学 と 存在論的美学 が対立するものとしてある。

前者に立つカントらの立場は、美の成立根拠を主観の自由な遊びにある、
「見るから在る」である。それに対し、
ハイデッガーに代表される後者は、
美・芸術とは「もの」の真理が作品化されたものであるとする。
在るもの・真が迫って来るから在るである。

物世界は表象であるという面の他に「世界は私の意志である」というもっと根本的な面をもつ。
世界の根底には物自体が潜み、それを見るための終わることない努力があるのみである。

あらゆる客観(現象)は意志の現れとして眼に見えるようになったものである。
(他方、物自体は妄想に過ぎないという考えもある)。
物自体が有る、無いは考え方の問題で解決はつかないと思うが、
自分はどう考えるかは大きく重要な問題である。
私がいるから物があり、物が在るから私がある。人間すなわち眼が先である。

在るから見えるではない。在っても見えないものはいくらでもある。
なにかが見えたらそのことによって隠されているものがある。

これはなんだろうと眺めているうちは ただ見ている「ふりをしている」だけである。
見る準備があるときにのみ物は見える、すなわち見るから在る、在るから分かる。
もちろん在るのでなければ見えない、そういう前提のもとで「見るから在る」。

“在るから見える”ではなく、“見るから在る”にくみするべきか?

と たのしい演劇の日々

2021年10月14日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 87

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 87
Chemistry47

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”

“化学結合とは、原子が安定性を求めて閉殻構造を獲得する反応であり、それ故に 
     原子は分子や結晶などを作り存在す”

“物質中での原子と原子の結び  結合の力は 粒子間の電子の授受による”    

  有機反応の基本的な考え方:分子は頑張らん 楽な方へしか移動せん
分子が頑張るのは光でシリを叩いて励起する時くらい。
絶対に頑張らん分子的思考により化学反応は理解される。 

 organic chemistry

合成計画/デザイン

特定の化合物を合成するための一連の反応を考えること。
合成計画を立てるためには、これまでに学んだすべて の反応を思い出し、
 求める化合物を合成するのに適した反応を選択する必要がある。

有機化学反応の多段階合成について
「なぜ起きるのか」「どのように反応が 進行するのか」「何が生成するのか」を個別に学ぶ。
同程度に重要なのは、
「これらの反応をどのよ うに組み合わせれば、望みの化合物が合成できるか」という考え方。


逆合成解析 retrosynthetic analysis」;
目的化合物から逆向きに反応をたど っていく
合成計画を立てるために極めて有効な方法。

目的物質は  3-ヘキサノン とすると これはケトン。
今 までに学んだ反応で、ケトン を生成するものは何があるだろう?。
それは、アルキン の  水和反応 だ。
3-ヘキシン の水和により  3-ヘキサノン が生成するから
「3-ヘキサノンを合成するための 出発物質」として適している。
これを、二重矢印(有機化学は、二重矢印で逆合成を示す) を 使って記述

3-ヘキサノンを生成する可能性のあるアルキンには 2-ヘキシンも考えられる。しかし、
2-ヘキシンは、水和により  3-ヘキサノンと 2-ヘキサノンの混合物を選択性なく与える
ので、出発物質として適さない。
目的物質が「主生成物」として選択的に得られるのでない限り、
 出発物質として選択してはいけない。

次に、3-ヘキシン を合成するための反応を考える。
出発物質として 1-ブチン が与えられているので、
1-ブチンの アセチリド と ブロモエタ ンの反応を思いつくのは難 しくない筈。

逆合成を続けて、条件に合う出発物質にたどりついたらば、
そこから逆向きにたど って合成計画を書き出せばよい。
このとき、必要な反応剤や触媒などを書き加える。





と たのしい演劇の日々

2021年10月09日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 86

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 86
Chemistry46

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”

“化学結合とは、原子が安定性を求めて閉殻構造を獲得する反応であり、それ故に 原子は分子や結晶などを作り存在す”

“物質中での原子と原子の結び  結合の力は 粒子間の電子の授受による”    

  
 organic chemistry

. 立体化学stereochemistry

反応物や生成物が立体異性体を持つとき、
反応物のどの異性体が反応しやすいか、また生成物のどの異性体が生成しやすいかを取り扱う化学の領域

立体異性体; 原子の結合の順序が同じで、立体構造のみが異なる異性体。

アルケンに対する付加反応では、反応物が平面構造の sp2 炭素であるのに対し、
生成物が四面体構造 sp3 炭素 のとき、
付加する原子が二重結合平面の「同じ側」から結合する場合と、
「反対側」から結合する場合あり。

「同じ側」から結合する 付加反応;syn addition、
「反対側」から結合する付加反応;anti addition

シン付加、アンチ付加は化学物質への反応の形態を表した用語
これらの付加方法による生成物が「シス体となるか、トランス体となるのか」を判別する。

アルケン/アルキンなどπ結合をもち、電子が豊富にある物質は、その電子を元に求核付加反応を引き起こす。
これら付加反応が起こる際  この結合が切断され二つの原子となり、反応物質に付加される

シン付加が起こる代表的反応 「接触水素化(接触水素添加)」。
 接触水素化反応;
アルケン/アルキン 不飽和結合 π結合をもつ反応性の高い物質に対し、
Pt(白金)、Ni(ニッケル、Pd(パラジウム)などの触媒活性の高い触媒の存在下で水素を付加させ、
アルカンに還元する反応。

このとき、触媒の表面に一度水素が吸着してから反応が発生するため、
物質に対して同じ側から水素原子がつく。
シン付加が起こるときの生成物は、同じ側にその原子が付加されシス体となる。

Picture;

構造が簡単なエチレン(アルケン)への接触水素化の反応式。
1. PtやNiなどの活性の高い触媒表面で、水素分子の結合が切れ、原子として吸着
2. アルケンにおける電子が豊富な部分を元に、求核付加反応が起こる
3. 一連の電子の移動が起こり、最終的にエチレンに水素が付加された、エタン生成
Picture

シン付加 を引き起こす代表の一つ エポキシ化。 
エポキシ化: アルケンなどに対し過酸peroxyacid を加え エポキシ化(エポキシ環.三員環の環状エーテル )epoxide の生成を引き起こす反応。

Picture

アンチ付加;
アルケンなどの反応において他の物質がアルケンに付加される際
 二つの原子中の各々の原子が別の方向からの付加される。
アンチ付加は 物質に対して別の方向から原子の付加反応が起こり、生成物はトランス体。

アンチ付加を引き起こす代表的な反応 アルケンへのハロゲンの付加反応。
臭素の付加反応。

picture

反応により、
シン付加/アンチ付加 どちらも起こ得 生成物は立体異性体の混合物になる。

シン付加 or アンチ付加のみが選択的に起こり、生成物は特定の立体異性体のみを与える。

「立体選択的stereoselective である」;特定の立体異性体のみが生成する反応。
光学活性な触媒を使う等,一方の鏡像体を過剰 につくることができる。
 このように反応機構的には 1紳士服 1 の混合物になるべきなのに,
 なんらかの理由で一方が 過剰になるとき,これを選択的反応と呼ぶ。

アルケンに対する付加反応のうち、カルボカチオンを経由する反応は、立体選択的ではない。
何故なら 中間体カルボカチオンに対し求核剤が反応するとき、
カルボカチオ ン平面のどちらからでも反応できるから。


立体選択的である(カルボカチオンを経由しない)二つの反応

1. ヒドロホウ素化
協奏反応
新しい C–B 結合と C–H 結合は、二重結合平面の同じ側か ら同時に生成するシン付加
ヒドロホウ素化の生成物をアルカリ性過酸化水素で処理してアルコールを得ると、
OH 基はホウ素と同じ位置に結合 得られたアルコールも syn 付加の生成 物 シス異性体

2. Br2の付加
協奏 反応
中間体 環状ブロモニウムイオンが生成る。
2本の C–Br 結合が、二重結合平面の同じ側から同時に生成す シン付加。

次の段階で、Br– が求核剤として背面攻撃。
このとき、攻撃を受けた炭素原子 の立体配置は反転。
その結果、得られる生成物は、最初のアルケンに対して Br2 の アンチ付加したもの。

Br2, Cl2 の付加反応は、
中間体を生成する段階はシン付加で、生成物まで 考えるとアンチ付加。

sp2 炭素に結合している2つの置換基が異なる場合、
 付加反応で生成した sp3 炭素が 不斉炭素になることがある。
エナンチオマーを区別して生成させることは(特別な工夫 を行わない限り)不可能なので、
 生成物は両方のエナンチオマーの1:1の混合物(ラ セミ体)となる。





と たのしい演劇の日々

2021年10月02日

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 85

俳優の錬金術Alchemy of Actor 知覚の哲学Philosophy of perception 85
Chemistry45 Not printed

“本当に大切なものは目には見えない”
  “ 目に見えないところで何が起こっているのかを想像する”

“化学結合とは、原子が安定性を求めて閉殻構造を獲得する反応であり、それ故に 原子は分子や結晶などを作り存在す”

“物質中での原子と原子の結び  結合の力は 粒子間の電子の授受による”    

 

 organic chemistry

現代の有機化学は、quantum mechanics 物理学の手法を用いて、物質内の電子の動きを明らかにする 。
できる限り分子内の電子の動きに注目して、有機化合物の性質や反応 を理解する。
「○○という化合物は××という性質を持つ、 △△ の位置に電子が偏っているため□□の位置と反発し合うからである」というように物質の性質、反応を電子の動きと関連付け理解する。
電子の動きに注目すること によって、有機化学をより深く理解できる。また、電子の動きは無機化合物 においても共通する部分が多い。


有機化学に必須元素の価電子数 

ハロゲン17族原子価7つ  Fフッ素 Cl塩素 Br臭素 Iヨウ素 Atアスタチン

価電子数 1   3   4   5   6   7
元素   H   B  C   N, P  O, S  F, Cl, Br, I

分子中の電子の数を正しく数える為 分子中の原子の電子数を「最外殻電子」「価電子」使い分ける。

・ 最外殻電子outer-shell electron :他の原子と共有する電子対を「2個」と数えたときの電子数。

・ 価電子valence electron :他の原子と共有する電子対を「1個」と数えたときの電子数。
「最外殻電子」は、オクテット則を判定し 分子の安定性を判定す。
「価電子」は、原子がもともと持っている電子の数と等しく、 共有結合を作っても変化しない。
この考え方は「電荷を持つ分子(分子イオン)」 について考えるときに必要。


形式電荷
水酸化物イオン HO– や、アンモニウムイオン NH4+ のように、電荷を持つ分子(分 子イオン)

HO– が –1 の電荷を持っているのは「電子が一つ多い」ためである。
O 原 子の価電子が1つ増えたと考え、ルイス構造( Lewis structure(各原子の最外殻電子を点で表記)を書く。
「価電子が1つ増えた」 ことを示すため、O 原子の近くにマイナス記号を書き加える:形式電荷formal charge。形式電荷とは、原子の持つ価電子の数と、
その原子が「本来」持って いる価電子の数(周期表上の位置で決まる価電子数)の差。

形式電荷を持つ原子は、1つの分子中に2つ以上存在することもある。この場合、
分 子内のすべての形式電荷の総和は、分子がもつ電荷に等しい。また、
分子が電荷を持た ないのに形式電荷を持つ原子が存在することもある
これらの分子では、どの 原子に形式電荷を置くか、選択の余地あり。

Ex, CO3 2– 炭酸イオ ンのルイス構造は、3通りに書ける。
これら構造は、原子の配置は同じ(同じ分子)なのに、電子の配置が異なり 
これを 電子は「非局在化して いる」と呼び 有機化学で非常に重要なトピック。


ケクレ構造Kekulé structure (共有結合の電子対を直 線で示す)は、
有機化学の反応を表す際に最もよく用いられる表記。
正しいケ クレ構造を作るために、
正しいルイス構造を書き、その後共有結合の電子対を直 線で置き換える。
結合線は「そこに電子対がある」と見ること。
有機化学の反応を理解するために、「どの電子がどこに移動したか」を正しく 記述する必要がある。
結合線の位置に「電子対がある」と認識し、多 くの有機化学反応を統一的に理解する。


ローンペアlone pairの存在は、ケクレ構造ですべての価電子を明記すると、簡単に認識できる。
すべての電子対は共有結合の電子対か ローンペアかのどちらかであるが、
ケクレ構造では 共有結合の電子対は直線で表すので、
各原子上に電子対のまま書かれ ているのがローンペアである。

ローンペアの電子は、共有結合の電子よりもエネルギーが高く、化学反応に関与しや すい。
このため、分子中のどの原子がローンペアを持っているかは、化学反応を理解するために重要なポイント。

有機化学 分子構造を簡潔に記述する記法
骨格構造」 に炭素原子の骨格を線で表記
骨格構造を正しく作るには、次の手順で進める。

1.炭素原子carbonの “C” 記号を消す。
2.炭 素に結合している水素原子hydrogenの “H” 記号と結合線を消す。
3.炭素原子の位置がわかるよう折れ線にする。折れ線にしてはいけない場合あり「アルキン」)

骨格構造 注意点。
1、「結合線の両端には必ずC炭素原子があり、その先にはさらにH水素原子がある」

C炭素原子 4つ      C炭素原子 3つ + H
  (pictures)
2.「C炭素原子だけを書いてH水素原子を省略する」は誤記。 必ず、
「C炭素もH水素も両方書 く」か「C炭素もH水素も両方省略する」かどちらかにする。

3、「H水素原子を省略できるのは、C炭素原子に結合している場合のみ」
   ex,  CH3CH2CH2OH ( CH ) + OH
(pictures)


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