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2022年11月05日

板橋宿のなごり(中山道)

中山道六十九次のうち日本橋から数えて最初の宿場である板橋宿を訪ねました。

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■ 板橋宿 ■いたばししゅく
板橋宿という呼び名は実は総称で、上宿・中宿・下宿の3つの宿場で構成されていました。かなり大雑把に位置を説明すると、JR板橋駅付近から都営三田線の板橋本町駅付近までがかつての板橋宿です。一番北側が上宿となりますが、これは中山道の経路で最も京に近いからです。

<JR板橋駅西口>
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板橋駅の西口駅前広場で撮影。この日のスタート地点です。

<国道17号>
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現在の中山道(国道17号)に出ました。旧中山道はこの道の東側です。

<旧中山道>
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かつての宿場らしい雰囲気が漂う場所に到着しました。このまま南北に長い商店街を北に向かいます。

<案内板>
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東光寺・観明寺といった街道沿いの寺院が記されていますが、ひときわ目をひくのは宿場の東側の加賀藩下屋敷ですね。21万坪という広大な敷地です。さすがは加賀百万石。板橋には今でも加賀という地名が残っています。

この日は加賀藩下屋敷跡へは足を延ばしませんでしたが、加賀藩前田家がこの地を拠点としたなごりを少しご紹介します。

<東光寺>
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先ほどの場所から少し南へ戻って東光寺を訪問。ご本尊は阿弥陀如来。現地説明板によれば延徳3年(1491)に入寂した天誉和尚が開山とのこと。歴史ある寺院です。

<宇喜多秀家供養塔>
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境内にある宇喜多秀家供養塔。石塔には秀家卿と刻まれています。関ヶ原で敗れ流罪となったため墓は八丈島ですが、秀家の妻が前田利家の娘であったことから、前田家ゆかりのここ板橋に供養塔が建てられました。

つづいて

<観明寺>かんみょうじ
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創建が室町時代と伝わる真言宗寺院。この山門は、板橋宿お隣の加賀藩下屋敷の裏門が移設されたものと伝わります。

<本堂>
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本尊の聖観音立像は12世紀頃の作とのこと

<境内の稲荷社>
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こちらの稲荷社は、もともとは加賀藩下屋敷内に祀られていました。明治になって遷されたそうです。

加賀前田家との深いつながりが伝わってきますね。せっかく立ち寄らせて頂いたので、観明寺さんの境内の古い庚申塔もご紹介させて頂きます。

<観明寺寛文元年庚申塔>
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こちらが観明寺境内の庚申塔です。寛文元年(1661年)に造立されたものとのことです。

<青面金剛像>しょうめんこんごうぞう
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説明板によれば青面金剛像が彫られたものとしては都内で最古とのことです。


さて
旧中山道をもう少し進みます

<平尾脇本陣豊田家跡>
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下宿(平尾宿)の脇本陣跡。この地はその役割を担っていた豊田市右衛門の屋敷跡です。板橋で新政府軍に処刑される近藤勇が幽閉されていた場所でもあります

下宿を出て中宿へ

<仲宿>
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旧中山道と交差する王子新道を渡って中宿(仲宿)へ

<板五米店>いたごこめてん
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むかしの雰囲気が漂います。この土蔵造りの建物は、築100年を越えており、板橋区の登録有形文化財となっています。もともとは大きなお米屋さんでした。しばらく空き家となっていたようですが、現在は店舗として活用されており、仲宿商店街の人気スポットとなっています。


<遍照寺>へんしょうじ
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天台宗寺院でしたが明治初期に一旦廃寺となりました。のちに復活し、現在は成田山新勝寺末寺です。現地の説明板によれば、宿場だったころ、境内は馬つなぎ場だったそうです。

そしていよいよ板橋宿の本陣へ

<板橋宿本陣跡>
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こちらは注意していないと素通りしてしまいそうな石碑です。ここが本陣跡です。一般のご家庭の入り口と思われるため、かなり遠慮して撮影しました。

<説明板>
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板橋区教育委員会さんの説明によれば、板橋は江戸から近いため、本陣は宿泊より休憩所として利用されていたようです。まぁ日本橋から10q程度ですからね。これと関係して『他宿に比べ小振りな本陣は、宿泊に供することが少ない板橋宿の性格を示しています。』とのこと。納得です。本陣のお役目は飯田家が務めていました
[『』内は原文からそのまま転記]

<ライフストア>
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先ほど本陣跡の石碑は、こちらのスーパーの南側です。この付近一帯が本陣でしたが、明治の火災で建物は失われ、今は何も残っていません。

そして

<中宿脇本陣跡>
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こちらは板橋宿の中宿名主を務めた飯田家の屋敷跡。あれ、また飯田?本陣も飯田さんでしたよね。

説明板によれば、こちらが飯田家の総本家のようです。板橋宿の本陣は分家に譲り、脇本陣として役割を担ったようです。詳細が説明板に記されていますので、以下に転記させて頂きます。

<説明板>
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『当家は、飯田家の総本家であり、宝永元年(一七〇四)に本陣を飯田新左衛門家に譲っていますが、江戸時代を通じて名主・問屋・脇本陣を努めました。世襲名は宇兵衞。
 飯田家は、大阪の陣で豊臣家に仕えたとされ、その後、区内の中台村から下板橋村へと移り、当地を開発して名主となりました。元禄期頃宿場絵図には、当家の南側に将軍が休息するための御茶屋が設けられており、元和〜寛永期に板橋の御林で行われた大規模な鹿狩りの際に使用されたとみられます。そして当家が御茶屋守としてとしてこれを管理していたと思われます。なお、御林四〇町歩は、後に当家に下賜されたといわれています。
 江戸時代を通じ、名主家と本陣家の両飯田家は、お互いに養子縁組を行うなど、その機能を補完し合いながら、中山道板橋宿 の中心である中宿の管理と宿駅機能の維持・運営にあたってきました。
 そのような中で、文久元年(一八六一)の和宮下向に際しては、宇兵衛家が本陣役となっています。その後も慶応四年(一八六八)の岩倉具定率いる東山道軍の本営となり、明治初期の明治天皇行幸などでも宇兵衛家が本陣を務めました。
平成二十年三月』

[出典:板橋区教育委員会]
明治の話になりますが、大宮の氷川神社へ向かう明治天皇が休憩した場所でもあるようですね。現在は石碑と説明板のみですが、深い歴史が刻まれた場所です。板橋宿の歴史そのものが伝わってくるようです。

最後に

<板橋>
Symbolbridge-itabashi.JPG
旧中山道と石神井川が交差する地点に架かる橋。いわば街道の一部です。とんでもなく身分の高い方も、そうでもない人も、ここで石神井川を越えていったわけですね。板橋という地名の由来ともいわれています。

以上です。
宿場跡はまだ続きますが、この日の私の探索はここまででした。

都市化が進んだ街並みですが、その気になって歩いてみると、まだまだ昔の雰囲気を感じることができる通りです。当ブログがきっかけで、足を運んでくれる人がいたら幸いです。

拙ブログにお付き合い頂きありがとうございました。

twitter-Isuke-2022.jpg

■訪問:旧板橋宿(下宿・中宿)
[東京都板橋区仲町付近]

■参考及び出典
現地説明板
・板橋区教育委員会
Wikipedia:2022/11/5


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タグ:中山道 23区
posted by Isuke at 06:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 街道・古道
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