富山市にお邪魔する機会があったので、海沿いの宿場跡を訪ねてみました。
<岩瀬の町並み>
雰囲気のある街並みです
■北前船寄港地・街道の宿場■
岩瀬は神通川河口に位置し、北前船の重要な寄港地として栄えた町です。同時に、北陸街道の宿場でもありました。北陸街道は新潟県(越後)から富山県(越中)や石川県(加賀)を経由して滋賀県(近江)へと繋がる街道。この付近では、内陸を南下して富山城下へ直接繋がるルートと、海岸線を西に行くルートの二手に分かれていました。いうまでもなく、岩瀬は後者の街道沿いということになります。
街道・海路、両方に恵まれた場所だったわけですね。
<岩瀬運河>
この運河の先は日本海。神通川の河口でもあります。
かつて岩瀬には加賀藩の年貢米を貯蓄するための蔵が設けられ、廻船問屋が軒を並べていたそうです。明治の大火で多くの建物が焼失してしまったそうですが、むかしの面影をいまも漂わせる町並みが維持されています。
<旧森家住宅>
こちらは岩瀬の有数の廻船問屋・森家の住宅
<旧馬場家住宅>
こちらも岩瀬を代表する廻船問屋の家です。馬場家、米田家、森家、畠山家、宮城家を岩瀬の五大家と呼ぶそうです。
<岩瀬銀行>
こちらは町並みに調和している現役の北陸銀行岩P支店。かつての岩瀬銀行本店です。岩瀬銀行?いかに繁栄したか伝わってくるようですね。
<北前船のモニュメント>きたまえぶね
先ほどの森家住宅付近に設置されているモニュメント。北前船は蝦夷地(北海道)とも海路で繋がっていました。行きは本州から米などを、帰りは北海道から海の幸を運びました。行きと帰りの両方で儲けたということになります。北前船は荷物を預かって運送費を得るのではなく、船主自体が商品を買いとり、それを販売することで大きな利益を得ていました。
そして
ここ岩瀬には、富山県を代表する日本酒「満寿泉」の酒造所もあります
<桝田酒造店>
ルーツは北海道(旭川)のようですが、明治には既にこの地で創業していました。昔の雰囲気を漂わせる岩瀬に蔵を構えている。素敵ですね。
ということで
駆け足で通り過ぎたに過ぎませんが、北前船寄港地にして北陸街道の宿場だった岩瀬の雰囲気を、少しだけ味わったというお話でした。
最後に
<東岩瀬駅休憩所>
こちらは畳にほっこりした駅の待合室(休憩所)です。かつての駅舎とのこと。足が棒になっていたので、5分ほど座らせてもらいました。ありがとうございます。
<旧東岩瀬駅ホーム>
このホームは現役ではありませんが、何となく心が和みました
以上です。拙ブログにお付き合い頂き、ありがとうございました。
■訪問:岩瀬浜〜東岩瀬
[富山県富山市岩瀬町付近]
<富山港線>
岩瀬へは富山駅から富山港線を利用すると便利です。画像は岩瀬浜駅(終点)。
■参考及び出典
現地説明板(森家住宅)
Wikipedia:2022/11/23
お城巡りランキング
2022年11月23日
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