蕨城跡訪問後、せっかくですので宿場跡も探索してみました。
<中山道蕨宿>わらび
蕨は日本橋から出発して二つ目の宿場です。一つ目が板橋、三つ目は浦和。蕨は江戸を通じて宿場町として栄えます。この地が選ばれるのには様々な要素があったと思われますがもともと城があり、城下にある程度の街があったことと無縁ではないようです。
■ そもそもの話として ■
徳川幕府により五街道の整備が始まり、中山道も整備されました。先ほど板橋宿の次は蕨宿とご紹介しましたが、当初の予定だと浦和宿だったそうです。ただ板橋から距離が有り過ぎることと、戸田で川を渡る必要があり、困難な場合なども考慮され、もともと城跡付近に街があった蕨が選ばれたようです。結果として、蕨宿は浦和宿や大宮宿以上に栄えました。
■ 城郭のような蕨宿 ■
宿場の周囲には堀が廻らされていたそうです。まるで城郭ですね。防衛のためと考えるのが自然ですが、人が「逃げ出さないため」という説もあります。まぁ調べきれなかったので、ここでは防衛のためということで。
■ 跳ね橋 ■はねばし
目的があって堀が巡らされいた訳ですが、出入りは不便になりますよね。そこで、城郭の堀などでも良くみられる跳ね橋が設けられていたそうです。上げたり下ろしたりできる可動式の橋のことですね。あくまで宿場ですから、昼は下して通行を可能とし、夜は橋を引き上げて出入りを制限するといった使い方でしょうか。
今回の訪問で、その再現をしてくれている場所を見つけました。
<再現された跳ね橋>
個人のお宅のようなので撮影をためらいました。しかし蕨市観光協会さんのページでも紹介されているようです。こうして伝えてもらえるのは嬉しいですね。中央の板状のものが跳ね橋。引き上げた状態です。
堀は無い?
確かに、跳ね橋を架けるべき堀はなく、すんなり通れる歩道になってますね。ただまぁ良く見て下さい。跳ね橋の手前は今でも水が流れています。
<暗渠に架かる跳ね橋>あんきょ
歩道はいわゆる暗渠ですね。つまり、溝の上に蓋がしてある状態です。
暗渠工事(川や水路に蓋をしたり、地下に埋設する工事)により、そこに架かっていた橋がそのまま取り残されている例は沢山あります。当ブログでも「川の無い橋」といった表現で何度か紹介させて頂きました。暗渠マニアの方々も「暗渠に架かる橋」といった表現を多用しています。しかし、ここは暗渠に敢えて架けた橋。よくある事例と順番が逆になります。
明日に架ける橋♪
Bridge over Troubled Water
ではないですが
暗渠に架ける橋!
Bridge over Buried River
です
正確には
暗渠に架ける跳ね橋
Drawbridge over Buried River
ということになりますかね(超直訳)
ちょっとマニアックで恐縮です。
まぁこんなくだらない拘りは良いとして、蕨の「跳ね橋」、せっかく再現してもらっていますので、かつての宿場を訪ねることがあったら立ち寄ってみては如何でしょうか。
■訪問:中山道蕨宿跡
[ 埼玉県蕨市北町 ] 他
お城巡りランキング
2017年05月05日
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